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こんばんは!中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日2つ目のブログは僕のサラリーマン時代の思い出についてです。
僕は一部上場のメーカーでサラリーマン時代は勤務していました。
これは僕が二十代半ば過ぎでベトナムに工場を立ち上げるという仕事を担当していた時のことです。
僕の直属の上司は生産部門の部長でしたが、当時、そこには伝説の常務がいました。
都立大出身のその常務は研究開発から生産部門と理系畑を一貫して歩んでいましたが、会社でもとても有名な人でした。
豪快で、歯に着せぬ物言いの方で、やることも豪快。数々の伝説をお持ちの方でした。
それでも人を寄せ付けるオーラにあふれ、細やかな気遣いも出来る方で、皆から愛されていました。
当時、その常務は日本酒の会というのを開いていて、お歳暮でもらったり、自分が買い集めたいい日本酒をたくさん集め、そして本社も工場も役員の方も平社員も集めて、その日本酒をふるまってくれるのですが、その日本酒の会に参加するためにはある儀式を通過しなければいけません。
AとBのビーカーに銘柄を隠して、片方には高級日本酒、片方には安物の日本酒を入れて、飲み比べ、どちらが美味しいかあてて、高級のほうがあたらないと参加できないという(笑)。
過去に安物をうまいといった人はいなく全員参加できるのですが(笑)。
僕たち二十代の若者も引き連れて、よく飲みにつれていってくれました。
日本酒の会の後も、役員や部長、課長などもいるのに若者だけ引き連れて、二次会、三次会と連れて行って、よく全員分ごちそうしてくれました。
「あいつらとはいつも顔合わせてるんだからよ。別にいいんだよ。」というのが口癖で、僕たち若い社員の意見などを真剣に聴いてくれました。
僕は中国出張にもお供したことがあります。
僕と僕の一つ上の社員、そして常務と3名でいくことになり、なんと香港までの飛行機はエグゼクティブになりました!!!!
結果、3日前に常務は一足先にいくことになり、僕は若手2名でエグゼクティブクラスに乗る贅沢にあやかることになりました。
本当に素晴らしい経験で、飛行機で調子に乗って高級なお酒を飲みすぎて、香港についたときはへろへろでしたが・・・。
香港から深センに入り、中国の工場に行きましたが、当時はまだ、ホテルもあまり質が良くなく、シャワーも赤茶色の水で、しかもちょろちょろしか水のようなお湯しかでず、そのことをいうと常務に「バカヤロー。お前らはアマちゃんだな。大体、中国でフロ入ろうっていうのが間違いなんだよ。俺なんて、中国で一度も風呂入ったことねーぞ!」と変な自慢をされて、反省するやら???となるやら。。。。。
(大体、一週間の出張でなぜ30cm×40cmくらいのカバン一つで間に合うのかがわからん。着換えないのか)
そんな豪快な常務でしたが、ある時僕が叱られたことがあります。
当時、僕は会社の利益につながると僕は考えるある提案をしようと思っていたのですが、直属の上司から「過去の経緯もあるし、そういう変更については特に考えなくてもいい。」と言われ、何度かお話をしたのですが、なかなか理解されないし、それではしょうがないかなと思っていたことがありました。
まあ、会社のサラリーマンだし、上司が最終的に決定権を持っているのだから、最期は強く否定されたのでしょうがないかなと。
ある時、常務も含め、数名で飲んでいてたまたまその話になり、僕が「この提案がいいと思ったが、何度か説明したものの、理解されないのでしょうがないと思っている。」という話になりました。
そうすると、常務は黙っていてこういいました。
「おめーは本当にそれでいいのか?」
と。
僕は「もちろん自分としてはこの提案はいいと思いますが、決定するのは上司なので、その判断には従うべきだと思っています。」というと、こう叱られました。
「ばかやろーーー。その程度しか思いもねーから伝わらねーんだ。
自分がこうと思っているなら、なんでそれを簡単にひっこめるんだ。
仕事なんてそんなあめー気持ちでやってくものじゃねーんだよ。
しかも、わけーうちからそんなことでどうするんだ。
自分が正しいと思うなら、自分の時間を使ってでも徹底的にその正しさを証明するものをさがして、あの手この手で、何度も真剣にぶつけんだよ。
そうしたら相手に正しさだけじゃなくて、情熱が伝わるんだよ。
自分が本当にそう思うなら、最後までやってみろよ!」
と言われました。
僕は元々、自分の意見を簡単にひっこめるタイプではないのですが、これは胸にしみましたし、自分の甘さを痛感しました。
自分は難しい交渉から逃げただけで、本当に徹底的に正しさを証明もしていないし、情熱も伝えていないのは明白だったからです。
その後、その提案については、うまく取り入れてもらえるように常務が密かに根回ししてくれたことも後で聴きました。
とても立派な、尊敬できる常務はその後、御病気で亡くなられて何年もたちました。
それでも、その常務に教えていただいたことは僕の中に多く残っています。
豪快さと繊細さ。
果断な決断力と人間に対する愛。
そういうものを兼ね備えていたその常務のいろんな話を時々僕は思い出すのです。
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こんばんは!中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日2つ目のブログは僕のサラリーマン時代の思い出についてです。
僕は一部上場のメーカーでサラリーマン時代は勤務していました。
これは僕が二十代半ば過ぎでベトナムに工場を立ち上げるという仕事を担当していた時のことです。
僕の直属の上司は生産部門の部長でしたが、当時、そこには伝説の常務がいました。
都立大出身のその常務は研究開発から生産部門と理系畑を一貫して歩んでいましたが、会社でもとても有名な人でした。
豪快で、歯に着せぬ物言いの方で、やることも豪快。数々の伝説をお持ちの方でした。
それでも人を寄せ付けるオーラにあふれ、細やかな気遣いも出来る方で、皆から愛されていました。
当時、その常務は日本酒の会というのを開いていて、お歳暮でもらったり、自分が買い集めたいい日本酒をたくさん集め、そして本社も工場も役員の方も平社員も集めて、その日本酒をふるまってくれるのですが、その日本酒の会に参加するためにはある儀式を通過しなければいけません。
AとBのビーカーに銘柄を隠して、片方には高級日本酒、片方には安物の日本酒を入れて、飲み比べ、どちらが美味しいかあてて、高級のほうがあたらないと参加できないという(笑)。
過去に安物をうまいといった人はいなく全員参加できるのですが(笑)。
僕たち二十代の若者も引き連れて、よく飲みにつれていってくれました。
日本酒の会の後も、役員や部長、課長などもいるのに若者だけ引き連れて、二次会、三次会と連れて行って、よく全員分ごちそうしてくれました。
「あいつらとはいつも顔合わせてるんだからよ。別にいいんだよ。」というのが口癖で、僕たち若い社員の意見などを真剣に聴いてくれました。
僕は中国出張にもお供したことがあります。
僕と僕の一つ上の社員、そして常務と3名でいくことになり、なんと香港までの飛行機はエグゼクティブになりました!!!!
結果、3日前に常務は一足先にいくことになり、僕は若手2名でエグゼクティブクラスに乗る贅沢にあやかることになりました。
本当に素晴らしい経験で、飛行機で調子に乗って高級なお酒を飲みすぎて、香港についたときはへろへろでしたが・・・。
香港から深センに入り、中国の工場に行きましたが、当時はまだ、ホテルもあまり質が良くなく、シャワーも赤茶色の水で、しかもちょろちょろしか水のようなお湯しかでず、そのことをいうと常務に「バカヤロー。お前らはアマちゃんだな。大体、中国でフロ入ろうっていうのが間違いなんだよ。俺なんて、中国で一度も風呂入ったことねーぞ!」と変な自慢をされて、反省するやら???となるやら。。。。。
(大体、一週間の出張でなぜ30cm×40cmくらいのカバン一つで間に合うのかがわからん。着換えないのか)
そんな豪快な常務でしたが、ある時僕が叱られたことがあります。
当時、僕は会社の利益につながると僕は考えるある提案をしようと思っていたのですが、直属の上司から「過去の経緯もあるし、そういう変更については特に考えなくてもいい。」と言われ、何度かお話をしたのですが、なかなか理解されないし、それではしょうがないかなと思っていたことがありました。
まあ、会社のサラリーマンだし、上司が最終的に決定権を持っているのだから、最期は強く否定されたのでしょうがないかなと。
ある時、常務も含め、数名で飲んでいてたまたまその話になり、僕が「この提案がいいと思ったが、何度か説明したものの、理解されないのでしょうがないと思っている。」という話になりました。
そうすると、常務は黙っていてこういいました。
「おめーは本当にそれでいいのか?」
と。
僕は「もちろん自分としてはこの提案はいいと思いますが、決定するのは上司なので、その判断には従うべきだと思っています。」というと、こう叱られました。
「ばかやろーーー。その程度しか思いもねーから伝わらねーんだ。
自分がこうと思っているなら、なんでそれを簡単にひっこめるんだ。
仕事なんてそんなあめー気持ちでやってくものじゃねーんだよ。
しかも、わけーうちからそんなことでどうするんだ。
自分が正しいと思うなら、自分の時間を使ってでも徹底的にその正しさを証明するものをさがして、あの手この手で、何度も真剣にぶつけんだよ。
そうしたら相手に正しさだけじゃなくて、情熱が伝わるんだよ。
自分が本当にそう思うなら、最後までやってみろよ!」
と言われました。
僕は元々、自分の意見を簡単にひっこめるタイプではないのですが、これは胸にしみましたし、自分の甘さを痛感しました。
自分は難しい交渉から逃げただけで、本当に徹底的に正しさを証明もしていないし、情熱も伝えていないのは明白だったからです。
その後、その提案については、うまく取り入れてもらえるように常務が密かに根回ししてくれたことも後で聴きました。
とても立派な、尊敬できる常務はその後、御病気で亡くなられて何年もたちました。
それでも、その常務に教えていただいたことは僕の中に多く残っています。
豪快さと繊細さ。
果断な決断力と人間に対する愛。
そういうものを兼ね備えていたその常務のいろんな話を時々僕は思い出すのです。