南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

野球チーム優勝 でも複雑な心境

2006年12月14日 | ミクロネシアの小学校
今日、午前中に急に電話があり、「明日予定だった決勝戦が今日に変更」。

急いで校長先生や校長代理の人、子どものいる各教室、バスの手配などばたばたして、用意をしました。
僕の一番重要な水を持って行くことも。

前に戦って勝った相手でしたが、今回はかなりの接戦で1点差で勝ちました。

やったー優勝だと言いたいところですが、子ども達の顔もあまりさえない。

今回は村対抗だったので、隣の小学校との合同チーム。今日は11人いるレギュラーのうち、僕の学校の子どもは、1人だけ。

いつもは2-3人出ているのですが、メンバーの書き間違えでいつもレギュラーだった子どもまでもでられなくなって、「変更してくれ」って隣の学校の先生に話したら「分かったそうする」と言いつつ最後まで変更なし。

隣の学校の方が、グランドも大きくて、練習もいつでも出来るし、上手な子が多いので、レギュラーが多いのはしょうがないけど、正直最後まで隣の学校の先生にはかなり不信感。
メンバーを決めるときもいつも「BEST OF BEST」といいつつ、決めようとすると「後から決めよう」とはぐらかされて、いつの間にか殆ど自分の学校。

「この子の方が上手いよ」と言っても「わかったいつでもメンバーは代えられるから」と言われつつそのまま。

今日は僕の学校の先生まで怒ってしまいとうとう切れてしまいました。優勝したはずの喜びのバスが先生達の怒りの渦。

それはコーチの名前を書く欄に7人も名前が書いてあるのですが、全員隣の学校の先生の名前。これって隣の学校だけでやったってこと?

僕はそれよりも心配なのは子ども達のこと。

確かに僕の指導不足や子ども達本来の力不足もあったけど、僕が学校の野球の責任車になったことで、本来試合に出られる子どもまで、試合に出られなかったのではないかということ。

つまり僕が日本人だからって向こうの先生に相手にされていなかったのではないだろうかということ。そしてそのことが子どもに影響していたら、凄く申し訳ない気持ちでいっぱいです。

子ども達も、「Hiroがコーチだから僕たちは試合に出られない」って感じているのではないかなと。

いつももっと小さな子どもを相手にしているので、大人の問題に直接影響することが少ないのですが(小さい子どもの方が敏感なのですが)、大きな子どもになると今日のように大人の人間関係が直接表面化してしまうので、難しい。

そして、試合に出る出ないにかかわらず喜びを分かち合えなかった子ども達をみて、大事なことを伝えられなかったなあと思いました。

自分なりに合同練習の手配をしたり、保護者の承諾書をもらったり、枚か入れsんしゅうするのに校長の許可をもらったり、男女一緒に出来るように同僚に助けをもらったり、手を尽くしたつもりだったのですが、まだまだ力不足だったなあと実感しました。

一生懸命したつもりが、逆の結果を生んでしまうこともあるのかな?と

難しいですが、でも現状維持ではなく、自分で出来ることをやってみながら答えを出していくしかないです。自分の力不足も含めて。

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3 コメント

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考えさせられます。 (kind)
2006-12-14 22:11:31
かなり、きつい出来事でしたね。

こどものことを本当に考えていれば・・・・と思ってしまいますね。

子供が小学校にあがって、地域のサッカーチームに入りましたが、それはそれは、大人のエゴで、幻滅してしまいました。子供達がかわいそうでかわいそうで。
熱心に子供のために逆境の中、純粋にサポートして指導していた夫もそして子供にも、よくよく考えて話しあった上で、そこを辞めてもらった経緯があります。

こどもたちが幼ければ幼いほど、生涯スポーツを楽しむために、スポーツとの出会いは楽しく素敵であって欲しい。勝つためのスポーツでなく、仲間達と一緒に楽しむスポーツであってほしいと思っているのですが。

大人同士の価値観の違いって埋めることって、難しいですね。

どうにか歩み合えればいいのですが・・・・・。
子供達のために・・・それを一番大切に。

頭を悩ます問題は、どこも一緒なのですね。



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Unknown (hiro)
2006-12-15 05:45:23
僕も甥っ子が小学校の時に野球チームに入り、コーチをしました。やはり大人のエゴがまかり通り、子ども達がかわいそうだなって思うことがありました。

結局、勝つために僕の甥っ子は医者からストップがかかっているにもかかわらず、試合に投げされられて、肩を壊して野球を1年辞めざる終えませんでした。

今回はそれに比べればとは思います。

そして言葉や習慣の壁がはばかり、その負担が子どもにいったのではないかと思うのです。

人は「そんなこと気にしすぎだよ」という人もいますが。

そういう一つ一つの出来事で自分がどうだったかを振り返ることも辛いけど大切なことなのだと思っています。
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Unknown (bluestar)
2006-12-22 23:38:06
子どものことを いつも第一に考えられるhiroさんにとって とても お辛いことでしたね。
私も 子ども達に起こる実際の問題よりも 組織の大人達の勝手な思考や手段に 頭をいためていた時期が あるので 少しは わかるつもりです。
ただ、記事を拝見していると、hiroさんのされたことは 今は 逆の結果にみえるかもしれませんが、子ども達に 届くときというのが 必ずくる時があるのを感じます。
「あのとき この子はとても幼かったはずなのに、、、」と 私が びっくりしてしまうほど、覚えていてくれたことがありました。
hiroさんも たくさん ご経験されていると思いますが。
大人が変わるというのは すごく難しいことも多いですが、子ども達は 日本に限らず 実に 柔軟で よく見ていると思えるのです。振り返り作業は、大切なことだと思いますが、どうか あまり ご自身ばかりを 責めないでくださいね。 
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