銀の人魚の海

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沖縄の夜を生きて ETV特集 基地の町と女性たち

2023-03-30 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など

NHKテムジン制作。

戦後すぐ、沖縄コザの町は、黒人兵によるレイプなどが頻発した。

コザについて。~現在、『コザ』という地区や住所は実際には存在していない。

コザというのは今の沖縄市の一部のアメリカ時代の呼び名。

そのなかで今でもアメリカっぽい雰囲気が残っている所は、

地図では空港通りという名前のついている場所。ゲート通りという方が通じる。

米軍が特殊地域設置を提案、一部の女性たちを盾に買春が黙認されるようになった。

多くの兵士たちが来た。八重島特飲街、130のバーなどでにぎわった。50年8月。

八重島下にネットからの記事。

90代ある女性、母が広島で被爆、病気だった。学校は12歳まで、

仕事はホステス、メイドしかない。バーに勤務、多量の飲酒、稼ぐために、

トイレで吐いて、また働いた。母のために。

ある米兵と知り合い、暮らしだした。母にも優しく良い人。

娘が生まれたが、彼は突然帰国、二度と戻らなかった。今も彼を探している。

八重島町の事は隠して生きてきた女性が多い。貧しい女性は外人相手のバーで働く。

儲かるが妊娠も多かった。だが他に仕事はない。奄美など離島出身が多い。

その稼ぎで故郷の父母、きょうだいを支えていた。

奄美は戦前から貧しく、犯罪も多く治安もよくない。男性の仕事もあまりなかった。

食べ物もなく、ソテツから毒を抜き、かゆにして食べた。

夜の仕事は身内に嫌われたが、女性たちは、それでも24時間、働きづめ。

65年からはベトナムへ行く少年兵がバーへ来て泣いている。

相手をすることが多かった。67年頃からベトナム帰還兵に

殺害されるホステスが多発。レイプ後の殺害で無残だった。

兵はベトナムでメンタルをやられ、おかしくなっていた。無法地帯、町は荒れた。

Aさんの母、奄美出身、昔、ござにきて、父母、きょうだいのため、

夜の仕事についた。米兵相手に働く日々。稼いで家族に渡した。

父母は自営の店がもてた。きょうだいの生活費もだしたが、

きょうだいは夜の仕事が嫌で、だんだん疎遠になった。

母は将校相手のバーを経営しだす。ある将校と結婚、Aさんを産んだ。

つかの間、贅沢な暮らしぶり、写真を見ると服もすてき、家も立派。

本土復帰の72年、将校は米へ帰り戻らなかった。

母はさらに働きアルコール依存になった。

Aさんが小学校の時倒れ、脳溢血で急死、78年、まだ47歳だった。

Aさんは、ハーフと言われ石を投げられ、ひどいいじめにあった。中卒。

母には話していない。ベトナム戦争も終わり町は寂れた。

現在、母と同じバーを経営、他の仕事は見つからなかった。学歴が低く、ハーフ。

9人の孫とお祭りを楽しむ姿。結婚はしたのか・・

今は幸せ、という。母が生きていればよかった。

母のお墓も作りお参りし、泣くAさんの姿が残る。

〇八重島特飲街~昭和20(1945)年、第二次世界大戦終戦後に米軍の統治下になった

沖縄では各地に米軍が進駐し、特に極東最大の空軍基地である嘉手納飛行場をはじめ軍事拠点が次々作られた関係でコザの街は一気に発展する。

その一方で危惧されたのが、駐留していた米兵による相次ぐ婦女暴行・強姦などの性犯罪であった。

戦後の混乱期の中という事も相まって血気盛んな軍人達を慰労する

娯楽の場を建設しなければならない事情は急を要していた。

そこで当時の街外れの八重島地区に米兵向けの特飲街

「ニュー・コザ(New Koza)」が建設。1950年8月1日のことである。

~50年代からの知らないこと、想像を絶するドキュメントで、勉強になった。

沖縄は行ったことがない。地図をよく見た。

貧しく、学歴もないので女性は仕事にもつけない。

もし私が、その環境なら、どうやって生きたか?

同じ道を選んだか・・ベトナム戦争との関わりもあった。昨年、ベトナム関連本を

数冊読み納得する。ベトナム戦争の帰還兵のPTSDも多く、それが沖縄の女性たちへ

つながったとは。

先日、大竹まこと、ゲストの社会学者、岸先生は沖縄研究をしている。

「沖縄の生活史」も出す。先生はその時生まれていたら1つ聞きたいことがあると。

「復帰の日、72年5月15日は何をしていたか?」これまでの答えは、

働いていただけ、沖縄の人にとり、大きく気にした日ではないよう。

岸先生、この番組に出た女性にも会っているだろうか・・

沖縄は今でも基地問題を筆頭に、同じ日本だが違う面がある。

かつて、どれほどの女性が苦しんだかがわかった。51年たった。

 

 



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