あふれる残土、ドーム50個分

〇リニア中央新幹線が走る各県に歓迎ムードが広がる中、1人、

怒りが収まらない知事がいる。

 「静岡県の6人に1人が塗炭の苦しみを味わうことになる。

それを黙って見過ごすわけにはいかない」

 静岡県知事の川勝平太は、そう東海旅客鉄道(JR東海)を批判する。

 当初、川勝は「リニア推進派」だった。国土審議会の委員を務め、

JR東海系の雑誌でコラムを担当したこともある。

静岡を通過すると知って、いち早く南アルプスに登って視察した。

 だが、計画が明らかになり、関係は暗転することになる。

 リニアは静岡県北部の山中を11kmにわたってトンネルで貫く。

大井川の水源を横切るため、毎秒2トンの水量が減少するという。

水道水として62万人が利用しているが、毎年のように水不足に悩まされ、

昨年も渇水で90日近く取水制限をした。

 JR東海はトンネル内で出た湧き水を、導水路を掘削して大井川に戻し、

減量分の6割強を回復させるという。

 「全量を戻してもらう。これは県民の生死に関わること」。

そう言い切る川勝は、工事の着工を認めない。

〇 山梨県南アルプス市宮沢地区。104世帯の小さな住宅地をリニアが

縦断することが分かったのは4年ほど前のこと。自治会長の井上英磨は、

JR東海の尊大な態度に反発し「絶対に動かない」と突っぱねた。

 「ちょうどここをリニアが走る」。井上が両手を広げて示した場所には、

地神が祭られていた。地区内の立ち退き対象は7世帯だが、

残った人にも騒音や日陰の問題が起きる。宮沢地区は、自治会で

「住民の総意として反対」と決議し、JR東海の地区説明会の開催を拒否している。

 山梨県では甲府盆地を横断するため、地上に高架を建設する区間が長い。

そのため、住民との交渉は難航を極める。

 山梨県中央市の内田学も、4年前に自分の畑を通過することを知った。

 「もっと北を走ると思ってたのよ」

 そしてリニアのことを調べ始めた。技術者でもある内田は、

大量の電力を使ってマイナス269度で超電導状態にすることや、

その失敗によるクエンチ現象の事故を恐れた。

 「これは地球に挑戦状を突きつけるようなものだ」。

そして、反対する人々を募り、畑の桑を1本1000円で売って名札を付ける

「立木トラスト」を始めた。JR東海は、一人ひとりに同意を取らなければならない。

 「桑は神のように信仰されてきた。それを根こそぎ持っていけるのか」(内田)

 山梨県は1990年にリニア実験線の建設が始まってから、

すでに四半世紀が過ぎている。その間に、地元の人々は

リニア工事が引き起こす問題を間近で見てきた。

 〇慶応義塾大学名誉教授の川村晃生は、その歴史を追い続けてきた一人だ。

 「リニア実験線では、トンネルから出た500万m3もの残土の置き場に困った。

今回は5680万m3もの残土が出るが、どこに処分するのか」。

東京ドーム約50個分といわれる残土を置く場所がなければ、

掘り進むことができず、リニア計画は頓挫する。

 実験線に近い笛吹市の2つの巨大な谷が、残土で平らになるほど埋められていた。

「当時はアセスメントの概念がなかったから、こんなデタラメができた。

今回は許されないだろう」

 川村が注目しているのは、南アルプストンネルの掘削工事が始まっている

早川町だ。この町に行くには、門前町として有名な身延町から、

山沿いの一本道を走るしかない。途中で残土を積んだ巨大トラックと何度もすれ違う。

 町内には、すでに河原や空き地に残土が積み上がっている。

ゼネコン2社が、川沿いに残土を積み上げていた。一方は、12層にも積み上げるという。

「予定より遅れたが、あと1カ月ぐらいで終わる」。作業員はそう苦笑いした。

 早川町から出るリニア工事の残土は326万m3で、「半分は置き場が決まっている」(副社長の宇野)。

裏を返せば、まだ半分の残土の行き場がない。

 「知る限り、早川町にはもう、まとまった残土置き場がない。

そうすると、一本道を通って、延々と違う町まで運んでいくことになる」(川村)

 なぜ、小さな早川町が、巨大工事を認めたのか。

実は、昭和30年ごろ、ダム建設で町が潤った歴史がある。

だが、工事の終了とともに町は寂れていった。

 今回、リニアに協力したことで、念願だった北東に抜ける道路が建設される。

盛り土方式で造られ、残土の処分場も兼ねる。

だからだろう、JR東海が建設費の60億円超を負担する。

 「まるで麻薬漬け。地域の自然がJR東海にしゃぶり尽くされている」

近隣の住民はそうため息をつく。

では、なぜ巨費を投じて、JR東海はリニアという危険な挑戦に出るのか。

 「東海道新幹線のバイパス」。経営陣から現場社員までそう答える。

1987年に国鉄の分割民営化で東海道新幹線を軸としたJR東海が発足、

その取締役に就任した葛西敬之(現名誉会長)がリニア担当となる。

以降、一貫してこの考え方でリニア計画を推し進めてきた。

 当初は、64年にスタートした東海道新幹線が、半世紀近く大規模改修

していないことから、リニアというバイパスを造れば、

新幹線を止めて工事できると説明していた。

 ところが、JR東海の小牧研究施設で、土木担当者に聞くと、

「今の修繕技術で、東海道新幹線は半永久的に使い続けられる」という。

経営陣も「完全な取り換えはまずない」(宇野)と認める。

5年ほど前に、その結論に行き着いたという。

すでに大規模修繕工事を始めており、2022年度に終了する予定だ。では、なぜリニア計画をやめないのか。

 「1本の糸にぶら下がったクモじゃないけど、やっぱり2本あることの強み」(宇野)だという。

災害時のライフラインとしての重要性を主張する。「地下は地震の揺れに強い」(宇野)

 だが、落とし穴もある。

「リニアはコンコルドと同じ」。コンコルドはスピードばかりを追求したが、

コストが高く、騒音や排気ガスをまき散らした。

赤字続きで技術改良もままならず、事故を起こして廃止された。

 ちなみに、リニアの開発を日本と競っていたドイツは、

中国・上海でリニア鉄道を実現しながら、08年に国がリニア撤退を決めた。

コストが予定額を大きく超えることが分かったからだ。

年間4200億円のコスト

 翻って日本。

 1962年、国鉄時代からリニアの開発がスタートし、

73年には全国新幹線鉄道整備法で開発すべき路線として決定される。

国鉄の分割民営化後、JR東海と鉄道総合技術研究所が開発を引き継ぎ、

山梨県に実験線を建設する。ところが、地方の整備新幹線が優先され、

リニアは「夢」と消えようとしていた。

 そこに2007年、JR東海が「自己負担で建設する」とぶち上げる。~~