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おはようございます。中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日は、あの勇気ある経営大賞を獲得した日本理化学工業特集NO2.意外性が感動を深めることについてです。
全社員のうち、知的障害者が74%。
障害者のうち60%は文字も数字も読めない重度の障害者。
障害者が生産ラインの班長を務める。
生産部門は課長以外、全員障害者。
障害者に、法律の最低賃金以上の高額賃金を全員に支払う。
それでいて、チョーク日本NO1シェア。
多くの伝説を持ち、そして、東京商工会議所の勇気ある経営大賞受賞。
世界でもっとも大切にしたい会社。
多くの称号を持ち、カンブリア宮殿などメディアで取り上げられまくる日本理化学工業に2月17日、いってきました。
その第一歩は、昭和34年。ある養護学校の教諭が日本理化学工業を訪れたことからはじまりました。
当時、大川会長は、大学を卒業して間がないのに、父親の会社を継ぐために専務として会社に入っていたそうです。
そんなとき、養護学校の教諭が訪れたそうです。
「うちの生徒を雇ってください。チョークなら簡単にできそうだから」
という養護教諭に、「いや。多くの薬品を使うし、危険な生産ラインもある。危なくて、とてもむりです」
と断ったそうです。
当時は知的障害者は「精神薄弱児」と呼ばれていた時代。
「精神が薄弱な人に無理です」と思ったそうです。
しかし、三顧の礼のように3度目に訪れた教諭が
「就職活動はあきらめました。しかしこれだけはお願いです。
15歳で就職できないと、彼らは、地方の施設に送られます。
親元から離れ、一生施設の中で暮らします。
一生、働く喜びを知らないで人生終わってしまうのです。
だから、一日、二日でも働かしてください」
心を動かされた会長は、一日、二日ではかわいそうなので、2週間、働いてもらうことにしたそうです。
2名の障害者の15歳の女の子が2週間の体験学習に来ました。
二人は仕事はできないけど、一生懸命働こうとします。
昼休みにみんなが食事に向かおうとしても、仕事をし続けようとします。
そんな一生懸命な姿が従業員の心をとらえます。
そして、2週間たった2名の女の子の就労体験の最後の日。
8名の従業員が、会長の部屋に来ます。
「専務。彼女達を雇ってください。15歳の女の子。自分達の娘のように思えて仕方がありません。あんなに一生懸命な二人の女の子が、これから親の元を離れ、施設で一生を終えるなんてかわいそうでなりません。あんなに一生懸命に働く二人です。僕達が仕事をできるようにします。あの子達の分も働きます。だからやとってあげてください。お願いします。たった二人だからなんとかなるでしょう。専務」
「専務、お願いします」
訴えかける従業員達。
日本理化学工業が変わった瞬間でした。
実はサプライズがありました。
会長がそんな話をしている途中、工場見学にいき、会長のお話を聞いてくれると、年配の女性がお茶をみんなに入れてくれました。
その時、青木が「ありがとうございます」とお礼をいうとにっこり頭を下げてくれました。
会長が、お話を止めると、
「皆さん、今、皆さんが飲んでいるお茶。
それを入れさせていただいたのは、あの時、採用した女の子の一人なんですよ。
今も元気に働いてくれています」
と。
感動しました。
そのお茶は、とても温かく、おいしく感じました。
その女の子にとって、あの昭和34年のあの瞬間。もし、会長が就労体験を受け入れなければ、従業員の皆さんが会長に掛け合わなければ・・・。
15歳で親元を離れ、施設に入り、一生を終えていたに違いありません。
そういうストーリーが感動させたのです。
そしてそれを生んだのは、「ちょっとしたサプライズ」
「ちょっとした意外性」なのです。
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全社員のうち、知的障害者が74%。
障害者のうち60%は文字も数字も読めない重度の障害者。
障害者が生産ラインの班長を務める。
生産部門は課長以外、全員障害者。
障害者に、法律の最低賃金以上の高額賃金を全員に支払う。
それでいて、チョーク日本NO1シェア。
多くの伝説を持ち、そして、東京商工会議所の勇気ある経営大賞受賞。
世界でもっとも大切にしたい会社。
多くの称号を持ち、カンブリア宮殿などメディアで取り上げられまくる日本理化学工業に2月17日、いってきました。
その第一歩は、昭和34年。ある養護学校の教諭が日本理化学工業を訪れたことからはじまりました。
当時、大川会長は、大学を卒業して間がないのに、父親の会社を継ぐために専務として会社に入っていたそうです。
そんなとき、養護学校の教諭が訪れたそうです。
「うちの生徒を雇ってください。チョークなら簡単にできそうだから」
という養護教諭に、「いや。多くの薬品を使うし、危険な生産ラインもある。危なくて、とてもむりです」
と断ったそうです。
当時は知的障害者は「精神薄弱児」と呼ばれていた時代。
「精神が薄弱な人に無理です」と思ったそうです。
しかし、三顧の礼のように3度目に訪れた教諭が
「就職活動はあきらめました。しかしこれだけはお願いです。
15歳で就職できないと、彼らは、地方の施設に送られます。
親元から離れ、一生施設の中で暮らします。
一生、働く喜びを知らないで人生終わってしまうのです。
だから、一日、二日でも働かしてください」
心を動かされた会長は、一日、二日ではかわいそうなので、2週間、働いてもらうことにしたそうです。
2名の障害者の15歳の女の子が2週間の体験学習に来ました。
二人は仕事はできないけど、一生懸命働こうとします。
昼休みにみんなが食事に向かおうとしても、仕事をし続けようとします。
そんな一生懸命な姿が従業員の心をとらえます。
そして、2週間たった2名の女の子の就労体験の最後の日。
8名の従業員が、会長の部屋に来ます。
「専務。彼女達を雇ってください。15歳の女の子。自分達の娘のように思えて仕方がありません。あんなに一生懸命な二人の女の子が、これから親の元を離れ、施設で一生を終えるなんてかわいそうでなりません。あんなに一生懸命に働く二人です。僕達が仕事をできるようにします。あの子達の分も働きます。だからやとってあげてください。お願いします。たった二人だからなんとかなるでしょう。専務」
「専務、お願いします」
訴えかける従業員達。
日本理化学工業が変わった瞬間でした。
実はサプライズがありました。
会長がそんな話をしている途中、工場見学にいき、会長のお話を聞いてくれると、年配の女性がお茶をみんなに入れてくれました。
その時、青木が「ありがとうございます」とお礼をいうとにっこり頭を下げてくれました。
会長が、お話を止めると、
「皆さん、今、皆さんが飲んでいるお茶。
それを入れさせていただいたのは、あの時、採用した女の子の一人なんですよ。
今も元気に働いてくれています」
と。
感動しました。
そのお茶は、とても温かく、おいしく感じました。
その女の子にとって、あの昭和34年のあの瞬間。もし、会長が就労体験を受け入れなければ、従業員の皆さんが会長に掛け合わなければ・・・。
15歳で親元を離れ、施設に入り、一生を終えていたに違いありません。
そういうストーリーが感動させたのです。
そしてそれを生んだのは、「ちょっとしたサプライズ」
「ちょっとした意外性」なのです。
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