休眠しました。

mem-papaのきままな自分用メモ帳
13年目に突入
固いこと柔らかいことそのとき

遺言。

2018-01-07 08:37:27 | books
養老孟司氏の「遺言。」年末、読みかけで
いた本。休みで最後まで読めた。

いま現在、こんなことを考えていますよ、
という本。社会に提言する目的でなく、
正解はこれ!でもなく、わたしはこういう
問題認識をしているがあなたはどう考え
ますか?という内容。
背景には哲学や思想しかり、また
柴谷篤弘氏・池田清彦氏の構造主義
生物学との関わりの思考なども自分は
感じた。なのでヒトについての長い思弁
があり、1つのテーマを柱としているが、
むしろ枝分かれした主題1つ1つが
主題だという理解でよいと思う。

主題の1つは「感覚所与」と「意識」、
感覚所与は、ただひたすらに、今現在を
提示し、すべては異なる、何一つまったく
同じはない、というありのままを提示し、
意識は、思考なので、そこから恣意的に
同一なる法則や規則、意味や文脈を
切り出して、世界を分類し階層化し、
同一化していく。意識は目的-意味であり、
そこでは過去も現在につながっているし、
同時に未来を決めていさえする。


他の方の書評を読んでみると
「あなたにとっての現実、物、事実
というのは、それも含めてあなたの脳内の
感覚所与であり、唯一客観的な事実では
ない」という点に唯物論者として
違和感らしい。
唯一客観とまでは
言わないが、それは脳でなく、あくまで
外側にあるはずと記述があった。
書評の方は、なぜ唯一客観といわ
なかったのだろう?
量子力学しかり、宇宙論しかり、そうした
知見はあるのでそこまで敷衍すると
おそらく範囲は限定したくなるのだ。
自分は誰を説得できるとも思わないが、
コードを決めた世界では唯物論的な事実が
成立している、皮膚感覚で生きていれば
事実は外にあり、ゆえに認識がイコール
ですよねと単純に成立すればいいのだ。
追記
わかりにくいので説明追加。
実験を計画し観察をする、あるいは
交通事故の検証のためビデオレコーダー
を確認する。その際、測定器に測定され
る結果とは脳の外にあるではないか?
と問われてるのだとおもう。
→その結果を認識し判断するのは
あなたの脳。実験ノートに
連ねられる内容は書ききれないくらい
膨大だが最終的には意識が抽出して
だいたいのばあい合目的な問題に
ついて抽出、判断する。それが
意識にとって自明なものであれば
たくさんの人にとって当たり前で
感覚所与など無視できる イコール
脳の外にあると言ってなんの問題もな
くなる。逆に言ってそのような意味で
1次的な事実は感覚所与に依存してい
るし、観察結果とは意識と感覚所与の
最良の調和点にあるという事態を
説明している。


虫の分類たとえは、自分なら人の性格
分類がしっくりくる。Aさんの性質に
ついて10人中5人が共有できる内容が
あったとして、それをどうグループ
化するか、なかなかクオリア問題だと
思う。
ゴリゴリ唯物な人はそもそもそんな
性質は誰もがあるもので同意できない
という。
こんなふうにして、心的な事象を扱い、
かつ同一なのか差違なのか?を思考
すると感覚所与と意識はわかりやすい。

唯物と唯脳と、観念論と、3つは
すべて違っていておもしろい。

氏が唯脳なのは、科学者として、
観念論に踏み込んだら、面倒だと
知ってての老獪さなのだ的なことを
以前、池田晶子氏が書いてたが、
氏はその上で老獪なのでなく、
難解な問題に魅せられるけどあえて
池田清彦氏のようにどっぷりそこに
挑戦するよりは、むしろ発生について
簡単にわかりそうにないことだから
やめたと書いているように
単純に言えることの領域で考えて、
むしろ明快さを集めて非凡な思考
を展開するのが得意技なのだと思う。
簡単にサラッと書いてるがこちらが
さらっと飲めないのはそこまで吟味
咀嚼した理解になってないからだろう。
ときどき読み返して考えると
理解が変わっていく予感がする。

後半で、生物とは物理化学の学では
なく、情報学なのであるは、4つの
塩基と20のアミノ酸の関係だって
このコードはこのアミノ酸なのだか
ら、たしかに物理化学的必然はなく
規則が固定されていさえすればよく
いわば、指示対象と実態があり、
その関係は恣意的であればよかった。
となれば、ソシュールのシニフィエ
とシニフィアンの関係に相似…
の構造主義生物学の主張に
つながるのだった。

ウィキペディアの構造主義生物学
より引用






「現象をインバリアント(不変)で
ユニバーサル(普遍)なものに押し込めた
いという欲望」は、本書でも様々なたとえ
を引用して述べられてたとおもう。

デジタル社会と昆虫の行動と相似で説明
する視点は新鮮だった。なにか知能の
高いことやっている意識で饒舌な言説
がはびこるけどバッサリそんなものだよ
ってとこが気持ちよい。

なにか社会のことを考えるときの視点とし
て、科学について個別の専門家の話を知
っても不足な世の中になった。
実験と意識と感覚所与というような
メタ科学な話は
研究者だけが表向きの仕事を離れて
内輪で共有されていれば依然はよかった。
そこに書の命がある気がする。