「それでも私はピアノを弾く」
NHKBS放映。特に好きではないが、ピアニストは誰もがうまいと思う。
手が大きい、私より、広げると6センチくらいは大きいのでは。
私は普通。これならオクターブ演奏も楽々。男性で外国人、演奏にも余裕がでる。
経歴なども知りたく録画鑑賞。長い放映。85年ショパンコンクールで
史上初19歳で優勝。66年、ロシア生まれ。祖父がピアニスト。
16歳からコンサート活動をしている。
優勝後、来日、アイドルのような人気ピアニストになり、90年代は世界をめぐった。
仕事がロシアでは自由にできず、アーティストの扱いは悪い。
外貨獲得のためのコンサートようだった。政府への不信。
友人と食事でも監視。KGBが見ている。閉塞感。収入は政府に抜かれる。
媚びをうればできたが、西へ行こうと決意、あるコンサートで母と一瞬のうちに、
少しの荷物で西ドイツへ亡命。現在はドイツ、ケルンに暮らす。
30歳から糖尿病1型というが、1は子供からでは?
インシュリンをうつ。03年、30代後半、左手が動かなくなる。難しい病名。
ひくことで炎症していた。その後すぐ転倒し、足首を骨折、
糖尿なので、治りにくい。切断しかないと言われたがある医師が
切断せず何とかつなげる手術をと、成功。左足が短くなった。
リハを何か月も続け、やっと杖で歩けるように。左手もだんだん回復。
9年かかった。妻は日本人だった!ドイツで知り合い結婚。息子は
スイスで理系の勉強。日本にも立派な家があり、妻がブーニンの
マネージャー、家事すべてをしている。
ピアノは今年のショパン優勝、ブルースが使用したイタリアのファツイオリ。
妻と話し復帰を目指す。日本で。
特性のペダルを作成、左足も可能に。厚い底の靴。杖も使いあるく。
6月、八ヶ岳高原音楽堂で9年ぶりのコンサート、250名がきた。
何度もきている場所。念入りな前練習、音の響きを確かめピアノの位置も動かす。
夜まで3,4時間練習し妻が心配する。
6月25日、当日、多数の昔からのファンの前で9年ぶりにコンサート、
曲はシューマン。アンコールは疲れて無理だったが、できた!
7月には都内、昭和大の2千人ホールでコンサート。アンコールはショパン。
またピアノを弾く、心が見えた。
1週間ひかなくても、大きいのでは。9年は長い。もうやめようと思ったことも。
それでも楽譜はほぼみず、すらすら弾く、すごいな~頭に音が入っている。
9年といっても、弾けない時期は数年だったのか・・
それにしても。日本語も少しでき、日本食が大好きだという。
まだ60前、これからもコンサート無理せずに。歩行も大事だな~
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