『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

簗田彦四郎(やなだひこしらう)

2019-11-05 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
簗田彦四郎(やなだひこしらう)

<現代仮名遣い>やなだひこしろう


不詳。

1582年2月木曾口で、木曾義昌・遠山久兵衛の軍勢

    に、織田長益・織田・織田孫十郎・稲葉貞

    通・梶原景久・塚本小大膳・水野忠分・簗

    田彦四郎・丹羽氏次が合流する。敵馬場昌

    房は深志の城に籠もり、鳥居峠の信長方に

    対陣する。

1582年3月織田信忠が高遠城を攻陥し上諏訪に進出

    すると、木曾口の木曾義昌・遠山久兵衛の

    軍勢に、織田長益・織田・織田孫十郎・稲

    葉貞通・梶原景久・塚本小大膳・水野忠分・

    簗田彦四郎・丹羽氏次たも深志城に軍勢を

    つめる。立てこもっていた馬場昌房は降参

    し織田長益に城を渡し退散する。


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