サラ☆の物語な毎日とハル文庫

再び「アーサー・ランサムの12冊」

 

以下の「アーサー・ランサムの12冊」というブログ記事は、

2020年4月19日に投稿したものですが、

ときどき訪れてくださる方がいるにも拘わらず

どういうわけか、ものすごく読みづらい誌面になっています。

ブログのシステムの欠陥だと思うのですが

うまく変更できないので、もう一度アップすることにしました。

アーサー・ランサム全集12巻の、それぞれの本についての簡単な概略と

心に残った文章の抜き書きを紹介しています。

大好きな記事です。

 

【アーサー・ランサムの12冊】

アーサー・ランサムが書いた12冊の休暇物語は、ランサム・サーガと呼ばれている。 「サーガ」というと、叙事詩的な長編小説や年代記のイメージがあるけれど、 子どもが子どもでいられる時間はそう長くはない。 ランサム・サーガは、ほぼ四年の間に集中して起きたことを描いたもの。年長組のジョンやナンシーは、ほどなく大人社会にスライドしていくだろう。それはそれで仕方のないこと。 物語はその手前のところで留まり、永遠の夏休みを読者に提供してくれる。12冊を通して読めば、もういちど子ども時代の冒険へのあこがれに浸りきることができる。そして物語の子どもたちと同じく、「生きる」ことについて学べたりもするのだ。  


①ツバメ号とアマゾン号
物語の幕開けは一九二九年八月。ツバメ号のウォーカーきょうだいとアマゾン号のアマゾン海賊が攻守条約に署名した紙に、そう明記されている。舞台はイングランド北部の湖水地方の湖。キャプテン・フリントも湖に浮かぶハウスボートの住人として、いわくありげに登場する。徹底的に休暇にこだわった記念すべき第一冊。

「おとうさんは、ぼくらがノロマじゃないって知ってるさ。」とジョンはひとりごとをいった。(上巻、103ページ)

 

②ツバメの谷

翌年の一九三〇年の夏休み。ナンシィとペギィは大おばさんのおかげで屋敷にしばりつけられている。ウォーカー家の子どもたちは休みに入って三日めに、ツバメ号を岩にぶつけて沈没させてしまう。湖に出られない子どもたちは、ツバメの谷にキャンプを張り、丘陵にそびえるカンチェンジュンガ登頂をめざす。

ナンシィ・ブラケットがいつもいうことだが、ナンシィのおじさんジムのいちばんすてきなところは、ころんだ子どもに、なぜときかないことだった。(上巻、148ページ)

 

③ヤマネコ号の冒険

少し時間は後戻りするが、ツバメ号とアマゾン号の子どもたちは、第一冊目の夏がすぎ、冬休みになると、キャプテン・フリントのハウスボートで毎晩のように物語を聞いたりつくったりした。この本は、そのときに、おもにティティがつくりだした想像上の老水夫ピーター・ダックとともに、みんなでカリブ海にくり出す、〝宝探し〟の冒険ファンタジー。

「いいか、ナンシィ、君は、慎重になれば、何に対しても、かしこく対処できる。ジョンもおなじだ。私は、君たち二人を信頼している。そして、スーザンには、君たち全部を任せられる。」(キャプテン・フリント)(下巻、185ページ)  

 

④長い冬休み

一九三一年の冬休み。ディックとドロシアのカラムきょうだいが登場。ウォーカーきょうだい、アマゾン海賊と出会い、凍った湖上をスケートと橇で移動して、湖の北の端・北極をめざす計画を立てる。ノルウェーの探検家ナンセンのように。

ナンシィがおたふく風邪にかかたったために、いっしょにいた子どもたちも登校停止となり、一ヵ月延長の長い冬休みとなる。

「もうしかたないわね。」と、スーザンがいった。「ここで今晩泊まるしかないわ。おかあさんもぜったい心配しないと思う。だいじなのは、みんながここにいるってことよ。」(下巻、299ページ)

 

⑤オオバンクラブ物語 

一九三一年春のイースター休暇、ディックとドロシアのカラムきょうだいはノーフォーク地方湖沼地帯を訪れ、鳥類保護協会オオバンクラブの仲間たちと出会う。

野鳥の卵を守りたい子どもたちといっしょに、やりたい放題の大型クルーザーを敵に回す大騒動に巻き込まれる。

「休暇が半分終わったな。」と、パパはいって座席に腰をおろし、アクセルにそっと足をのせ、発車の用意にエンジンをふかしはじめた。

「あと二週間もあるわよ。」と、ポートがいった。(上巻、131ページ)

 

⑥ツバメ号の伝書バト

一九三一年の夏休み。何週間も雨が降らない日照りのなか、ウォーカー、アマゾン、カラムのこどもたちは、湖近くの山の中腹にキャンプを張り、金鉱探しに熱中する

黄銅鉱の発見と山火事というクライマックスは見事で、目が離せないハラハラの臨場感。

「さあ、やって。」と、ティティは自分にいいきかせた。「やらなくちゃいけないの。さっさと、すませてしまおう。」(上巻、267ページ)

…ティティは勇気をふるって二度目に枝をもったとたん、心のたたかいに勝ったのだ。そして今はもう、まるで夢中になって枝の圧迫を感じとろうとしていた。(同、269ページ)

 

⑦海へ出るつもりじゃなかった

一九三一年の夏休み。中国から帰国しショットリー配属となる父親を迎えるため、河口の町ピン・ミルに滞在していたウォーカーきょうだい。川下りに誘われゴブリン号に乗った子どもたちは、予想外の成り行きで、外海に流されてしまう。嵐の夜に、自分たちだけで北海を横断した四人きょうだいの冒険譚。

「さて。」と、おとうさんがいった。「これで、事態をうまくおさめるための手は残らず打ったぞ。出航まであと二時間ある。心配しても、どうしようもない時には、心配してもしょうがない。元気を出せ、スーザン。たのしくやろうじゃないか。…」(下巻、198ページ)

 

⑧ひみつの海

一九三一年の夏休み後半。ピン・ミル近く、たくさんの島がある内海でキャンプを張るウォーカーきょうだい。ミッションは地勢調査と地図作成だ。こんどの冒険には、末っ子のブリジットも参加している。そこにナンシィとペギィのアマゾン海賊も加わり、地元の部族、うなぎ族と交戦したり、踏査したりしながら地図を仕上げていく。

「ちぇ!」と、ロジャがいった。「ぼくを誘いに来てくれたのならいいんだけどなあ。あのボートには余分の釣り糸があるにきまってるんだ。ぼくたちに気がついているかなあ。」

「もちろんよ。」と、ティティがいった。

「手をふろうか?」

「むだだよ。」と、ジョンがいった。「ほっといてやるほうがずっといい。」(上巻、324ページ)

 

⑨六人の探偵たち

一九三一年の夏休み後半。ふたたびノーフォーク地方の湖沼地帯にやってきたカラムきょうだい。何者かが係留されている船を流して、その罪をオオバンクラブの子どもたちになすりつけようとしている。ドロシアは事件の解決に乗り出し、地元の子どもたちと連携して犯人を追い詰める。

「誰かが、わざとやっているにちがいないのよ。」と、ドロシアがいった。「ところが、みんなが、オオバンクラブのしたことだと思っているから、ほかの人間をさがそうとしないのね。」

「かなり危険なことになってきているよ。」と、トムがいった。

「私たちに必要なのは探偵ね。」と、ドロシアがいった。(上巻、297ページ)

 

⑩女海賊の島  

キャプテン・フリント、ウォーカーきょうだい、アマゾン海賊は、緑色の小さなスクーナー「ヤマネコ号」で世界一周の旅をしている。百番目の寄港地を出たところでヤマネコ号は爆発して沈没。七人は、中国沿岸で海賊稼業をしているミスィ・リーの島に捕らえられる。彼らがどのように島を脱出し、イギリスに戻るのかを描く冒険ファンタジー。

「彼女は奇妙な仕事をしている。しかし、やり方を心得ている。仕事をもっていて、そのやり方を心得ているということは、この世でいちばんいいことの一つだ。…」(キャプテン・フリント)(下巻、296ページ)

 

⑪スカラブ号の夏休み

一九三二年の夏休み。母親のブラケット夫人はキャプテン・フリントと旅行に行き、ナンシィとペギィの二人だけで屋敷を切り盛りすることになった。泊まるところがないカラムきょうだいを招待したのはいいが、そこにアマゾン海賊の大おばさんがやってくる。留守中に客を招いたと、ブラケット夫人が責めたてられるのを避けるため、カラムきょうだいは屋敷近くの石造りの小屋に身を潜める。先史時代のピクト人のように。見つかるか、見つからないかのドタバタが愉快なカントリー・コメディ。

結局、なにもかもうまくいくのだ。

…ナンシィとペギィのように、水に落ちても、そんなことは毎日あるような顔でまた船にあがったり、大おばさんを楽しい気分にさせておくという大変な仕事を不平一つもらさず進んでやる人たちがいて、うまくいかないことなどあろうはずがない。(上巻、182ページ)

 

⑫シロクマ号となぞの島

一九三三年の六月の話(推定)。夏休みとズレがあるのは、ランサムがハシグロアビの繁殖期(六月)の話を題材にしたかったため。そのズレについては、オブラートに包まれ、言及されない。

キャプテン・フリントが友人から借りた帆船に、ウォーカー、アマゾン、カラムのきょうだいたちが乗り組み、スコットランドを旅している。舞台となるのは、ヘブリデス諸島のとある島。旅の終わりからはじまる冒険物語。子どもたちはハシグロアビの巣を、卵を捕ろうとする鳥類研究家から守れるのか。島に住むゲール人たちも絡んで繰り広げられる追いつ追われつの追走劇。

紙切れには「パン、牛乳」としか書いてなかった。「町へついたら、あなた方がガソリンを買っている間に、私たちは新鮮な牛乳とパンが買えるでしょ。あしたの朝ごはんは、ずっとおいしくなります。」

「スーザン。」と、キャプテン・フリントがいった。「何度もくりかえしていうことだが、君は金みたいなもんだ。君の目方とおなじ重さの金ほども貴重な人だよ。」(上巻、181ページ)

コメント一覧

marupippo
sdさん。
コメントありがとうございます。
「人生の一冊にであった。これで僕の一生は変わるだろう」と確信……どういう風に変わったのか、子供の本にどういう力があるのか、とても興味をひかれました。
ミセス・ブランケットは未亡人……というのは、たしかに12冊の中に出てきます。
おっしゃるように、まず『ツバメの谷』下巻172ページ(岩波少年文庫)に、子供たちがカンチェンジュンガと呼んでいる、近くで一番高い山に登頂したとき、ケルンの根本で見つけた紙。
そこに「一九〇一年八月二日 われわれはマッターホルンに登頂した。モリー・ターナー、J・ターナー、ボブ・ブラケット」と書いてありました。
ナンシーたちのお父さんとお母さん、それからジム船長が子どもだったときに、ここに登頂してこの紙を箱に入れ、ケルンの中に埋めたのです。
「これ、おかあさんとジムおじよ。」とペギィが変な声でいった。
「ボブ・ブラケットって、だれ?」と、スーザンがたずねた。
「私たちのおとうさん。」と、ナンシイがいった。
一分ばかり、だれも口をきかなかった。

というくだりがあります。
おとうさんがなくなったという記述も、『ツバメの谷』か『ツバメ号とアマゾン号』の中に出てくるのだと思います。ずいぶん昔の子どもの本ですから、離別ということはないだろうと思いますよ。
sd
日本語版wikipediaの「ツバメ号とアマゾン号」の項目では、ナンシーとペギーの母親(ミセスブラケット)について「未亡人」との記載があります。私が読んだ限りでは 離別か死別かを確定する記載はなかった、と思うのですが、なにか具体的記載があったでしょうか。 カンチェンジュンガ登山の際に話しが少し出てきますが、あの記載ではわからないですよね。
sd
ブログありがとうございます。私がランサムを読んだのは54年前、小学4年の夏休みのある日。「ツバメの谷」を読み終えた私は、「人生の一冊にであった。これで僕の一生は変わるだろう」と確信しました。そして確かにそうなったと思います。 このブログの抜き書きはすてきですね。
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