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こんばんは!中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
明日から大阪で3日間、大手企業の企業研修があるため、大阪に来ています。
今は谷町四丁目です。
さて、本日のブログは「もしかすると僕の命を伸ばしてくれたかもしれない僕の親友の弟さんへ捧げる!」という題でお届けします。
今日、一通のハガキがうちに届きました。
僕の親友からの喪中のハガキでした。
その内容は彼の祖父母やご両親ではなく、弟さんがお亡くなりになって喪中なので新年のご挨拶がご遠慮したいという内容でした。
弟さんの年齢はまだ非常にお若い年齢です。
その年令以下では日本では数パーセントしかなくなりません。
本当に残念です。
僕の親友は中小企業診断士であり、僕と中小企業診断士受験勉強を同時に始めて、3年目、僕と同じ年に合格しました。
同じ受験校に1年目、2年目、3年目と通い、そして3年とも僕と一緒に勉強会を立上げ、友に必死に勉強した魂の友です。
一緒に一日、12時間の勉強をする勉強会、「本気道場」を立ち上げました。
一日、がっつり勉強し、時には夢を語り、そしてお酒を飲み、そして同じ年合格したのです。
合格発表の日も二人で飲みに行き、浴びるほど美酒に酔いしれました。
合格後もお互いが中心メンバーとして診断士ネットワークを作り、運営をしたり、一緒にコンサルティングの仕事も行いました。
彼の勤務する会社での研修講師も紹介してもらいました。
彼は大手企業のITコンサルタント部門で非常に活躍していますが、非常に活躍しています。
そんな彼の弟は彼とは別の道を歩んでいました。
あの有名な日本料理界の名店、「吉兆」で板前として活躍し、そして自分の店も持っていました。
そんな弟さんの話は僕は折りにふれて聞いていました。
「やつは、素晴らしい腕だから」
「やつは普通の日本料理は出さないんですよ」
「やつの仕事だから安心して紹介できます」
やつという僕の親友の言葉の「やつ」という言葉には強い愛情と弟の仕事への絶対的信頼、そして違う道で成功している弟への誇りを感じました。
そんな僕の親友が数年前、新横浜で二人で飲んだ時。こんな話をしてきました。
もちろん、僕はそのことを決して忘れません。
僕はその時まで、お恥ずかしい話ですが煙草を吸っていました。
いつも吸っていたわけではなく、お酒を飲む場所だけで吸うというタイプです。
だから平均すると一日に換算すると数本でしょう。
それが僕の言い訳でした。
その時も、席に着き、僕は「久しぶり!」といって、たばこに火をつけました。
その瞬間、僕の親友がいつになく真剣な表情でこう切り出しました。
「あおちゃん。ちょっと聞いてくれるか」
そういって話し出しました。
「実は弟ががんになってね。
気管支についたがんで、もう場所と大きさから外科手術ができない状態なんだ。
あとは、放射能療法や抗がん剤や漢方や食事療法など、あらゆる努力はしていくつもりなんだけど、そういう状態なんだ。
やつは喫煙者でね。結構なハードスモーカーなんだよね。」
僕が「そうなんだ」と言って、言葉を探していると親友はこう続けました。
「俺はあおちゃんの家族でもないからこんなことをいう資格はないのかもしれないけど、もし、今回のことで弟を亡くし・・・。
そして、もし親友のあおちゃんにももし何かあると俺は耐えられない。
煙草をやめてほしいという資格は俺にはないかもしれないけど、あおちゃんのハードすぎる仕事ぶりも含め、もうすこし健康に気を使って生きてほしい」
そう言われました。
僕はその直後、火をつけたまま、口に含むのを忘れていた煙草をもみ消し、こう言いました。
「ありがとう。
今ので、俺は煙草を吸う気持ちじゃなくなることができたよ。
俺、経営コンサルタントとして、できるかわからないことを約束するのはいやだけど、
それでも今日、今の話を聴いて煙草を吸う気持ちじゃなくなったから、そういう気持ちになるまではやめてみるよ。」
と言いました。
それから数年。
僕はそれから一本の煙草も口にくわえていません。
そういう気持ちじゃなくなったからです。
それから2,3年たって、僕に声帯ポリープが出来ました。
これは講師や歌手にはつきものなもので、年間214日も講師登壇して入れば、それはポリープくらいできるのでしょう。
もちろん、良性のもので、医者には「手術してもそれだけ講師登壇していればまたできるし、手術したら1か月は仕事できなくなるので、このまま様子を見たほうが良い」と言われ、様子を見ています。
しかし、そういう状態の喉に煙草がいいわけはなく、その数年前に煙草をやめることができて本当に良かったと思っています。
その後、親友の弟さんは一度は治療のかいがあって、気管支についていたがんが一度、全く消えるところまで回復し、また仕事を元気にしているというふうに聞いていました。
それでも、結局、お亡くなりになったということで大変残念です。
本当にお悔みのいいようもないですが、それでも。
僕が親友から弟さんのお話を聴き、そして、親友の僕を想う気持ちを聴いて、たばこをやめることができたのは事実です。
そして、医学的な根拠はともかく。
その事実は僕の寿命をいくばくか長くしてくれたはずです。
親友と、そしてその弟さんに。
今更ながら心からのお悔みとねぎらいとそして感謝の気持ちを表したいと思います。
ご本人も、そしてご家族も本当に闘病生活大変だったでしょう。
長い間、お疲れ様でした。
本当にありがとうございました。
僕は、その長くなった命を、全力で自分や家族のためだけでなく、社会のために、日本のために、世界のために貢献していきたいと思います。
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明日から大阪で3日間、大手企業の企業研修があるため、大阪に来ています。
今は谷町四丁目です。
さて、本日のブログは「もしかすると僕の命を伸ばしてくれたかもしれない僕の親友の弟さんへ捧げる!」という題でお届けします。
今日、一通のハガキがうちに届きました。
僕の親友からの喪中のハガキでした。
その内容は彼の祖父母やご両親ではなく、弟さんがお亡くなりになって喪中なので新年のご挨拶がご遠慮したいという内容でした。
弟さんの年齢はまだ非常にお若い年齢です。
その年令以下では日本では数パーセントしかなくなりません。
本当に残念です。
僕の親友は中小企業診断士であり、僕と中小企業診断士受験勉強を同時に始めて、3年目、僕と同じ年に合格しました。
同じ受験校に1年目、2年目、3年目と通い、そして3年とも僕と一緒に勉強会を立上げ、友に必死に勉強した魂の友です。
一緒に一日、12時間の勉強をする勉強会、「本気道場」を立ち上げました。
一日、がっつり勉強し、時には夢を語り、そしてお酒を飲み、そして同じ年合格したのです。
合格発表の日も二人で飲みに行き、浴びるほど美酒に酔いしれました。
合格後もお互いが中心メンバーとして診断士ネットワークを作り、運営をしたり、一緒にコンサルティングの仕事も行いました。
彼の勤務する会社での研修講師も紹介してもらいました。
彼は大手企業のITコンサルタント部門で非常に活躍していますが、非常に活躍しています。
そんな彼の弟は彼とは別の道を歩んでいました。
あの有名な日本料理界の名店、「吉兆」で板前として活躍し、そして自分の店も持っていました。
そんな弟さんの話は僕は折りにふれて聞いていました。
「やつは、素晴らしい腕だから」
「やつは普通の日本料理は出さないんですよ」
「やつの仕事だから安心して紹介できます」
やつという僕の親友の言葉の「やつ」という言葉には強い愛情と弟の仕事への絶対的信頼、そして違う道で成功している弟への誇りを感じました。
そんな僕の親友が数年前、新横浜で二人で飲んだ時。こんな話をしてきました。
もちろん、僕はそのことを決して忘れません。
僕はその時まで、お恥ずかしい話ですが煙草を吸っていました。
いつも吸っていたわけではなく、お酒を飲む場所だけで吸うというタイプです。
だから平均すると一日に換算すると数本でしょう。
それが僕の言い訳でした。
その時も、席に着き、僕は「久しぶり!」といって、たばこに火をつけました。
その瞬間、僕の親友がいつになく真剣な表情でこう切り出しました。
「あおちゃん。ちょっと聞いてくれるか」
そういって話し出しました。
「実は弟ががんになってね。
気管支についたがんで、もう場所と大きさから外科手術ができない状態なんだ。
あとは、放射能療法や抗がん剤や漢方や食事療法など、あらゆる努力はしていくつもりなんだけど、そういう状態なんだ。
やつは喫煙者でね。結構なハードスモーカーなんだよね。」
僕が「そうなんだ」と言って、言葉を探していると親友はこう続けました。
「俺はあおちゃんの家族でもないからこんなことをいう資格はないのかもしれないけど、もし、今回のことで弟を亡くし・・・。
そして、もし親友のあおちゃんにももし何かあると俺は耐えられない。
煙草をやめてほしいという資格は俺にはないかもしれないけど、あおちゃんのハードすぎる仕事ぶりも含め、もうすこし健康に気を使って生きてほしい」
そう言われました。
僕はその直後、火をつけたまま、口に含むのを忘れていた煙草をもみ消し、こう言いました。
「ありがとう。
今ので、俺は煙草を吸う気持ちじゃなくなることができたよ。
俺、経営コンサルタントとして、できるかわからないことを約束するのはいやだけど、
それでも今日、今の話を聴いて煙草を吸う気持ちじゃなくなったから、そういう気持ちになるまではやめてみるよ。」
と言いました。
それから数年。
僕はそれから一本の煙草も口にくわえていません。
そういう気持ちじゃなくなったからです。
それから2,3年たって、僕に声帯ポリープが出来ました。
これは講師や歌手にはつきものなもので、年間214日も講師登壇して入れば、それはポリープくらいできるのでしょう。
もちろん、良性のもので、医者には「手術してもそれだけ講師登壇していればまたできるし、手術したら1か月は仕事できなくなるので、このまま様子を見たほうが良い」と言われ、様子を見ています。
しかし、そういう状態の喉に煙草がいいわけはなく、その数年前に煙草をやめることができて本当に良かったと思っています。
その後、親友の弟さんは一度は治療のかいがあって、気管支についていたがんが一度、全く消えるところまで回復し、また仕事を元気にしているというふうに聞いていました。
それでも、結局、お亡くなりになったということで大変残念です。
本当にお悔みのいいようもないですが、それでも。
僕が親友から弟さんのお話を聴き、そして、親友の僕を想う気持ちを聴いて、たばこをやめることができたのは事実です。
そして、医学的な根拠はともかく。
その事実は僕の寿命をいくばくか長くしてくれたはずです。
親友と、そしてその弟さんに。
今更ながら心からのお悔みとねぎらいとそして感謝の気持ちを表したいと思います。
ご本人も、そしてご家族も本当に闘病生活大変だったでしょう。
長い間、お疲れ様でした。
本当にありがとうございました。
僕は、その長くなった命を、全力で自分や家族のためだけでなく、社会のために、日本のために、世界のために貢献していきたいと思います。
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