南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

ポンペイで食べれる日本食

2007年09月15日 | ミクロネシアの生活
金曜日に会議があったので、そのままドミトリーに久しぶりに泊まりました。

朝ご飯は食べずに昼ご飯になり、同じ村で活動する隊員と2人でコロニアで一番綺麗?なレストラン(食堂?)でランチしました。
一番綺麗と言っても、値段は5ドル~8ドルくらいでリーズナブルです。

そこで僕のお奨めは、このCHIRASHI。
ポンペイのレストランでは、前にも言いましたが、親子どんぶりや刺身、あと素麺といったメニューがありますが、日本食度1位は、僕の中ではこのちらし寿司。

コックさんは日本人ではないのですが、かなりちらし寿司に近いです。
具は、このポンペイで取れるマグロがメインで、あと近海で捕れる魚を、そして何故かタクワン。ワサビもついているし、もちろん醤油をかけて食べます。

村のホームステイ先の家では、缶詰か油で料理したものが多いので、外食できるときにはできるだけ、あっさりしたものが食べておきたい。

あと、いつも食事を作ってくれる家族に感謝しつつ、外食では自分で食べたいものが選ぶことができるという選択する喜びが味わえます。

町に折角来たので、この町で唯一あるカフェというかローカルスターバックスみたいな所も、1年ぶりぐらいに行ってきました。

いつも村にいるから、たまにはこういう都会?の暮らしも味わいたいなあと。
といっても村から町は近いので、すぐに来たいときに来ることができるのですが。

協力隊の中でも、村とは言いつつ、すぐに町に出られるのは、かなり都会度が高いです。ただ、町と行っても3万人しかいない島の町なので、世界の中の首都・および主要な町の中での都会度はかなり低いかも?

なんたって本屋さんがこの島には存在しませんから。
もちろん、世界に名の通ったファーストフード店も一軒もないですよ。コンビニも。

きっと6ヶ月が日本に帰ったら、都会度の高さにビックリするのだろうなあと思います。
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自分を売込み中

2007年09月14日 | ミクロネシアの幼稚園
今日は活動の報告。

今日は、昼からコロニアという町にある幼稚園を訪問してきました。

僕は村の幼稚園に配属されているのですが、昨年末に幼稚園の事務所と話し合ったときに「あなたは村の幼稚園だけでなく、他のところにも手伝いに言ってほしい」と言われたり、今まで一年間活動してきて、ひとつの幼稚園の実態だけで判断してしまっていいのかな?と考えるところがあり、違うポンペイの幼稚園を少し見てみよう、そこで今の配属先とは違う現場を見て、ポンペイの幼稚園に何が大切なのかをもう一度考えてみたいと、あと活動が6ヶ月しかないのですが、考えていました。

そしてハワイのワークショップで知り合った先生がいる幼稚園に出向き、ぼくがもしここにきたらどう?と聞いてみたら、「来てほしい、あなたがワークショップでしたこととかを子どもに教えてほしい」ということだったので、今働いている幼稚園に事情を話して、少し新しいところにも時間の許す範囲で行ってみようかと思っています。そこでもっとこの国全体の問題なのか?僕の幼稚園の問題なのかを明確にして、次の活動に進むことができればと思っています。

幼稚園は子どもとの信頼関係が命だし、今せっかく慣れてなついてきている子どもと毎日会えなくなるのは寂しいし、村に住んでいて村から出て一時的にも違う幼稚園にいくことは、かなり抵抗があるのですが、自分がやってみようと思ったことは、まずチャレンジしてみて、答えを出していきたいなあと思っています。
もちろん、基本は今の村の幼稚園であることに変わりはないのですが。

今のところ、まだ2-3回行って終わるか、定期的に行くことになるのかは全くの白紙で、とりあえず今の幼稚園と違う職場の現状をつかむという目的でチャレンジできればなあと思っています。
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アイス屋さん営業中

2007年09月13日 | ミクロネシアの生活
僕の家族はとてもおもしろい。

その中の小学6年生の女の子はかなりユニーク。
彼女が今はまっているのが商売をすることです。

家はちゃんとお父さんが働いているので、そんなお金持ちではないですが、お金に困っているわけではありません。

でも、非常に商売することやお金儲けが好きで、この間までお母さんが上手に作る春巻きに目をつけて、お母さんに春巻きを作ってもらって、それを近く売店に置いてもらって1つ50セントで時々売ってもらっていました。

お母さんも凄くいい人で、そんな彼女のリクエストに応えて、春巻きを作ってあげたりしていました。別にお母さんは子どもの儲けたお金を取ったりしてないと思います。

最近彼女が目をつけたのが、アイス。
僕の家の自家製アイスは、ココナッツに練乳を混ぜて凍らせるというもの。

南の島らしく、素朴で良いものだと思って、たまに作ってもらったときに食べていました。

最近やたらたくさん作って、冷凍庫にストックしてあると思っていました。
最初は、家族も娘にお金を払っていたり、いなかったりといろいろだったのですが、
最近は、近くの子どもが買いに来るようになりました。

看板も何も出してないのですが、結構評判を聞きつけて、子どもが買いに来ています。
1つ25セントなので、手軽なのでしょうか?
なかなか彼女は商才があるとみました。

彼女は将来、教会のシスターになりたいって一時期言っていたそうですが、こんなお金に興味があって、商才があったらシスターは難しいかも。

今日も家に帰る途中に子どもが僕に「ミエ・アイス?」(アイスある?)って聞いてきました。「たぶんあると思うよ」と答えました。
子どもに相手に商売に肩入れしているようで躊躇いましたが。

彼女にちゃんと看板にアイスあるよって書いて出したらどうって言っていました。

そういえば、最近僕がアイスを食べるときもおじいさんが後で僕の分のお金を出してくれているようです。

遊びがだんだん、本気になってきているような?

確かに僕の家は教会のすぐ横で、学校からも近くて、商売に向いているかもしれないけど。

これから彼女の商才に花が開くのか?
多角経営を目指すのか?
暫く目が離せません。

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南の島で豆腐のみそ汁を作るとタイムトリップできる

2007年09月12日 | ミクロネシアのおじいちゃん
僕は本当にホームステイのおじいさんやそのお世話をする家族のお世話になっています。
朝昼晩の食事はもちろん、精神的にも。

活動で大変なことがあっても、こうして現地の方と一緒に住んで、その人達の心に残ることだけでも、自分がここにいる意味があると自分で自分を納得させることもあります。

もちろん、文化や習慣の違いがありますが、それがあるからこそ、ホームステイをする意味があるのではないかと思っています。


そんな家族にできることは、食事の後に皿洗いなどをすること、おじいさんと日本語色々な話をして情報交換すること、それを通して家族が日本のことを知ることなど限られていますが、その一つが僕が日本人が食べる料理を作ること。

今まで、ざる蕎麦・温かい蕎麦・素麺・焼きそば・焼きうどん・お好み焼き・親子どんぶり・チャーハン・肉じゃが・すき焼き・麻婆豆腐など作ってきました。日本食を作るのは限界があるので、中華も入っています。

この間、大きな味噌を買ったので、2回続けておみそ汁を作りました。
具は豆腐。

こうして僕が食事を作ると、普段は別々に食べるポンペイの家族もおじいさんの「集まりなさい」の声と共に集まって、みんなでお祈りをして食事をします。

ポンペイでもみそ汁は定番ですが、もっと味が薄くて、スパイス程度にきかすだけ。

おじいさんは日本統治時代にいろいろな日本食を食べてこられたので、味も内容もごまかせません。
前に肉じゃがを作ったときに説明しにくいので、僕が「これはすき焼きみたいなものです」と言ったら、「うそだ、すき焼きはこうして鍋を囲んで肉をつついて食べるんだ」と言われてしまいました。

今回、豆腐のみそ汁を作ると「昔は豆腐屋さんが豆腐豆腐って言いながらラッパをならして売りに来て、入れ物をもって買いに人が集まったもんだ」と話してくださいました。

豆腐屋さんがラッパを吹いて売りに来ていたことなんて、今の日本人でもどれくらいの世代だと理解できるのでしょう。
私ももちろんリアルタイムでは知らずに、話をきいただけですが。

おじいさんの話を聞くと、このポンペイには兵隊だけが駐留したのではなく、たくさんの日本人が日本の町を形成して、当時の日本そのものの暮らしをしていたことがわかります。

日本が南の島を占領していたというと、どうも日本兵のみが頭に浮かびますが、それはこのポンペイの実情とは違うようです。

こうして、日本食を作ることでまるでおじいさんが運転するタイムマシーンにのって、60数年前の日本統治時代のポンペイへと僕らはタイムトリップできます。

これからも料理を作る度に昔の日本そのままのようなポンペイへタイムトリップできることを楽しみたいと思います。

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世界にたくさんある終戦記念日~南の島の歴史その1~

2007年09月11日 | 南の島の歴史
今日は、ポンペイの独立記念日で学校はお休みでした。

おじいさんは85歳で日本統治時代のことをよく知っておられます。

「今日9月11日は、ポンペイで日本とアメリカの戦争が終わった日なんだ」と話してくださいました。

でも多くのポンペイ人が今日が日本とアメリカが戦争を終えた日であることを知らないし、事実を体験して知っている人はごく僅かだと。

ポンペイは日本ほどたくさんの休日はありませんが、今日の休日の意味を殆どの人が分かっていないのだと思います。

今までおじいさんからたくさんの日本の統治時代のこと、戦争のことなどをおしえてもらいましたが、今日2人で1時間近くじっくり話して、おじいさんなどごく僅かなリアルタイムで戦争をこのポンペイで経験していない人しか知り得ないことを教えていただくことができました。

特におじいさんは第二次世界大戦中18歳から23歳という若さだったこと、日本語が堪能だったと言うことで、日本軍の監視台で働いておられたので、普通のポンペイ人以上に当時の様子などを克明に覚えておられます。

何故今日がポンペイの独立記念日になったのかは、当然のことながら日本では8月15日に玉音放送があり、戦争が終結したことが告げられましたが、日本から遠く離れたポンペイではその事実はまだ確認できず、その後約1ヶ月間戦争状態は続いていたそうです。

またその事実を聞いても、ポンペイでは「俺たちはまだ戦う」という軍部の声も合ったそうです。

こういった国や地域は、このポンペイだけに留まらず、たくさんあると思います。
いったい、第二次世界大戦の終戦記念日は、世界にどれだけの数があるのでしょう。

そして、きっと日本が終戦を迎えてからも、たくさんの日本兵士、現地の人がこの戦争で命を落としたことでしょう。

もちろん、ポンペイでもこの戦争でたくさんの人が命を落としています。

おじいさんと終戦の経緯の話をしていると、おじいさんも当時の昭和天皇の玉音放送を聞いたそうです。そして、でも日本の軍隊の中には「まだ戦争をするって言う兵隊がいたんだ」ということもちゃんとご存じでした。

あと、広島に原爆が落ちて、それは首都の東京から遠く離れていて、それが終戦の大きなきっかけになったことも。

今日はたくさんの戦争の話を聞きましたが、ここで今日全てを書ききれないので、また改めて書きたいと思います。

でも日本では終戦記念日・広島長崎の原爆記念日だけが日本の戦争の象徴のようにいつまでも大切にされています。もちろんそれは大切なことですし、ずっとこれからも風化させずにいきたい。

そして戦地となったこの南の島で暮らし、戦争を体験されたおじいさんと暮らす私は、それ以外にもたくさんの記念日があり、それぞれに体験したものにしか分からない、でも日本人が知っておくべき出来事をしっかりとおじいさんの言葉から感じ、
皆さんにも伝えていく責任があるのだと改めて思いました。

この日本人のことが大好きなポンペイにも60数年前には、忘れ去ることができない
戦場としての歴史があるのですから。
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南の島の学校朝礼 

2007年09月10日 | ミクロネシアの小学校
私の幼稚園と学校の朝は、合同の朝礼から始まります。

海に面した校庭に幼稚園児から小学8年生までが、朝礼が始まる鐘の音と同時に各教室前に整列。

始まる時間は8時15分頃、の前後15分に開始。

正確な時間ではなく、校長先生が学校に登校されたら始まります。
ですので、校長先生が遅刻というか、遅く来ると朝礼も遅くなります。

なので、子どもも8時までに学校に来ていれば、それより早く朝礼が始まることはないので良いですが、8時を過ぎてから来る子どもは、登校する時間調整が微妙です。もちろん時計も持っていないですしね。学校にも基本となる時計があってないような。

朝礼の流れは、
1,鐘が鳴って集合
2,村の旗の掲揚
3,お祈り
4,校長先生からのお話

という順番で、毎朝開かれます。

子ども達も小学生になると、登校した時に既に朝礼が始まっていると、校舎の影で身を潜めて?朝礼が終わったら何食わぬ顔で自分の教室にいくのが主流。

それは当然、先生も朝礼遅れたら、校舎の所で子どもと一緒に朝礼終わるのを待っていますから。

今日の朝礼は微笑ましかったです。

昨年僕の生徒で、かなりやんちゃ坊主で、気に入らないことがあると怒るし、暴れるし、悪戯するし、泣くし、挙げ句の果てに先生に怒られて家に1人で帰ったこともある、でも憎めないアブサレムという男の子が今1年生にいます。

そのマイペースで、一直線な彼が、今日は朝礼に間に合わなくて、校長先生が話をしている途中に、音の響くコンクリートの上をサンダルで「バシバシバシ」と音を立てながら、校長先生の視線も気にせず、校長先生の真後ろを通り抜けて、自分のクラスである1年生の教室前に並んでいる仲間の所まで一直線で駈けていきました。

その様子を見ていた上級生などは、かなり苦笑い。先生もニコニコ。
まっすぐで彼らしいことに笑っていました。

ここの学校は全部で200名ほどですが、幼稚園から8年生まできっと全員が全員のことを知っているといった感じです。
そんな村の学校だからこそ、自分が思いきり出せるのかも?
そして、見ているみんなも彼らしいなあと思えるのでしょう。

朝からとても、すがすがしく微笑ましい気持ちになりました。

まっすぐな彼に、そのことを受け止めているみんなにも。





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プチ、リゾート 話題はゲテモノ食い?

2007年09月09日 | ミクロネシアの生活
この土日は、ポンペイの島の周辺にあるアウターアイランドのナラップに行ってきました。

調整員の方がもうすぐこのポンペイを去られるので、そのお別れナラップの会ということで。

ここは、現地の人も泊まるリゾート地なので、日本の我々が考えるリゾートではなく、あくまでローカルリゾート。

南の島の高級リゾートを想像される方は、泊まるのは困難です。

一応、小屋があって、オプションでマットもつけてくれます。

前回行ったときは、ローカルの方が200人近く泊まっていて、朝まで馬鹿騒ぎで
かなりしんどかったのですが、今回は殆ど泊まり客はなく、静かな島での生活が過ごせました。

今、隊員の中でちょっとした釣りブームですが、僕も仲間の隊員に釣り道具を貸してもらって初挑戦してきました。

仲間の隊員も始めたばかりだけど、釣り具を買い揃えてかなり本格的に頑張っています。
島からカヤックで漕いで出て、浅いリーフの所にカヤックを泊めて、釣りました。

釣っている時間と絡まった糸をほどいている時間とが同じくらいでしたが。

結局つれなかったけど、かなり楽しかったです。
みんなが夢中になるのも分かりました。

夜は島にジェネレーターがあって電気もつきます。

今回は、ローカルスタッフが友達も呼んでくれたので、日本人&ミクロネシア人(ポンペイ人&ヤップ人)&アメリカ人という組み合わせでした。

今までどんなゲテモノ?を食べたかという話で盛り上がりました。

この島では犬と亀を食べるのですが、パラオではコウモリが名物だし、アフリカにいったことのあるアメリカ人は、キリンやゼブラも食べたとのこと。

さすが、国際色豊か?

メンバーの中に雨男?の人がいて、夜には小屋に吹き付ける大雨・大風。

天気には恵まれなかったけど、楽しい週末が過ごせました。
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ただ乗り?荷台乗り?

2007年09月09日 | ミクロネシアの生活
僕の住んでいる村からコロニアという町に行くには、乗り合いタクシーに乗って片道2ドルかかります。

乗り合いなので、安いのは良いのですが、自分のすぐに行きたいところに行けないこと、電話で呼ぶのですが、早くて10分遅くて最高6時間というか来なくて一夜を明かしたこともあるのがネック。

この間からちょっとしたラッキー。
金曜日コロニアに行くのは、幼稚園バスの運転手さんが用事があったので、一緒に乗せてもらって、2ドル助かり、夕方村に帰ろうと少し歩いていると、車から僕の名前を呼んでくれる声。おじいさんのひ孫で、お母さんが仕事帰りで「今から村に帰る、の?乗っていきなさい」と言ってくれて、またまた2ドル助かり、次の日にまたまた村から町に行くためにタクシーを呼んで待っていると、通りがかりの車が止まってくれて、「コロニアに行くなら乗せてあげる」と言ってくれて荷台に乗り込み、いざ出発。

途中で大型冷蔵庫を積み込み、その冷蔵庫を修理に出すために修理屋さんに行き、約束の時間があったので、遅れそうだったのですが、運転する方が目的地まで連れて行ってくれたので、ぎりぎりセーフ。

ちょうど、親戚の方に乗せてもらったときもPICKUPに拾ってもらったときもお菓子を持っていたら、ありがとうって渡しました。

合計6ドルのタクシー代の節約。
助かりました。

お金のことより、こういう風に村の人や親戚の人が自分の家族や知り合いのように思ってくれることが何より嬉しいです。

日本ではPICKUPの荷台に乗るのは、禁止ですが、ポンペイはOK。

心地よい風が吹く中、緑一杯のポンペイの道を走るのも、最高に気持ちいいです。
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赤道直下でも花札

2007年09月08日 | ミクロネシアの生活
昨日、怪我をした子どもお見舞いにいくと、昼間にもかかわらず、パシッパシッとどこか懐かしい響き。

そう、花札の音。

なんと、お母さん達が花札に興じています。

確かに日本のようにテレビ番組はないから、「笑っていいとも」「おもいきりテレビ」(今でもやっているのかな?)といった昼間の情報番組や芸能人ネタなんてのも、ありませんから、これは格好の昼の一時の過ごし方かもしれません。

このポンペイには日本統治時代からそのまま残っているものがたくさんあります。

言葉に食文化、その一つがこの花札。

町の至る所で目にするものではありませんが、ここでは、トランプよりも花札の方がメインのような気がします。

トランプを家族の人がしているのも見たことがないし。

日本でトランプや花札と言えば、正月などにこたつを囲んでするという雰囲気ですが、ここでは汗をかきながら、暑い日差しの中、木陰に入って楽しむのが南の島流?

南の島に花札というと、ちょっとミスマッチなような気もしますが、なぜかこの日本から離れたほぼ赤道直下のポンペイでは、この日本的なものが非常に違和感なくとけ込んでいます。

前に訪れたパラオでも空港でお店の人が待ち時間に花札をしていました。
その時は時間があったので、やくの作り方を伝授してきました。
5光(20点札を集める)雨4光とか、マニアックな花見で一杯とかも。

今度時間があれば、新たな役を伝授してこようかな?
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幼稚園を明るくしよう!目立たせよう!

2007年09月08日 | ミクロネシアの幼稚園
私の幼稚園は、小学校の建物の一室にあります。

2階建ての校舎で結構新しく、遠くから見ればどこに幼稚園があるのかわかりません。それにちょっと殺風景。

昨年は幼稚園の看板が何故か部屋の中にあり、「こんなの目立たないし、誰も見ないから外につけようと一度つけたのですが、一度つぶされてしまいました。
 新しい看板ができたのですが、釘がないという理由でなかなか設置されません。(そういいながらもう1月近く経っています。そんなことはいっぱいありますが・・・)

新年度が始まるとき、ローカルの先生が園児の名前を昨年は書いていたのに、どこにも書いていないので、それなら今年は僕のオリジナルでやってみるかと。

子どもの名前を分かりやすくしたいし、それも玄関が明るくなるようにしたいと思い、写真のように紙をハート型に切って、それぞれの名前を書くことにしました。

折角作って貼ったので、セロテープでラミネートのようにして長持ちするようにしました。すると、朝扉が閉まっている時に早く来た子どもや昼休みに時間がある子どもが「どんな子どもがいるのかな?」と立ち止まって、友達と幼稚園の子どもについて、話している姿が見られるようになりました。

僕が思っていた以上になかなか好評。
校長先生から「あんなもの貼るな!」とお叱りを受けることもなく。

こちらの人は部屋をデコレートするのが大好きですからね。
あまりそのデコレートに意図が見いだせない時があり、それが残念でもありますが。

今のところ、誰もいたずらすることもなく、綺麗に飾られています。

このハート型のように、子どもが幼稚園に来ることで温かい気持ちになれるようになればと思います。
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僕の大好きな子どもがまさか

2007年09月07日 | ミクロネシアの生活
2-3日前から、子どもがポンペイナイフ(普通の長いナイフですが、ポンペイではそのことをポンペイナイフと言います)を使っていて、腕を切ったらしいという話があちらこちらでちらほら。

どうやら、その子どもが、前に僕の家に一緒に住んでいた家族の(前におじいさんのお世話をしていたおじいさんの孫の家族)子どもらしいのです。

おじいさんに聞くと「そうだ、アイセイアが怪我したんだ」とのこと。
(おじいさんにはこうして分からないことを日本語で聞くと日本語で教えて下さるので本当に助かります)

アイセイアは僕が一番最初に暮らした家族だし、一緒に住む家族と分かるまでに校庭で野球を一緒にしたりしていて、「こんな子が一緒の家の家族だといいなあ」と思っていた子どもだったので、家族だと分かったときは凄く嬉しかったです。

確かに彼は勉強は大の苦手ですが、人が良いというか、性格が最高です。

ちょっと、決して器用ではないし、利発とは言えないけど、果物をとってくると僕にもすぐにくれて、みんなにもあげるし、明るい性格がきっと仲間にも認められているのだと思います。

どんな様子だろうと家に言ってみると写真のように腕を固定されていて、でも指はまた元に戻るみたいです。本当に一安心。よかった。

今日コロニアに行く用事があったので、お見舞いにクッキーとポッキーを買ってきました。ポッキーは日本製ではなくタイ製。でもちろんこの常夏の島ではチョコレートがベタベタになっていました。

まあ美味しそうに食べていたし、そのあと村をぶらぶら歩いていたので、一安心。

こういう木に登ったり、ナイフを使うことが当たり前なので、やはりこのような怪我とは、子どもといえども背中合わせの部分はあります。
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誤報 すいません。

2007年09月07日 | ミクロネシアの生活
昨日のブログに書いた9月11日が休日なのは、ニューヨークの貿易センタービルのテロ爆破とは関係なく、ポンペイの独立でした。

昨年も休みだったのに、人に言われて「そうか、そうだったんだ。へえー」とすぐに信じてしまうこの天然ボケ。

ブログ見ていた方、すいません。

9月11日は、ポンペイが独立した記念日です。

またこのことは、その日に改めて書くことができればと思います。
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親子で宿題 世界共通?

2007年09月06日 | ミクロネシアの生活
これは僕の家の食堂。

お母さんと娘のヤイコ(ポンペイにはこのように日本名の名前をつけることがあります)が、なにやら考え事。

今学校で出されている宿題が、Liberation Dayについて感想文を書くこと。

ヤイコは勉強も良くできるので、自分でちゃんと考えて文章を書けるのですが、おかあさんが「ちょっとそこの文章おかしいんじゃない?」と考え始めました。

ポンペイでここまで子どもの勉強に熱心なのは珍しいかもしれませんが、日本ならこの夏休みが空けるまで、きっとどこに家でも繰り広げられていた光景だと思います。

日本でも南の島でも、子どもの宿題にちょっとそれおかしいでしょ、貸してみなさいって口を出したくなるのは、世界共通なのかもしれないですね。

この宿題他の学年にもあるみたいで、おじいさんの他の孫が放課後僕の所にやってきて、「頼みがあるんだ、これをタイプで打ってくれない?」って。

前にもタイプで出す宿題があって、パソコンのない子どもや頼めない子どもは大変みたいで、僕が頼まれました。前は英語でスペルの間違いもいっぱいあったし、読みにくかったのですが、今度はポンペイ語だし、かなり僕に気をつかって読みやすく書いていました。
いつも家に来てはおじいさんのことを一生懸命にしてくれる子どもなので、「よしわかった、やってあげる」って答えると「明日までにお願いだって」。

がんばって約A4にして1枚分、ポンペイ語をパソコンで打ちました。

こうして宿題を手伝ってしまう僕も、気持ちは世界共通の親心になってしまっているのかもしれません。



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学校でも木登りは、授業の一環?

2007年09月05日 | ミクロネシアの小学校
今日も子どもは給食を食べて家に帰り、午後から明日の準備に取りかかっていると、外から煙がどんどん部屋中に入って、たちまち煙でいっぱい。

理由は、小学8年生(ポンペイの小学は8年制です。つまり日本の中学2年生)が、学校の裏庭の掃除を午後から授業の一環としてしていて、枯れ草を集めてたき火を始めたため。

急いで窓を閉めて、外に出てみると、8年生で一番元気で茶目っ気のあるディンがココナッツの木に登って、ナイフでどんどんココナッツの実を切っていました。

ポンペイの男の子であれば、できなければ困ること。それはココナッツの木登り。

これができなくては、家の手伝いもろくにできないし、かなり恥ずかしいかも?

たぶん木登りは、学校の手伝いの一環ではなく、暑くなったので、仲間とココナッツの実の中のジュースを飲もうということになって、気の良い彼が取りに行ったのだと思います。

僕の学校の昼からの授業は、毎週と言っても過言でないくらい、何年生かが学校の掃除をしています。先生達もこういう草刈りなどの仕事が大好き。たぶん授業より。

学校を綺麗にすること、こういう労働は非常に良いことなのですが、問題はイクラ綺麗にしても、その終わったときからゴミを綺麗にした場所に捨ててしまうこと。

掃除をする意味や綺麗さを保つ大切さを伝えなければ、掃除だけを子どもにさせても、浜辺に砂山を築くようなものだと思うのですが。

子ども達も暑い中、文句一つ言わずに草を刈ったり、ゴミを拾ったり(自分が捨てたゴミですが)するのは、偉いなあと思います。
日本なら「なんでそんなことしないといけないんだよ。こんな暑いのに・・・」って愚痴が聞こえてきそうですが。

愚痴を言っているのかもしれませんが、僕がその現地を聞き取れていないのかもしれないですが。

8年生ありがとう。学校が取っても綺麗なりました。そして幼稚園の部屋が煙りだらけになって、体中に煙の臭いが染みついてくれました。

本当にここの子どもの従順さ、素直さには驚かされます。
きっと、緑いっぱい、明るい太陽いっぱいの島の気候が子どもをそんな素直な心にさせているのでしょうか?

写真のココナッツの木の中に子どもがいるのが分かりますか?
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実は隣にも住んでいた僕の生徒

2007年09月05日 | ミクロネシアの幼稚園
新たな子どもが来てから、3週間が過ぎ、やっと分かってきたことがいっぱい。

僕の家の隣は3メートルほどの川になっていて、その中州に家が建っています。
そこには小学校の先生夫婦が住んでいることは知っていたのですが、他にも住人がいました。

それは、僕の幼稚園の生徒。小学校の先生夫婦の従兄弟の子どもだそうで、一緒に住んでいるそうです。

この間から近くでよく見かけるなあ?と思っていたのですが、お隣さんに自分の生徒がいたなんて。

まだ幼稚園のバスに乗っていないので、生徒の家を把握していません。
これは、早くバスに乗って、子どもの家を確認してこないと。

日本で僕は幼稚園のバスがない幼稚園に勤めていますが、日本では普通幼稚園のバスに先生が乗っていますよね。
こちらでは、ドライバーだけが乗ります。他にも付き添いの保護者が乗っているから大丈夫のようです。

昨年も子どもの家がどこにあるのか?どんなところに住んでいるのか興味があったので、何度バスには乗ったですが。また幼稚園バスに乗った様子を伝えたいと思います。

今年は、生徒の中におじいさんのひ孫が2人、隣の家の子どもが1人、隊員がお世話になっている家の子どもの親戚が2人、もちろん村なので、元をたどればみんな知り合いなのですが。

日本なら隣の家の子どもが園にいるのは、ちょっと気が、いやかなり気が引けますが、こちらでは全然OKです。

中州の彼の家から、僕の名前を今日も元気に呼んでくれました。

写真は隣の生徒が住む中州と生徒です。手前が僕の家の横を流れる川です。

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