銀の人魚の海

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9年の空白を超えて スタニスラフ・ブーニン

2022-10-29 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など

「それでも私はピアノを弾く」

NHKBS放映。特に好きではないが、ピアニストは誰もがうまいと思う。

手が大きい、私より、広げると6センチくらいは大きいのでは。

私は普通。これならオクターブ演奏も楽々。男性で外国人、演奏にも余裕がでる。

経歴なども知りたく録画鑑賞。長い放映。85年ショパンコンクールで

史上初19歳で優勝。66年、ロシア生まれ。祖父がピアニスト。

16歳からコンサート活動をしている。

優勝後、来日、アイドルのような人気ピアニストになり、90年代は世界をめぐった。

仕事がロシアでは自由にできず、アーティストの扱いは悪い。

外貨獲得のためのコンサートようだった。政府への不信。

友人と食事でも監視。KGBが見ている。閉塞感。収入は政府に抜かれる。

媚びをうればできたが、西へ行こうと決意、あるコンサートで母と一瞬のうちに、

少しの荷物で西ドイツへ亡命。現在はドイツ、ケルンに暮らす。

30歳から糖尿病1型というが、1は子供からでは?

インシュリンをうつ。03年、30代後半、左手が動かなくなる。難しい病名。

ひくことで炎症していた。その後すぐ転倒し、足首を骨折、

糖尿なので、治りにくい。切断しかないと言われたがある医師が

切断せず何とかつなげる手術をと、成功。左足が短くなった。

リハを何か月も続け、やっと杖で歩けるように。左手もだんだん回復。

9年かかった。妻は日本人だった!ドイツで知り合い結婚。息子は

スイスで理系の勉強。日本にも立派な家があり、妻がブーニンの

マネージャー、家事すべてをしている。

ピアノは今年のショパン優勝、ブルースが使用したイタリアのファツイオリ。

妻と話し復帰を目指す。日本で。

特性のペダルを作成、左足も可能に。厚い底の靴。杖も使いあるく。

6月、八ヶ岳高原音楽堂で9年ぶりのコンサート、250名がきた。

何度もきている場所。念入りな前練習、音の響きを確かめピアノの位置も動かす。

夜まで3,4時間練習し妻が心配する。

6月25日、当日、多数の昔からのファンの前で9年ぶりにコンサート、

曲はシューマン。アンコールは疲れて無理だったが、できた!

7月には都内、昭和大の2千人ホールでコンサート。アンコールはショパン。

またピアノを弾く、心が見えた。

1週間ひかなくても、大きいのでは。9年は長い。もうやめようと思ったことも。

それでも楽譜はほぼみず、すらすら弾く、すごいな~頭に音が入っている。

9年といっても、弾けない時期は数年だったのか・・

それにしても。日本語も少しでき、日本食が大好きだという。

まだ60前、これからもコンサート無理せずに。歩行も大事だな~



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