長野県の黒姫高原に、「黒姫童話館」というのがあって、ここにミヒャエル・エンデの資料展示室がある。
このことは、ずいぶん前から知っていた。
一度は行ってみたいと思っていたのだ。
「なんでそんな辺鄙なところに」という話だが、エンデが晩年に結婚した佐藤真理子夫人のゆかりの地なのかな、とか勝手に解釈していた。
さて、5月24日にここで「ミヒャエル・エンデ没後20年 シンポジウム『エンデの贈りもの』」が開催されるという。
出席者はエンデ研究の第一人者、子安美知子さん、堀内美江さん、そのほか、長い間エンデの編集者を勤めたローマン・ホッケ氏がドイツから参加する。
わざわざ行くならこのチャンスかな、と急に思いたった。
鉄道を利用しようか、車で行こうかと迷ったけれど、地元の観光協会に問い合わせたら、車がないと身動きがとれないというアドバイス。
それでは、と車を運転をして、はるばる行ってきたのだ。
「なぜに黒姫にエンデが?」という謎は解けた。
ときは1989年の竹下内閣、ふるさと創生事業で各市町村に1億円が交付された時期だ。
ちょうどミヒャエル・エンデと、画家だった父親エドガー・エンデとの「エンデ父子展」が、朝日新聞社の主催で開催され、大盛況を博しているときだった。
いっぽう、ふるさと創生のために黒姫に童話館を建てる計画が、地元の町で進められていた。
黒姫高原には絵本作家いわさきちひろの山荘もある。世界中の童話を集めよう。でも、もっと人を呼べる目玉がほしい。
ということで、黒姫童話館開設のプロジェクト担当者は、東京のエンデ父子展を見にやってきた。
そして、その足で、展覧会のために日本を訪れ、御茶ノ水の山の上ホテルに滞在していたミヒャエル・エンデのところに訪ねたのだという。
このとき、子安美知子さんも同席していた。
部屋に入ってきた信濃町の黒姫童話館設立担当者の2人は、とつとつと、「エンデ父子展」に展示されたミヒャエル・エンデの資料を黒姫童話館にもらえないかと願い出た。
その話をずっと黙って聞いていたエンデは、隣に座っていた子安さんに「いい人たちなんだね」とつぶやいたそうだ。
そして、話を聞き終わると、「いいでしょう」と黒姫童話館の準備に携わる2人に快諾の返事をしたという。
だから、まったく何の縁もないのに、信濃町の担当者達が展示の目玉として希望したため、エンデの子どもの頃からの資料2000点が、黒姫に保管されているというわけだ。
どうやら、そのときの展覧会資料ばかりでなく、ドイツに残る全資料も後から寄贈され、さらに、毎年のようにダンボール数点が送られてきたし、エンデ没後には遺品という形で補充が続いたという。
だから、黒姫はいまやエンデ研究者にとっては宝の山ということになる。
そのために、エンデのさまざまな資料を見てみたい場合には、こうしてわざわざ黒姫まで足を運ばなくてはならない、というわけだ。
まあ、逆に考えると、わざわざドイツまで行かなくても、日本国内にあるのだから、車を走らせれば見に行ける。
これはけっこうラッキーなことかもしれないと思えたりもする。
エンデの博物館は本国ミュンヘンにもあるらしい。
しかし、子ども時代からの数多くの資料があるのは、この日本なのだ。
こういうのは、けっこう愉快な話かもしれない。