政治家パーティ券、大谷で遠ざかった喜多川事件。
毎日新聞ネット記事から。
喜多川が少年たちをさそったワシントンハイツ。
当時、私はここに在住の米の子供のお誕生日パーティに
招待された。幼稚園が一緒だったから。
まさにアメリカだった。日本にはない、おいしいお菓子、
ジュースを初めて飲んだ記憶が今も残っている。
喜多川はここで働いていた?なぜ、ここにいたのか?
謎が多い経歴。当時からお菓子でつり、少年をもてあそんでいたのだろう。
亡き服部良一の次男も被害にあった。喜多川は20代
まだ名が売れていない頃、70年前から性犯罪を
ワシントンハイツ内でも堂々と行っていたと感じた。
〇かつて東京・渋谷の真ん中に「アメリカ」があった。戦後、米軍が広大な土地を接収し、進駐軍兵士と家族用に造った居住地「ワシントンハイツ」だ。
1950年代、ジャニー喜多川氏はここに住んでいたという。旧ジャニーズ事務所のアイドルグループ第1号、初代「ジャニーズ」の少年たちと
58年、近くに住む少年たちがおもちゃの飛行機を飛ばしていたところ、1人の青年から声をかけられた。
この青年こそ当時20代後半のジャニー氏。少年たちは後の初代ジャニーズのメンバーとなる中谷良さんらだった。
後年、ジャニー氏の性加害を告発した中谷さんの著書「ジャニーズの逆襲」には、彼と出会った時の様子がこのように
~~ジャニー氏は「ニコニコとやさしいほほ笑みを浮かべ」近づいて来て、チョコレートをくれた。
大喜びする中谷さんたちにジャニー氏は
「僕の部屋においでよ。キャンディーだってガムだって舶来品が何でもあるんだよ。
僕と楽しいゲームでもして遊ぼう」と誘った。
連れて行かれたのは、ジャニー氏が暮らすワシントンハイツの宿舎の一室。
アメリカナイズされたセンスのよい部屋でアイスやお菓子をくれ、ビンゴやトランプで遊んだ。
それから、少年たちは学校から帰るとジャニー氏宅へ寄るようになり、~~
ワシントンハイツには門番がいて出入りをチェックしていたが、
「ジャニー喜多川」の名前を出せばすぐに入れてもらえたという。
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