ママザウルスの行政書士への道

+むすめ(コザウルス)との のほほ~ん記

退院まで

2018-02-27 | 日記~いろいろ編
入院中に開幕した平昌オリンピックもついに終わってしまいました。「そだねー」や「もぐもぐタイム」は今年の流行語になるかしら?

ひたむきに頑張る選手たちの姿に一瞬自分のケガも忘れて楽しみました。そして、オリンピックの終盤は、退院し埼玉県へ帰って来てTV観戦することができました。

これも温かく励ましていただいた皆様のおかげ感謝!感謝!です。

突然始まった入院生活でしたが、同じ部屋の人(ナースステーション前の4人部屋、全員足の手術をする又はした人)にも恵まれ、想定したよりも楽しいことがありました。

認知症で耳の遠いおばあちゃんと看護師さんとのやりとりは、まるでコントで部屋中大笑いでした(@^▽^@)


↑ごはんにこんなメッセージがつくことも…。

手術の翌々日、体内で出欠した血液がたまらないように入れてあった血抜きの管がとれると、車いすに乗せてもらって動けるように…。

慣れない車いすで、狭い場所にはまったまま身動きできずにいたら、お見舞いにいらっしゃった一般の方が、車いすを押してくれました。

リハビリもすぐに始まり、平行棒につかまって片足で歩く練習をしてから、松葉杖になりました。

松葉杖歩行は杖をついたときに支える腕の筋肉はもちろん、ケガをした足を浮かしておく筋力や腹筋、体幹も鍛えられる全身運動です

初めはナースステーションまで歩こうとしても、すぐにぐらついてベッドへ舞い戻って来てしまいました。

それでも、退院した後のことを想定し、10歩進んでは休んで、大汗をかきながら(院内は暑い!)病院内をぐるぐるとよく歩きました。

そうしているうちに、関東の病院へ転院の予定が退院でよいことになりました。丁度3週間の入院生活でした。


↑看護士さんが探してきてくれた点滴バッグが入っていた段ボール。新潟から埼玉へ荷物を送るのに使いました。

実家へ退院の連絡をし「明日帰る。」と伝えると「迎えがどうのこうの…。」とババザウルスが言っているので「大丈夫一人で帰れるよ。」と言うと「ばかなこと言ってんじゃないよ。」とブチきられました。

「なぜ頭ごなしにそういう言い方をするの?」と言うと、今度は「じゃあ一人で帰って来なさいよ。」ということなので、途中まで一人で帰りましたが、結局はババザウルスに頼まれた妹が迎えに来てくれました。

心配してくれる人がいるって有難いことです。でも、これ以上心配をかけないよう自重しなければなりませんね。


久しぶりにぽこすけにも会えました(*T▽T*)

コザウルス…私がいない間「羽を伸ばす。」と言ってわりと元気?!「まあ、泣いていたよりいいや。」と思いましょう。




手術

2018-02-22 | 日記~いろいろ編
救急病院に搬送され、レントゲンを撮ると、やはり左の太ももの骨が折れていました。


↑ねじれるようにして膝の近くまでヒビが入っていました

関東に戻って手術ができるよう応急処置をしてほしい、と希望しましたが、すぐに帰ることができる状態ではないと諭されました。

そして、すねの骨を左から右にドリルで開けた穴に針金を通しヽ(ヽ ̄□ ̄)))))、針金の先に重りをつけてつま先側へ引っ張る、という救急処置がとられました。

これは骨折部を安定化させて、短縮を解消し痛みを軽減する効果があるそうです。これで手術の日まで3日間ベッドに繋がれた状態になりました。

次に、輸血を受けました。内出血による貧血が手術に耐えられないほど酷かったためです。献血をしてくれたどなたかや点滴のおかげで私は生かされているのだと実感しました。

手術については、骨折した部分をよい位置に戻し、プレートとネジで固定するということ、大きく皮膚を切るので大量に出血し大きなキズが残ること、合併症等の説明を受けました。そうしなければ一生歩けない、と言われました。

嫌でも手術をしない訳にはいきません。

手術をしていただく前に手術室で時計をみたのが午後3時、全身麻酔で意識を回復したのが午後8時30分頃でした。

長くて3時間半位の手術と聞かされており、手術に立ち会ってくれた妹は、4時間経っても5時間経っても戻ってこないのをみて「も、もしかして、死ぬの?」と思い看護士さんに様子をたずねたと言っておりました。

手術中輸血も受けたそうです。

手術をしてもら側は完全に意識がなく何もわからないうちに全てが完了しておりました。


↑手術後プレートやネジもしっかりと見えます。

この体内に入れたプレート、不具合がなければそのままでもよいのかと思っていましたが、日本では骨が繋がったら取り除くことが多いとのことです。

また、手術後長い期間を経過すると、プレートに骨や筋肉が被さり、取り除くのに労力や時間を要するため、手術後1年くらいで取り除くのが望ましいそう。

ということは、近い将来また手術しなければならない…がんばります。

転んだ後と19日ぶりのシャワー

2018-02-14 | 日記~いろいろ編

↑昨日の新潟県長岡市。雪空の晴れ間となりました。

新潟県の人にとって、冬の間青空が続く関東の天気は贅沢だ、ということです。

さて、前回スキーで転んだときのことまで書きましたが、その後のことです。

数百メートル先の方で待っているコザウルス(娘小学6年生)に「ママ足の骨が折れた。動けない。」と大声で叫びました。

何度目かでやっと声が届き「どうすればいいの?」とコザウルス。

私「パトロールの人を呼んでー。」

コザウルス「どうやって呼ぶのー?」と、こちらに登って来ようとする姿が。

仕方なくコザウルスに頼むのは一旦あきらめました。

しかし、空いているコースを選んで来てしまったためか、人を呼ぼうにも誰もいません。

やっと通ったスノーボーダーを見過ごし、次に通りがかったボーダーへ意を決して「すみません!」と声をかけました。止まってくれました。

ボーダー「どうしたんですか?」

私「パトロールを呼んでいただけませんか?」

ボーダー「わかりました。」と言って、ボーダーの仲間に「危ないからその人の所に立っていて。」と頼んでくれました。

これで遭難しない、少しほっとしました。

コザウルスが私の所まで登って来て、寒さで震えだした頃、ようやく救助隊が到着しました。

住所、氏名、生年月日、転んだ状況等ひととおり話し、さらにタンカーを待つこと数分。

スノーモービルが来るかと思いましたが、到着したの一艇の手漕ぎボートのようなもの。

応急処置で足を固定され、そのボートに入れられ、雪が入るからと蓋をされました。

棺桶に入った気持ちでした。

「途中揺れるので健常な方の足で踏ん張ってください。」と言われて、踏ん張りましたが、約6km下方にある救助センターまでは揺れに揺れ、このときが一番と言ってもよいほど痛かった!

それでも、痛いのは生きている証拠と思って耐えました。

コザウルスも救助隊員が引っ張るボートを追いかけて一緒に降りて参りました。

そして救急車の中、搬送先がなかなか決まらず湯沢から80km北に位置する長岡へ。

救助を呼んでくれたボーダーの方を始め、救助隊、救助センターの看護士さん(小学5年生の娘さんがいると言っていた)、救急車の中でお世話になった方、病院スタッフの方、家族、沢山の人達のおかげで今があります。

どうか皆さんによいことが訪れますように…

そして、昨日は19日ぶりにシャワーを浴びることができました。

毎日自由にシャワーできていたときが贅沢にさえ感じます。


バレンタインデーでお昼ご飯にデザートがつきました

事故率100%

2018-02-13 | 日記~いろいろ編
2月の連休、皆さんはいかがお過ごしでしたか?私は連休も今日もパジャマ姿で病院内をウロウロしています。

今日で手術から2週間経過。早く埼玉に帰りたーい!


↑これがあるおかげでウロウロできます。

スキーやスノボの事故率ですが、スキーやスノボで治療を要するケガを負う確率は、スキー場滞在447日につき1回という統計が、スコットランドで出ております。

それに対し、私はかなりの高確率で事故に遭遇しています。

しかも新幹線スキー2回の経験で2回とも事故っており、事故率100%?!

1回目は20年程前、暴走スキーヤーが後ろから突っ込んで来て、友達は肩を脱臼、私は頭を打ってめまいがひどく病院通いをしました。

そして、2回目は今回です。少し嫌な予感はしていたのです。それでも、まさか再び新幹線スキーでケガをする事はないでしょう、と不安を打ち消して来たのです。

しかし、そのまさかが起きるとは…

初めてのコースの上、時折ホワイトアウトになる天候、連日の積雪による深雪等、悪条件が揃った中、比較的緩やかな斜面で事故は起こりました。

コース上で突然深雪にはまって転び、スキー板は右方向へ、体は左方向へ行きました。

そこで無理な力が加わるとスキー板は足から外れるはずが、左足の板が外れなかったため、太ももの骨がミシッミシッバキッと折れてしまったのです。

変な方向を向いたまま全く動かない左足をみて「もう歩けないのかもしれない。」と思いました。

それでも、スキーやスノボは他のスポーツに比べると事故率の低い安全なスポーツのようです。

コザウルス(娘小学6年生)はスキーを始めた当初から必ずヘルメット着用ですが、こんな母を見ているとより慎重になるでしょう。


長岡は今日も雪です

35針

2018-02-10 | 日記~いろいろ編
北陸は大雪で、現在私のいる新潟県長岡市も記録的な大雪でした。

↑モノトーン加工したみたいな白黒です。

まるでかき氷を作るのを見ているように空からドバドバと雪が降りました。

窓から見える道路の端は自動車がすっぽり隠れてしまう高さまで雪の壁が出来ています。

山間部では雪崩の心配もあるようですが、ひどい災害とならないよう祈ります。

さて、手術から10日の昨晩、抜糸をしました。

医療用ステープラーで傷口をバチンバチンと留めてあるのを、専用の器具でひと針ずつ引っ張って取り除きます。

痛みは注射よりはちょっと痛い程度のガマンできる痛みです。

35針ほど留めてありました

これでまた一歩健常な身体に近づきました。