♦️18の4『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(両生類、哺乳類、鳥類の出現など)

2018-09-10 21:11:16 | Weblog

18の4『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(両生類、ほ乳類、鳥類の出現など)

 さて、生物たちのその後はどうであったのだろうか。海に展開した生物たちの一部は、やがて陸へ上がっていく。両生類は、およそ3億7000万年前から4億年前にかけて出現したという。およそ2億4000万年前にさしかかると、かれらの中から哺乳類が出現してくる。

それでは、鳥類の起源はどのあたりであろうか。こちらは、元はといえば、恐竜の一種であったというのが、通説となっているようだ。その時期は、一説には、1億5000万年くらいからではなかったかという。そのばあいにも、いろいろな語られ方がなされていて、たとえばこうある。

「(ニューヨーク19日=ニューヨーク・タイムズ特約)背中と横腹に羽毛のような毛の跡があり、鳥の遠い祖先ともみられる恐竜の化石が中国で発掘され、十八日、ニューヨーク国立自然史博物館で開かれた脊椎動物学会で発表された。

発表したのは、カナダ・アルバータ州にあるティレル古生物博物館のフィリップ・カリー博士と、北京大学地質学部のチェン・ペイジ博士。

カリー博士によると、この恐竜の体長は約90センチで、ジュラ紀後期(約1億6200万年前~約1億4300万前)に生息した肉食の細あご竜の仲間とみられる。8月に中国遼寧省の村で農夫が見つけた。

カリー博士が会場で示した化石の写真では、羽毛のようなものが恐竜の脊椎にそって頭から尾の端まで続いている。わき腹にも同じような毛が広がっている。鋭い歯と長い後ろ脚をもち、小動物などを狩るのに適しているように見える。

「保温のための毛のように見える。飛ぶための羽毛のような、空力学的な特徴は備えていない」とカリー博士はいう。写真を見た専門家の多くは「鳥類が恐竜から進化したことを示す貴重な証拠だ」と話す。」(朝日新聞、1996年10月26日付け)

ここに言われるのは、鳥の遠い祖先ではないかという程度のことなのだが、それでも、その羽毛から彼らの翼が発達していったと、想像をたくましくすると、学者の目にはその飛翔にいたる道筋が見えてくるのであろうか。

この特徴がある種に突然変異で発生し、その種が生き残ることで、羽をもつグループが増えていったという。そうであるなら、その一方でそのグループが抱えていく課題は何であったのだろうか。

(続く)

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♦️18の3『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(中生代から新生代へ、生物の大量絶滅とその後)

2018-09-10 10:40:20 | Weblog

18の3『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(中生代から新生代へ、生物の大量絶滅とその後)

 それからは、新生代(6550万年前~現在)に入っていく。新生代は三つの紀に分かれている。その最初の第三期は、古第三期(6550万~2300万年前)と新第三期(2300万~260万年前)の二つに分かれる。

その新生代の始まりに近い、今からおよそ6550万年前頃の中生代白亜紀末期と新生代古第三期との境目には、生物の大量絶滅があった。とりわけ、恐竜の絶滅はこの時代に起こったと推定されている。

それらのことがわかる地層の境界線は、「K-Pg境界」(Kはドイツ語の白亜紀(Kreide)の頭文字。またPgとは英語の古第三期(Paleogene)の略。最近まで古第三期の旧名である「第三期」(Tertiary)を取って「K-T境界」と呼ばれていた)と呼ばれ、デンマーク・スティーブンスクリント地区、イタリア・グッビオ地区など、世界で350か所以上の地層から露頭(ろとう)が発見されている。
 これらの地層形成の原因としては、「隕石衝突説」で説明するのが定説であり、1980年、物理学者のルイス・アルバレズと、その息子で地質学者のウォルター・アルバレズが、「中生代白亜紀/第三紀境界での生物大量絶滅は巨大隕石衝突によって引き起こされた」とする論文を発表したのを嚆矢(こうし)としている。これより前のイタリアで、ウォルター・アルバレズはK-Pg境界に当たる薄い地層を発見していた。二人は協力してその地層から採取した微量元素の分析を行い、粘土層に通常ではあり得ないイリジウムの異常濃集のデータを検出するに至る。イリジウムとは、通常の地表ではほとんど見つかっていない、地球の奥深くあるだろう、もしくは隕石に多く含まれる元素である。
 彼らの試算によると、この時、宇宙から飛来した隕石の大きさは、地下約1キロメートルのところに埋まっていて、直径約180キロメートルの円形構造をしていた。この巨大隕石の衝突で、地上ではマグニチュード11以上の烈しい揺れが起こる。メキシコ湾沿岸には巨大津波が押し寄せたことであろう。生物への影響も甚大であった。衝突で海面が沸き立ち、海水が陸地に押し寄せ、植物が死滅していった。

その時、地上に巻き上げられたチリやガスは空中に漂って日光を遮り、温度がさらに低まり、植物たちは光合成ができなくなって死滅していった。植物の死はこれを食する動物の死、さらにそれを食べる肉食動物を絶滅へと追いやる。数年にわたる長い冬が地上を覆い、生物たちにとっての死の世界が地球上に大きく広がった。
 そして今から約6500万年間前になると、アメリカのコロラド高原が隆起を始める。その隆起にともなって、原生代前期のおよそ18億年前の変成岩の上に、古生代、中生代、そして新生代の地層がほぼ水平に重なっているのが、地表に現れてきたのである。およそ1000万年間前になると、「世界の屋根」としてのヒマラヤ山脈の形成が始まる。ユーラシア大陸にインド亞大陸が衝突して、上昇を始めたものである。
 古第三期の次の新第三期(2300万~260万年前)になると、ほ乳類の活動がさらに盛んになり、全地球に広がって、さらには、類人猿から原人への分岐があった。新生代の第三期の次は第四紀(260万年前~現在)に入る。この紀の最初の世は更新世ということであるが、およそ30万年前にはその頃まだ海に浮かぶ大陸の一つであったインドに、またもや小惑星が衝突したのではないかと言われている。そしておよそ20万年前、いよいよ現代の私たちに直接繋がる人類、ホモ・サピエンスが登場してくる。
 なお、以上の絶対年代の紹介にあっては、金子隆一さんの監修・小沼洋一さんのまんがによる「恐竜化石のひみつ」、学研、2015、それからNHK「地球大進化」プロジェクト編「NHKスペシャル地球大進化、46億年・人類への旅」NHK出版、2004、荒俣宏・の責任編集「このすばらしき生きものたちーカンブリア大爆発から人工生命の世紀へ」角川書店、1993、白尾元理「」岩波書店、2013、(宇都宮聡・川崎悟司『日本の絶滅古生物図鑑』築地書館、2013)などを参させていただきながら、なるべく共通な年代表記を見出そうと努めた。

(続く)

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♦️18の2『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(中生代トアルス期からマーストリヒト期まで、鳥類の出現など)

2018-09-10 10:39:29 | Weblog

18の2『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(中生代トアルス期からマーストリヒト期まで、鳥類の出現など)

中生代シネムール紀の次の中生代トアルス期(1億8300万~1億4970万年前)においては、竜脚類の分岐があった。この期の、洪水玄武岩の地層が、南アフリカのレソト王国に噴出している。そのあるところは、現在の標高が2000メートル以上の耕地であって、その厚さは1500メートルにもなる。これほど大規模な玄武岩の地層が露出している訳は、およそ1億8000万年前、パンゲア大陸がアフリカ大陸と南極大陸に分裂したときの火山活動の結果だと言われる(白尾氏の前掲書に写真が掲載されている)。
 やがて、中生代の白亜紀(1億4550万年前から6550万年前まで)に入っていく。その最初のヴァランジュ期(1億4020万~1億3640万年前)においては、角竜類の分岐があった。オーテチーヴ期(1億3540万~1億3000万年前)になると、ローラシア大陸とゴンドワナ大陸とが完全に分離となる。その次の白亜紀バレーン期(1億3000万~1億2500万年前)になると、イグアナドン類が繁栄を迎える。

植物については、1億3000年前に生態系が大きく変化したことがわかっている。はじめ裸子植物が、その後に被子植物が登場する。前者は、花らしい花は咲かないけれど、実がなる。後者は、花びらが発達することで甲虫(こうちゅう)を招き入れ、かれらの身体にしっかりと花粉がこびりつくことで、子孫を残していくことが可能となる。その次のアブト期(1億2500万~1億1200万年前)には、地球の高温化があった。
 この白亜紀の時期からは、地殻変動や海水面上昇による「海進」があった。このため、大陸が細かく海で隔てられ、大陸の細分化が進んだ。生物たちは、それぞれの領域で進化を遂げていくのであった。「翼竜は衰退の一途をたどり、代わって鳥類が空を支配するようになった。また海では魚竜類が白亜紀半ばで絶滅し、それと入れ替わるように海生トカゲのモササウルス類が現れた」(宇都宮聡・川崎悟司『日本の絶滅古生物図鑑』築地書館、2013)。)とされる。
 その白亜紀前期は、およそ1億2000万年前までであった。その頃の日本列島福井地方の地層からは、イチョウやシダ、ソテツなどの植物化石が発見されている。それでも、少なくとも比較的気候が温暖湿潤な陸地のあちらこちらでは、植物たちが生い茂っていたのだと言われる。のみならず、この時代にはまだ地球上のそこかしこで恐竜などが闊歩していたことがわかっている。とはいえ、彼ら生息していくためには、おのずから自然の制約があったのであって、それは次のように言われる。
 「生息密度が高すぎると食物資源を食べ尽くしてしまうし、低すぎると繁殖できずに絶滅してしまうから、陸生大型哺乳動物の最大サイズは、これを回避できるバランスの取れた生息密度を反映している。結局、大型脊椎動物の最大サイズと多様性は、生理学的要素(代謝率が高いほど多くの食物摂取が必要)と摂取可能な食物の量、陸地面積によって制約されることになる。概して面積が広いほど、多くの種類の大型動物を養える。
 この関係は、大型の肉食動物に最も厳しい要求を突きつける。生態系全体のエネルギー収支のなかで、食物連鎖の頂点に立つ動物が摂取できるのはわずかな部分でしかないため、大型肉食動物は草食動物よりも広い行動領域を維持しなければならないからだ。」(S・D・サンプソン「失われた大陸、ララミディアの恐竜」:「日経サイエンス」2012年6月号所収)
 この制約があめのと、今の日本列島のあるところにも、彼らは素足でやってきたことがわかっている。というのは、1982年(昭和62年)からの発掘で、列島の他の場所では合計で10体程度の恐竜の化石が見つかっていた。それなのに、ここでは短期間の集中調査で50もの恐竜化石のかけらが発見された。この発見は、まだ人間が存在しない頃の姿に一筋の明かりをもたらしてくれたのだった(2015年7月22日のNHKの番組「歴史ヒストリア」で放映された)。さらにオーブ期(1億1200万~9360万年前)には、被子動物が繁栄した。
 ここから中生代白亜紀の後期に入っていく。その頃の地球はかなり温暖になっていた。難局にも北極にも冠氷(かんぴょう)はなく、世界の海水面はかなり高かったと考えられている。その最初のセノマン期(9360万~9350万年前)になると、ハドロサウルス類が繁栄を迎える。次のチューロン期(9350万~8803万年前)には、ローラシア東西での生物たちの交流が活発化する。コニアク期(8803万~8660万年前)には、恐竜たちの多様化がピークを迎える。サントン期(8660万~8350万年前)には、恐竜が絶滅した。その理由としては、この頃、地球に惑星が衝突し、気候が大いに変わり、恐竜が絶滅したというのが、有力な見方となっている。

 続いて、白亜紀のカンパニア期(8350万~7060万年前)に入っていく。その中のおよそ7400年前頃になると、諸大陸の配置が現在の姿に近づいてくる。マーストリヒト期(7060万~6550万年前)になると、哺乳類の種としての発達と分岐が盛んになり、多種多様な進化を遂げていったと考えられる。

(続く)

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♦️18の1『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(中生代、プリンスバック期まで)

2018-09-10 10:36:12 | Weblog

18の1『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの進化(中生代、プリンスバック期まで)

 古生代の後は、中生代(2億5100万~6550万年前)に入っていく。その時代の境目の古生代末に起こったのが生物絶滅であって、これを「P-T境界の絶滅」と呼んでいる。この時は、当時の90%の海洋生物が死んだと言われる。例えば、中国南部・浙江省(せっこうしょう)に約2億5100万年前の、連続性のよい海成層が見られ、ここに
当該のP-T境界の地層が露頭(ろとう)している。
 中生代は、三畳紀(2億5100万~1億9960万年前)とジュラ紀(1億9960万~1億4550萬年前)、そして白亜紀(1億4550万~6550万年前)の三つの紀区分から成っている。

 まずは三畳紀の前期・インジュア期(2億5100万~2億4970万年前)においては、「超大陸パンゲア」があった。とはいえ、この大陸は赤道付近で南北に分かれていたと推定されている。大陸の北はローラシア大陸、南はゴンドワナ大陸であり、前の中生代ペルム紀での乾燥気味の大地とはうって代わり、全体として温暖かつ湿潤な気候に変化していく。

 およそ2億5000寝前、恐竜を始め、古生代末に起きた地球生命史上最大の絶滅を生き延びた生物たちが、繁栄する。

 続いて、中生代オレネク期(2億4970万~2億4500万年前)になると、双弓類(現代の生物でいうと、トカゲ、ヘビ、ワニなど多くの爬虫類は2つの孔を持っていて、双弓類と呼ばれ、中生代のこの時期の恐竜類もこれに入る)の繁栄があった。
 そして中生代三畳紀の中期にさしかかる。その最初のアニス期(2億4500万~2億3700万年前)には、最初のほ乳類が出現する。大型の生物が滅んだ後、ほ乳類の一部は体が小さかったのが幸いして、この困難な時期をなんとか生き延びたのだとも考えられている。

 同じく中期のラディン期(2億3700万~2億2800万年前)をくぐり抜けていく。その後は後期に入って、カルン期(2億2800万~2億1650万年前)には、「三畳紀後期の大絶滅(カルン期後期)」に入る。

 2億5000万年前頃、超大陸のパンゲアは複数の大陸に分かれる。北アメリカ大陸が別れ、現在のアフリカと南アメリカなどは、超大陸に残ったと想像される。

 続くノール期(2億1650万~2億360万年前)になると、本格的な恐竜時代が始まる。続いてレート期(2億360万~1億9960万年前)、獣脚類(じゅうきゃくるい)の急速な分岐がみられた。
 それから紀が改まって、中生代ジュラ紀(1億9960万~1億4550万年前)に入る。エッタンジュ期(1億9960万~1億9650万年前)の最初には、生物の大量絶滅の痕跡がある。その時の地層は、「T-J境界」と名付けられる。

 中生代三畳紀の末、それまで支配的であった爬虫類たちに大絶滅が襲いかかり、彼らに代わって恐竜たちが世界に広がっていく。やがて彼らの中には、30メートルもの体長に進化するものも出てきた。その草食恐竜たちを追って肉食恐竜たちも大地を闊歩していた。

 恐竜たちは、日本列島にも出現した、しかも沢山に。圧巻なのは、現在の福井県であって、さながら「恐竜王国」であったのだろうと推察されている。
 次の中生代シネムール紀(1億9650万~1億8960万年前)にかけては、装盾類(そうじゅんるい)が登場する。プリンスバック期(1億8960万~1億8300万年前)、古竜脚類(こりゅうきゃくるい)が絶滅する。

 (続く)

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