拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ちゃんぽん(よいお年を!)

2016-12-31 09:29:50 | 音楽

曇天も風情がある(一枚目)。雲一つない快晴はこの時期いかにも寒そう(二枚目)。美味しそうな雲が浮かんでる日もある(三枚目)。昨日、通唱会(二つ前の記事参照)の帰り、夜空を見たら星が一個。思わず、Es gibt im Himmel einen シュテッレ……ん?どこかおかしい。あっ、イタリア語がまざってた。しかもstellaのsをシュと読んで語尾をeにして勝手にドイツ語っぽくしてその気になっていた(正しくはStern。Stelleもちゃんとあって意味は別)。最後までちゃんぽんな私であった。最近、いろんなことの「ちゃんぽん」こそが私の(よく言えば)持ち味のような気がしてきた。これからも「ちゃんぽん」でいくこととしよう。では、皆様、良いお年を!

今年聴きに行った演奏会回顧

2016-12-31 09:28:53 | 音楽
今年、聴きにいったコンサートを回顧。大昔のように平均週に1回といったペースではないが、どれも心に残るものばかり。その中でいくつか。まず、いつもお世話になっているピアニストのS先生関係のもの二つ。一つはピアノ連弾によるヴァルキューレ全曲。S先生の超絶技巧(総譜を見ながらもう一台が弾かないパートを拾う)はもちろんだが、ブリュンヒルデの高音がとてもよかった。その方は大昔、教育テレビで放送されたフィッシャー・ディースカウの公開レッスンで生徒役で出てた方だった(古いビデオを引っ張り出して確認した)。もう一つは、珍しいイタリア音楽を紹介するというシリーズもので、レスピーギの「ルクレツィア」ってオペラがとっても面白いものだということを教えてくれた。それから、山内房子さんのコンサート。山内さんが発掘した作者不詳の「聖アポリナーレ教会のレクツィオ」。山内さんの素晴らしい歌唱とあいまって大いに感動した。そういった曲を発掘する山内さんもすごいと思った。世の中には埋もれた名曲がごまんとあるんだな、と思い知らされた。それからグルベローヴァ。コンサート時は69歳(私と誕生日が一緒だから、ついこの間70歳におなりになった)。衰えてたらやだな(ファンとして)、どうしようかな、と思いつつ、「ノルマ」「オペラ・アリア・コンサート」「ピアノ伴奏のリサイタル」と結局全部聴きにいった。行って本当によかった。まだまだ全盛、いや、これから再び全盛期に突入との実感を得た。私的には、最後のピアノ伴奏のリサイタルが一番良かった。アンコールでグルベローヴァがヴァーグナーを歌い始めたときは心臓が止まるかと思った。そうそう、合唱仲間のFさん(御年80歳!お歳から言えばグルベローヴァに勝っている)がタミーノを歌われた発表会もあった。いつまでも上を目指して努力されているFさんに、Fさんから見ればはるかに若輩者の私は多くの勇気をもらったのであった。

バロックトランペットと並んで歌う♪(ロ短調の通唱会)

2016-12-31 08:13:19 | 音楽
昨日はロ短調ミサ(バッハ)の通唱会。他の通唱会もそうだが、われわれが楽しく歌えるのはスタッフのみなさんのご尽力があればこそ。感謝です。合唱はアルトで参加。多くの合唱団では珍しい目で見られる(ひどいとこだと、いかがわしい目で見られる)カウンター・テナーが私を含めて三人。去年はどこの通唱会でも男アルトは私一人だったが、今年はどこでも複数。カウンターではない普通のテナーだって多くの合唱団では絶滅危惧種だが通唱会には立派な声がたくさん集まってくる。いるところにはいるもんだ(私がやってるシュッツを歌う会=テナー募集中)。さて、通唱会はパートを問わずアリアは歌い放題で、いつもはソプラノを除くアリアを全部歌うのだが、この日のバス、音色も声量も超立派な大軍勢(大天使ミカエルが引き連れてきた?)。こりゃあ、聴いてる方がいいや、とバスのアリアは歌わず、代わりにソプラノのアリアを歌った。バロック・ピッチだから高音が楽(バロック・ピッチが広がればいいなぁ)。後半、歌う場所を少し移動したら、なんとバロックトランペット三本とお隣同士になった。普通だったらお隣は合唱団員であるところ、そこにトランペット奏者がいる、って感じ。それでいて、その音は実に耳に優しい。昔、サントリー・ホールのオープニングで、Rシュトラウスが日本のなんかの儀式のために書いたという曲が演奏されて、そのとき客席のあちこちにトランペットチーム(モダン楽器)が配置されて、で、私の真後ろにも一団がいて、そのやかましいことといったら。あからさまに耳をふさぐ聴衆もいた。Rシュトラウス好きの私だがこれはかなりの減点であった。今回そういうことが全然なく、最後の「Dona nobis pacem」も優しい管の音に包まれながら歌うという希有な体験をさせてもらって幸せな私であった。