中国、東西の最長国道、318号線を歩く旅。21日放映。
ディレクター季枕とカメラマンの二人。
東西を横断。2021年11月上海から。
22年5月は、チベットに入れずそこまでだった。
今回はその続き、語りは季ディレクターの日本語。
〇車をとめ、長い長い徒歩も。
大きな変化のない地域もある。
地道に進むヒッチハイク。危なそうな人々はいなかった・・
今回の画像は、ネット上ではあまりなかった。
ラサのポタラ宮を目指す。
ヒットハイクなので、車が止まらないと
早くは進めず徒歩になる。四川省の人の車がとまった、
技術者、チベットへ教えに行く。
地元の人を雇う。条件があり彼らにも政府のお金が入る。
何もないアップダウンの道。3日目。5130の標高、峠。
チベット人の車がとまる。近くの村にいる。
温泉があるよ、といい入る。300円。
村の人は無料、付近には温泉は豊富にあり
村人の収入にもなっている。
「貧困扶助銭湯」と言う温泉名に、季は戸惑う。
小数民族には漢民族がかかせない。という看板もある。
チベットの人はどう思っているのか・・
村人の家でバター茶をごちそうになる。
4日目、中国にいるチベットの人たちの巡礼に出会う。
2千キロを歩く。10キロ歩くと休むというが・・
10キロも!季は驚く。速度も早い。
おちると怖い道もある。日に30キロ歩く。
日本のお遍路みたい?
トラックが通るギリギリ狭い道。トラの口という難所もある。
なぜ、この道が作られたのだろう?・・
7日目。最大の湖が見えた。3850メートル。
また谷へ。3月下旬ポメ県につく。チベットの格言が壁にある。
古い壁画。死を恐れず苦を恐れず。
西への道は毛沢東が作った。社会主義の建設を!
大変な労働で死者も多数出た。
雨が急に降ってきた。
チベットに来たが、インフラ工事の車にのれた。
彼は、こちらの方が稼ぎが少しいい。
子どもは学校に行きたがらない。夏草冬虫をとると、
2か月で数十万になる。子供が稼ぐ。ホント?
国境の近くに住むと、月10万もらえるという。
緑が多いニンティに着く。
ある祭りに遭遇。男たちだけ、衣装もきれい。
弓を撃ち競いあう。
テント布も模様が素晴らしい。勝者はお酒を飲み、踊る。
にぎやかな光景。北京にはないような、親しい仲間たち。
季はうらやましい気持ちに・・人とのつながりが素朴、自然。
自分の今の生活にはないものがあり、考えた。
人気のない町に着く。19年に高速ができ
318号は車が通らなくなりお店がしまった。車がこない。
聖地への祈りの男二人がいる。
ムスリムのようにな感じ。
身体を下につける祈りを8回繰り返す。
五体投地、という祈り方。下の画像、屈んでいる祈り方。
ここまで4年かかった!家に戻らず、いつつくかはわからない、
それはいいんだ、関係ない。
3人で写真を撮る。なぜ巡礼に?二人は沈黙。
ミニバンで寝泊まりしている。
水をくれた。お礼にと何かできることをというが、
必要ない、いらないと。
お金しか浮かばない自分。
恥ずかしい思いが・・何もできないでわかれる。
5千メートルエリアへ。吹雪になる。車は通らず。
3週間経過。晴れた。川岸に人々。
ラーソルというお香をささげる祈りをしている。
ヒノキなどを燃やし邪気を払う儀。
厳しい自然の中で生きられるように。幼時もいた。
祈りの旗ルンタ、原色綺麗な旗がひらめく。華やか。
こいのぼりのように。
4月初めラサに着く。チベットの中心都市。60万人。
漢民族が増えている。
65年にできた茶館。人がとても多く席がないくらい。
ミルクティー19円を皆飲み、よく話す。政治系は話さない。
チベット人が隣にきた。「人の人生はネコのあくび」
ということわざを季がいう。そうそうとうなずく。
ラサ中心、ポタラ宮殿は7世紀から栄えていた。立派。
金色のジョカン寺が古い。
66年文革時、寺は破壊の対象になり壊され
経典も焼かれ文化財は不明に。
70年代に修復。巡礼の道で仏陀に祈る。
前に見た、何年もかけての祈り方での人に出会う。
周りの人は感動しお金をあげていた。信仰の強さを思う。
観光客が規則を破り撮影。殺傷はダメなチベット。
毛皮服の観光客がいる。チベット人は怒らない。沈黙。
季は、ラサは賑やかさと静かさが同居の2つの面がある。
外からの人への批判をうちに秘め、微笑みもあるが、
沈黙には理由があるようだ。
4月下旬、ついに5千キロ地点、あと少し。
よりたい場所。チョモランマ、最高峰。8849メートルが見えた!
画像は別のもの
近くに警察官のオブジェがあり、党のスローガン、歌が聞こえた。
小さい村、昔の耕し方で畑仕事。
4月末、ゴールまであと少し。
検問所で、道が悪くこれ以上は行けないと言われた。
入れない、ショック!天への道、仕方がないのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます