ふと視界に止まった言葉から連想する事もあります。
余談ですが、私のフォルダの中には、書きかけの文章がゴロゴロしています。
感情が先に走って「アブ蜂とらず」が殆どなんですワ。
無理して「送る→贈る」にしたつもりなんですが、間違えだったはずかしなぁと思いつつ・・、
送ると贈るの違いはこの際、無視しましょう。
まぁ、敵対する隣国が窮する民は戦とは無縁であり、経済活動は交戦状態に囚われる事無く、経済活動を継続したと言う事でしょう。 この点が改めて思うに大切なんです。
まぁ出所は詳しくは知らないのですが、謙信・信玄さんの頃と聞いた覚えもあるがぁ・・・、
広く現在では「美談」ぽく伝えられていますが、でも本当にそうなのかなぁ・・と思う。
ワザワザ困窮しているライバルを救済する必要があったのか?実際「応仁の乱」を経験して
この国は分裂状態になった、教科書にはそう書いてあったと思う。
でも外れじゃないけど、私は「ドンピシャ」とは思わない。 それが証拠に信長翁は「座」を
廃止した、不当に連合した商業組合のような表現もあるが、「同種・同業者」が欧州における
「ギルド」と同じで産業を発展させる面もあると思う、ましては神の力が素直に及んだ時代、
飢饉・疫病の備えがなければ、産業自体滅ぶ恐れがあったと思う。それらに備える為にも、
同種・同業者の連帯は必要だった様にも思う。
謙信さんは、善意で「塩の輸出」を認めたのではないと思う、塩を評価額以上で買い取る
地方に、座の助言に従い輸送許可しただけだと思う。結果として産地の利潤と、窮した民
の生命を救い、双方丸く収まったと思う。
意外と知っている権力者以上の、人命とか富を分ち合うネットワークがあったのかもしれない。ただし、既成に囚われない指導者は即解散を命じて、「楽市・楽座」を開いた。
彼の集金システムでは不要な存在だったのだろう。考えるに雷鳴轟く火器を用いたり、子女までも対象にした戦には、個人的には興味はあるが賞賛はしたくない。
ナポレオンの頃の戦は、傭兵が主であり実際、経済活動には影響が少なかったと聞いたことがある。 まさしくそれは敵に塩を送っている事だと思う、それは商売の基本だと思う。
一次大戦以降、産業の発達【特に通信】につれて、国家総力をあげての技術の琢磨と罠を
かける様になった、然るに国境の枠に囚われない「座・ギルド」が必要だと思う。
ただし、それが育つ前に世界一の富を持っていた国は、無能な指導者が貯めた「年金」と
培った技術を意図も簡単に、金塊と美女と引換えに渡してしまった。
ウィーン条約も守れぬ国に、正しい歴史認識があるのだろうか?かの国の工場は薄氷の上の家、交流とは正しいお互いの認識を持っている事が大切です。
時計が戻せない自分が悔しい。

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