開場以来27年を経た新国立劇場の本舞台についにベッリーニが初登場した。これは驚くべきことで、日本のオペラ界がモーツアルトとヴェルディとワーグナー一辺倒でいかに「ベル・カント・オペラ」を軽視してきたかという証だと言って良いだろう。しかし一方で藤原歌劇団は1979年以来3回も「夢遊病」を上演し続け、その時々での最良の舞台を届けてくれているという事実もある。だからこれは、「日本のオペラ界」ではなく「新国立劇場」と言い直した方が良いかもしれない。しかし大野和士オペラ芸術監督の下でこうした日を迎えたからには、今後は毎シーズンに1演目くらいはベルカント物を組み入れてもらいたいと願うばかりである。(参考までにこれまで新国の本舞台にはドニゼッティは「愛の妙薬」(4シーズン)、「ルチア」(3シーズン)、「ドン・バスクアーレ」(2シーズン)の3演目、ロッシーニは「セビリアの理髪師」(8シーズン)、「ラ・チェネレントラ」(2シーズン)の2演目しかかかっていない)さて今回の待望の「夢遊病の女」だが、バーバラ・リュック演出のプロダクションでマドリードのレアル劇場、バルセロナのリセウ劇場、パレルモのマッシモ劇場との共同制作である。今回の演出上の特色は主人公アミーナの「夢遊病」発病の原因に立ち返り、ストーリーに病理学的観点を組み入れたことであろう。彼女はその孤児という出自から常に村人から阻害されて育った人間として描かれる。そして本来そんな境遇の慰めとなるべき愛人のエルヴィーノからも一度は捨てられて自暴自棄になりそれらが原因で夢遊病を患うという設定なのだと考えられよう。つまりスイス・アルプスの麓の山村におけるハッピーエンドのたわいないお話という単純な仕立てとは全く違う、極めて深刻な社会問題がそこに提示されるのである。常にアミーナにつきまとう舞踏集団の怪しげな動きは彼女の心の内面を表すのだろうし、常に鉄仮面を被ったような無表情で威圧的な村人達の存在(合唱団)は阻害の象徴だろう。そして普通ならば村人達から祝福されて終わる華やかな大団円ではついに自死の結末が暗示されることになる。代役の若手クラウディア・ムスキオはまさにアミーナに相応しい優しく繊細で美しく伸びやかな歌唱で聴衆の心を掴んだ。ベテランのアントニーノ・シラクーザは還暦を迎えたとはとても信じられない美声で見事な高音を聞かせた。お馴染み妻屋秀和も朗々たる伸びやかな美声で外国勢に立派に対峙した。伊藤晴のリーザはちょっと力が入り過ぎて伸びやかさに欠けたが、それは役作りのせいだったのかも知れない。谷口睦美のテレーザは役どころを締め、アレッシオの近藤圭もスタイリッシュな美声できめた。ベルカント・オペラのベテランであるマウリツイオ・ベニーニのピットは東フィルから繊細極まる表現を引き出し職人的な手腕で歌手達を支えた。出番の多かった新国合唱団はあえて無表情な唄を歌うという困難を見事にやり遂げた。そんな意味で音楽的にはとても満足できる仕上がりではあったのだが、2幕フィナーレの喜びの絶頂を歌うアミーナによるカヴァレッタの鮮やかな装飾音が暗澹たる舞台に虚しく響き渡るのを聞くのは大層辛かった。ストーリーを深堀りするも結構だが、私にはベッリーニの珠玉のような音楽が置き去りにされてしまっているように思えた。
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