この話は、半分くらいは、まったくの実話です。
どこまでが実話だと思いますか？
聞いたときも今も、「スゲー」と思います。
面白いですね。
幸せなトマト
カメラマンの女の人は都会のど真ん中のマンションに住んでいた。
周りはビルだらけ。
畑なんかどこにもない。
女の人はあるとき、トマトを食べて、種をシンクの中の水切りに捨てた。
その週はあんまり忙しかったので、家で食事をすることなんかない。
だから水切りにはお茶ガラしか捨てなかったし、一週間ほど、水切りの中身を放っておいた。
日曜、久しぶりにゆっくりできる日。
朝寝をして、さてコーヒーでも飲もうかとキッチンに行った。
電気ポットに水を入れながら、
ふと水切りを覗いておどろいた。
なんと、芽が出ているのだ。
ええっ、植物が芽を出すって、何の芽？
もしかして、異次元からのプレゼント？
しかし、よおく見ると、なんのことはない。
最初に捨てたトマトの種が茶ガラに根を出し、芽生えたのだ。
女の人はよろこんだ。
こんなところで芽を出すなんて、なんという頑張り屋さん。
さっそく小ぶりの植木鉢を買ってきて、ていねいに植えかえた。
そして、太陽が差し込む窓際に置いたんだ。
ちゃんと根付いて育つといいなー、と思いながら。
女の人はそれから毎日、水遣りを欠かさなかった。
もちろん、雨の日はお休み。根腐れ注意。
茎をぐんぐん伸ばすトマトの体調には、くれぐれも気を使ったってわけ。
春になって、小さな黄色い花が一つだけ咲いた。
「あらかわいい。おはよう。そして、ようこそだわね」
それから毎日、朝起きると「おはよう」と声をかけた。
花が散って、小さな緑色のトマトが一個なった。
「あらかわいい。おはよう、ちびトマトくん」
女の人は嬉しそうに笑いかけた。
そして向こうに行こうとしたとき、聞こえたんだ。
「おはよう」という小さな声が。
「えっ？」
女の人は不思議そうに振り返った。
あたりを見回してから、トマトをじっと見た。
「まさかね」
でも、つぎの日も女の人が「おはよう」と言うと、「おはよう」が返ってくる。
やっぱりトマトが返事をしている。
女の人はもっともっと話しかけた。
「トマトって、どんな気分？」
「トマトの気分」という答え。
「おしゃべりできるの？」
「おしゃべりできる」
考えてみると、トマトのおしゃべりは、ほとんど女の人の話しかける言葉をなぞっているだけ。
でも、女の人はすごく素敵な気分になった。
あるとき、仕事で失敗して女の人は泣いていた。
トマトのところに行って、「くやしいわ」と話しかけた。
きっとトマトは「くやしいね」と言うにちがいない。
でも、このときは違った。
「大丈夫だよ」
女の人にとって最高に大事なトマトになった。
トマトは毎日大きくなり、赤くなった。
もう４センチくらいの大きさに育った。
真っ赤に色づいて、熟している。
ある日、女の人が朝おきてトマトのところに行くと、トマトはこう言った。
「今日はボクを食べてね。美味しくなりました」
女の人は首を振って「ムリっ」と言った。
大事なトマトを食べられるわけない。
「食べて。ボクはそのために頑張って大きくなったんだ。このまま熟しきってつぶれちゃうのはイヤだよ」
いまでは大事な友だちのトマト。
女の人はさんざん迷ったけれど、トマトをもいで、食べることにした。
「ありがとう。あなたがいなくなるのは寂しいわ」
「大丈夫。いなくならない。ちゃんといる」
そのまま口にほおばった。
ナイフでカットするなんて、できないわ。
汁がピュッととばないように口を押さえてそおっと噛んだ。
トマトの新鮮な味が口いっぱいに広がった。
とびっきり美味しくて、ほんのり甘いトマト。
女の人は幸せそうに微笑んで、でも泣きながらトマトを食べた。
その次の日、女の人は壁じゅうにトマトの写真を貼った。
いろんな角度のいろんな表情の写真。
なんだか生きているように感じられる素敵な写真だ。
絵葉書にして、みんなにお便りを出した。
全員から返ってきた返事。
トマトの絵葉書、わたしにも分けて。
雑誌の表紙に使いたい。
植物の特集で写真を撮ってください。
トマトが結ぶトマトのご縁。
戸惑ったけど、幸せは止まらないと
女の人は想ったのだ。
