バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1997年8月1日

2024年12月11日 | 1997年
8月1日(金)
 朝、5時半には練馬出発。今日もタンデム。
 奥多摩湖を横に見ながら、出発から約2時間で丹波山を通過。そのまま塩山にいき、コンビニで弁当――ミニカツ丼。カルビ丼。いなり寿司――を買って、クリスタルラインを10分ほど走り、村営バスの転回所らしいところで朝食。富士山の頭がかすかに見え隠れする。30分ほど休息してから、10時前に出発。出発前、リアの荷物を縛るときに力を入れ過ぎて立ちごけ。「わっ」とカミさんが言ったときには、すでにバイクは転倒。すぐにバイクを起こすも、そのあとのオバの言葉。
「これが、よく話しているタチコロビか」

 ヤマハXJ400と名車ホンダVT250を乗り継いだ下の弟と、飲めば結構バイクの話をする。その中でタチゴケの話をしたことがあり、それをカミさんは珍しい言葉として憶えていたようだ。ビールを飲みながら聞いていたらしが、うろ覚えのようだ。
「タチコロビじゃなく、タチゴケじゃ」と訂正してやる。だが、そのタチコロビと言ったのが、妙におかしく、しばらくたって「立ちコロリン」と言ったのでないかと想像して、思わず笑ってしまう。

 クリスタルラインを増富温泉まで快走。途中、温泉まであと数キロというところ、走行中にもかかわらず、カミさんが右手の指先をハチにさされる。すぐにバイク停車も、「電気が走った。電気が走った」と大騒ぎ。一瞬、このまま指が腫れ上がってしまい、医者に急行だなと覚悟をきめる。アナフィラキシーショックで悶絶しているカミさんの姿を想像する。だが、幸いにも痛みはじょじょに引いていったので安堵。

 増富ラジウム鉱泉。ここの町営の温泉はよかった。1000円は安い。
 源泉の鉱泉水が34度くらいで、この暑さにはちょうどよく、ずっと浸かっていた。ほかに2種類の薬草湯。サウナ。うたせ湯(あまり、強くなかったが……)。大風呂。ジャグジー。露天風呂、その横にはデッキチェアが数台。空気もうまくて、最高。結局、1時間以上ゆっくりする。カミさんも1時間半ほどゆっくり入浴。長い。長すぎる。あとで聞くと、風呂の中で寝ていたようだ。

 そのあと食堂で食った温ウドンは、モソモソしてまずかった。冷やしウドンはまあまあだったが……。そのあと休息室の大広間でしばし休息。自分はいびきをかいて寝ていたようだ。3時に出発。北に進路をとり、川上村に向かう途中で、ダム建設中の工事現場を通過。壮観山をどどんと削っている。ビル工事などとは規模が違う。壮観と思いながらも、胃の腑が重苦しくなる。

 最初は、ぶどう峠を通って秩父に出るはずだったが、結局、十国峠を通る中津川林道をいくことにする。林道は5時から、翌朝の6時(?)まで通行止め。そのときは5時15分前。向こうのゲートでも閉まるのかと、いぶかったが、いまさら引き返す気はない。そのまま通過。ダートは20キロ弱。おまけに峠付近では雨。雨具を着込んで走る。と、5キロほどいったところで、だれかが立ち往生している。自転車乗りの中年男性で、キャリアを止めているボトルの欠落で走れなくなっている模様。

「前をいっている少年に、トラぶっていると伝えて下さい」
 伝言を頼まれて林道を下るが、チラとも少年の姿は見えない。
 ぬかるみと下り勾配で30キロもだせない。フロントは滑るし、怖い。しかもオンロードでの2人乗り。自転車のほうが遥かに速いのだろう。結局、追いついたのは10数キロ下ったキャンプ場の入口。

 少年はこっちがなにを聞いても、無愛想ではっきりしない。しゃべるときには、ちゃんとしゃべりなさいよ、言いたくなく。それに他人事みたいな言い方だ。上にいるのは多分、父親だろう。トラブルのことを伝えても、ゲートがしまってしまうから困るだのと、自分のことしかしゃべらない。なにか、力になってやれるかもしれないと思っていたが、もうしらんとそのまま出発。

 結局、ゲートなどはなく、看板で注意だけしているようだった。
 6時ちょっと前に出口を通過。数十メートルいったところで一休み。中津川の水が澄んでいてきれい。出発しようとしていると、50歳くらいの小太りのおじさんが懸命に走ってくる。この林道をいくと、長野にでるかと訊く。
「いけますけど、夕方5時から朝まで通行止めですよ。ゲートかあるわけじゃないから、いこうと思えばいけます。だけど20キロほどダートで、結構きついですよ」
「ダートって?」
「未舗装路です。おまけに峠ふきんは雨でした」
「この先に泊まるとこあっかな?」
「林道をちょっとはいったところに、村営の施設がありましたから、泊まれるんじゃないですか」
「そうか。そこで泊まったほうがいいかな?」
そんなことは自分で決めて下さい。
「じゃあ、そこで泊まることにしようかな」と、おじさんは勝手に自問自答して自分の車に戻る。

 そのあと、秩父まで走り「珍達ラーメン」を食う。カミさんにも好評。7時半に出発。練馬到着は午後10時過ぎ。お疲れさま。


1997年7月22日

2024年12月10日 | 1997年
7月22日(火)
 今日はいよいよ大型バイク卒検。朝8時にスクールにいく。20人ほどが大型を受けるようだ。5人1組で4つのグループに別れて試験開始。スラローム(7秒以内を8秒かかる)以外はなんとかクリアしたと思ったが、落ちていてもおかしくない。結果待ちの教室ではすぐに外にでられるように後ろの席でドアのすぐ近くに座る。結果、一発合格。たぶん年齢が年齢だけに、お情け半分だろう。受験者の半分が落ちている。

「受かったかただけ、前につめてください」
 そう言われたので、一番前に座る。
 落ちたやつの中には、かなりうまいやつもいたのに……。スクールで卒業証書をもらい、そのまま府中に手続きにいく。そこで一発狙いの大型試験を見学したが、ものすごくうまいやつが完走できずに次々にスタート地点に戻されている。
「サカイさん。はい、出発点にもどってください」
「クドウさん。坂を下りたら左折して、発着点」
 かなり、落ちている。ほっとする。こんなところで受験していたら、何十回受けてもダメだったに違いない。そんな思いも重なり、免許証をもらったときには感激。嬉しい。失効だけにはならないようにしなくては……。


1997年7月20日

2024年12月09日 | 1997年
7月20日(日)
 那須にいくため、朝7時に弟宅を出発(バイク・車)するも、東北道は宇都宮の手前で大渋滞。鹿沼で降りて、益子にいくことにする。益子の焼き物センターで食ったゆでたてのトウモロコシ(多分、採りたて)、うまーい。そのあと、ソウメン流しをやっている山奥にいく。那須よりはかえってこっちのほうがよかったようだ。常磐道の八谷原から外環を走って5時前には練馬、帰宅。弟たちとそのまま飲み始める。9時半ごろまで無理に引き留める。


1997年7月19日

2024年12月08日 | 1997年
7月19日(土)
 朝4時起床。日光にむけて環7経由、国道4号を走る。はじめてのタンデムでやや緊張。カミさんが後ろで寝やしないかと、耐えず後ろの気配を感じながら走る。

 日光には8時半ごろには到着。そのまま9時の銀行開店まで駅周辺をぶらぶら。金をおろして、中禅寺湖の横を通って、去年の秋に弟と走った奥鬼怒川林道を進み、川又の『またぎの里』でクマラーメンとシカラーメン、それにイワナを1匹づつ食う。なかなかいける。このあたりは結構クマをしとめるとのこと。しかし、そんなことを聞いたからには、これからこのあたりで、のほほんとキャンプする気にはなれない。

 さらにそこから、今回の目的地である湯西川温泉までいき、ちょんまげの店・小藤館で温泉(500円)にゆっくり入浴。川辺の露天風呂は貸し切り状態。あぁ満足。
 
 霧降高原の牧場でソフトを食うが、あまりたいしたことはない。このあと事件発生。今市で道に迷って高速のインターに入り込んでしまい、路側帯約1キロほどバイクを押して脱出(当時は高速2人乗り禁止)。下りの坂道だからよかったものの、これが坂道だと思うとぞっとする。それでもバイクを押していると汗が吹きだす。ハイウェイパトがこなかったのも幸いした。注意1秒、高速迷いで汗1升というところか。
 8時頃に小山につく。そのあと、12時ごろまで4人で飲む。


1997年7月10日

2024年12月07日 | 1997年
7月10日(木)
 軽井沢まで走るが雨にたたられる。目的の碓氷峠までの旧中山道は通行止め。ややがっかり。横川で釜飯を食うまではよかったが、そのあとはひたすら雨。妙義山にいく道も土砂崩れで、ここも通行不可。小雨の中、下仁田の町中でコンニャクを買う――JA直営の別の店で、ここの刺身コンニャクのことを聞いて地図をもらっていた。ミカホ林道を横切るつもりで、峠に向かったが雨が激しくなり、しばらく廃屋の軒先で雨宿り。結局、引き返して下仁田から高速にのるが、この日に限ってカッパをもってきていないので非常につらい。おまけに電光掲示板には、事故渋滞10キロとある。しょうがないので、上里PAで休憩。

 そのうちに渋滞も解除になるだろうと気楽にカレーなどを食う。ところが、建物内にある掲示案内に、今度は別の事故で通行止めとテロップが流れる。次のインターで下りて254をたらたら走るか、通行止め解除までPAで待機するか。迷う。テレビはちょうど大相撲を中継している。若の花の取り組みを観戦。事故のことは忘れて見入る。このままPAで待機することに決める。事故の内容は、大相撲が終わったあととのNHKのニュースで知る。

 どうやらトラックの横転事故らしい。結局、そのあと雑誌を買ってヒマをつぶすが、なかなか解除のテロップが流れない。それでも高速の本線はすごい数の車が走っている。午後7時くらい、雨も止んだころに、いけるところまでいこうと走りだすが、数キロもいかないうちにびっちりと渋滞。車はぴくりとも動かない。すり抜けで10キロ以上走る。

 先頭は事故現場。ところがまさにそこに到着したとたんに、事故処理車の拡声器が通行止め解除をアナウンス。
「……これより通行止めを解除します。先導車のあとについて走行して下さい。安全確認のため、先導車より先に進まないで下さい」
 事故処理車のワンボックス車のすぐあとを走る。時速80キロくらいだが、先頭は非常に気持ちがいい。後ろからあおる車もなし。先導車はそれぞれの車線にいて、他にもバイクが2台ほど併走している。10キロほど走ったところで、先導車は100キロほどのスピードになり、乗用車やトラックがあとに続く。こちら無理をしないで、そのまま80キロで走行車線を走る。次々に車が追い抜いていくが、新座料金所は滞ることなくスムーズに通過する。
 かなり疲れたが、いい経験をする。