今日は2Fの屋根とカーポート屋根の除雪でした。カーポートは力任せに除雪するとかなり左右方向に揺れますので、そっとやりました。そしてローラー台の前に飲酒が始まったので、明日に回します…って、またかいワレ(^^;
ボヤ~と見てたらみけまゆみさんが珍しく(?)硬調なことを書かれてました。
心や魂優先の時代にしなくては
よく賛同できます。この記事の最後に少し言及します。
で、上記の文中途中のリンクで「
メルトダウンを防げなかった本当の理由
──福島第一原子力発電所事故の核心」
を読みましたが、これは通して読むとおもしろいですよ。冒頭の
"東京電力が「津波に襲われた直後には、すでにメルトダウンを起こしていた」との「仮説」を唐突に発表したのである。もしこれが本当だとすれば、事故の原因は「地震と津波」に帰されることになる。その天災に耐えられない安全基準を定めたものに責任があったとしても、その忠実な履行者であれば東京電力が責任を問われることはないだろう。
これは、東電にとって都合の良いシナリオである。マスメディアは、このことに気付き、その「仮説」の妥当性について厳しい検証を加えるであろうと期待した。ところが実際には、ほとんどメディアは東電シナリオをそのまま受け入れ、むしろ「仮説」を「事実」として一般の人達に認識させるという役割を果たしてしまった。"
ここだけでグイグイ興味が湧いて読みました。
興味ある方はオススメです。
最後のほうにある日比野氏によると前置きのある
"そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている。これこそ事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じ手順であり、何の対策にもなっていない。この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。この国の原子力経営システムの闇は深い。"
は重要な指摘だと思います。
” この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築きあげる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村に戻れない。それが日本の病だ。
しかし、世界はもう、…(中略)…日本はブレークスルーの機会を与えられた"
と結んでいます。結論が日本の産業システム云々、広く一般化されていることについては補足したい気分に駆られます。NHKが伊方原発訴訟を取り扱った番組の中で、面白いことに第一審の判決理由が国の意向を上手に表現していて、曰く「原子力政策は高度に政治的な判断を含むため、住民に関係するものであっても、その裁量行為は国側のものである」。ローカルなある地域の住民の命を深刻に取り上げるより、重要な政策というものがあるのだということです。
保安員の方の証言もありましたが当時は、技術をよくわからない人にいたずらに危険な側面を語ると大騒ぎになるからやめようというムラの暗黙の掟があったという。
メルトダウンの危険性が取るに足らないことの証言には、米国の論文を提出していたようですが、言ってしまえば冷却のポンプを起動させようとしたのに、それが起動しないことが発生する確率のようなことを計算して、10の7乗分の1以下だから、取るに足らないという説明になっていた。
そーいう当時の記録なり証言なりをいろいろ知っていくと、これは政府がどうとか原子力保安院がどうとか、個別なことではなく、敗戦から高度経済成長を目指す日本というのは、全体的にこうだったし、一組織の責任云々という問題より広く一般的に、こうなるだろうな、という話として理解できた。
住民の命の問題と、経済成長のための大事なエネルギーの問題と、どう秤にかけるかというのは、これまでは国民に政治が問う社会でもなかったし、もっと言えばお金と人の命の関係については、未だ問われることもないですがそんなに自明ですか?、誰かまかせでいいのですか?というところを、先出のみけまゆみさんは語ってるわけです。
なんと言ったらいいでしょう~一人一人の意識での詰めが最初に足りない、で同時に集団的な問題でもありますし…簡単に切り結べる言葉がありません。自分でも考えることがまだまだ不足しているなと思う。