7月18日日曜
鳥取県米子市皆生
皆生トライアスロンは今から30年前に日本で初のトライアスロンとして始まった
トライアスロンの発祥の地
この記念すべき30周年大会に参加することができとても光栄に思う。
今年で私がこの大会に参加するのは3回目。
なぜサイパンから鳥取に??!!というと、
6年前からサイパンで20年以上も行われている‘タガマントライアスロン‘とこの皆生トライアスロンで交流関係をもとうと、お互いの大会に男女1名ずつ送り込むという企画が始まりである。
運のいいことに私は3回参加することができた。
この大会は日本各地から1000名以上のアスリートが参加を申し込みするが定員が800名ということで選べれし800名、日本のアスリートがこの大会に参加する。
そして前年度の入賞者、今年から始まったリレーの部に参加する方たちを入れるの合計900名以上の方がこの大会に参加する。
今年は記念すべき大会ということだけあり、‘アスリートの神様‘マークアランや、初代の優勝者高石さんがお見えになった。
個人での参加は824名、リレーは48組。ボランティアはなんとありがたい4200名!!!どの大会もそうだがボランティアあっての大会である。皆生の小、中、高校生のかたがたをはじめ多くのボランティあの方々が朝から晩まで炎天下のなか応援をしてくださった。
この日の最高気温はなんと34度!
暑いをとうりこし、暑すぎ!!!!!
朝7時にスタートの合図と同時にスイムのスタート、
3キロのスイム、145キロのバイク
そして42.195キロのフルマラソン。合計190.195キロ!!!考えれば考えるほど長い!
872名のアスリートが同時にスイム。これだけの人数だとスイムというよりも最初の500Mはもう喧嘩!
押したり、押されたり、足は引っ張られるは、顔は殴られるは。
スイムが少し得意の私だがさすがに‘溺れる‘という恐怖になり、6年間の競技生活で初めてブイとブイの間にあるロープにつかまりもう少しで助けをライフガードに求める問うことがスタートしてから5分もしないうちに2度あった。
そのときは、‘一番最後の人まで待って、一番最後に自分のペースで泳ぎたい‘と考えたほどだったが、さすがにアスリート魂というかどこで泳いでも同じというか、、、、
また泳ぎだした。最初のブイを回り、スペースに余裕が出てくると、普段の自分のペースで泳げることができた。
が、そのとき、、、、、
大きな白い物体が間の前に!!!‘くらげ‘
マレーシアの大会で1度くらげに指されその後3週間痛みと痒さに悩まされたのでコースどうこうよりもこいつから離れて泳ぐことがまず第一!大きいのは上のほうに小さいのは下のほうにたくさんいた!幸い、団体で泳いでいたので指されることはなく、以外にも上位でスイムが終わった!19位
そしてバイクへ。
皆生のレースはこのバイクがやりどころ。
平坦は最初の50キロと、最後の10キロだけ。その間は常に坂。長いもので約10キロ近くはあるだろう。そしてローリングヒル。
でも最近バイク好きの私はこのバイクが楽しみでたまらなかった。どれだけ坂をこなしていけるか、登りで行けるか。
ただやはり昨日は2週間前のアドヴェンチャーレースの疲れが足に残っていた。思うように上れない。そして向かい風。上ったと思っても向かい風でまだ登っているというような感じ。漕ぐしかない。私がつらいときは他のみんなも一緒!
こうなるとサービス精神も欠け、ボランティアに声をかける余裕もなくなりかけてきたという時に最後の10キロ!やっと追い風に!追い風に乗りトランジッションへ
午後昼1時。気温は上がっていく一方
ランに入って5キロもしないうちにかなりの疲労が足に来ていた。筋肉痛の痛みならどうにかいけるがこれは数ヶ月前に起こしたハムストリングの肉離れによる坐骨部あたりの痛みから始まり、ITバンド(太ももの外側)そしてひざの外側がかなり痛み出してきた。
3年前と同じ痛み。3年目はこの痛みでひざを曲げることもできず歩き出した。
まだランに入ったばかり、歩きたくない。とストレッチをし、歩幅を狭めたり、できるだけ痛みを和らげるよう(見た目どんな走りをこいつはしてるんだ!!)と思われたかも、、、
行った。後は‘考えると増す増す痛くなるので違うことを考えよう!‘とした。
この皆生の名物‘信号止まり‘ランで信号が赤になったら止まらなければならない。
コース上信号はなんと83個!!!
一度筋肉を止めまた走り出す。しかもすでにスタートから6時間は経過。
かなりきつい。信号で止まっている間も体を動かし足り、ストレッチをしたり。いろいろな工夫が必要である。
さらにきつかったのは34度いう炎天下。
今まで6年でてきた大会の中でこの2010年皆生大会は1番きついレース、そして1番チャレンジのレースそれはもちろんゴールした後には達成感、やりがいに変わった。
通常のレースなら食べれば走れる。食べればパワーが出る。食べて前へ行く。
‘食べれなかった‘何一つ口にすることができなかった。
エイドステーションでバナナを口に一口入れると今度は気持ちが悪くなる。。。
‘脱水症状‘ 頭の中には不安と、悪化しないように‘できるだけ体を冷やすようすべてのエイドステーションで止まり‘食べれないなら飲み物でカロリーをとる‘と常にスポーツドリンクを取っていった。
体の塩分がすべて出たのか手の指先もかなり痺れを感じ、エイドに置いてある塩の山をドリンクに入れ飲む。信号待ちには目が回るという場面も何回かあった。
こうなるといくら周りに‘2位はすぐそこだよ‘とか、‘あと半分‘とか声をかけてもらっても、順位はどうでもよくなる。それよりも自分がゴールに行けるかということとの戦い。
この暑さで115人が途中棄権。
いろんな痛みが重なりメンタル的にあまり痛みを考えなくなった。それよりも頭の中は‘ゴールしたい。どんなに歩いても、遅くてもここまできたらゴールしたい‘ということともう一つ。‘昨年の悪夢
‘
残り3キロでレースが終わるといういうところで信号待ち。
そこに4位の女性が追いつき結果4位に後退。
ずーと頭にあった。最後の残り‘3k`というサインを見た瞬間、、‘来るなーー‘絶対こないで、ここで今年は抜かせない。と最後の力を振り絞った。足は思うように動かないのでこうなったら手で走る。手を振り残り1kへ。
初めて後ろを見た。誰もいない。
そのままゴールの競技場へ。
そして応援に毎年来てくれる母、父と共に3位でゴール。
長かった、暑さと痛みの中でのゴール。うれしさのあまり号泣。この瞬間を約10時間待っていた。やっと座れる。立たなくていい。走らなくいい。その場から数分動くことができなかった。
スイムでもストップ、バイクでの追い風、そして暑さのラン。
達成感は何よりも大きかった。
順位はうれしいがそれよりも何よりもゴールできたことに感謝。
応援してくださった皆生の方々、大会運営の方々、佐藤さん、松影さん、華水亭ホテルの方々、4200名のボランティアの方々、サイパンの皆さん、そして家族、松村さん,大川さん一家、たくさんの方々の応援でまた一つレースを終えることができました。
ありがとうございます。
来月はマイクロゲーム(パラオで行われるミクロネシアの大会)
そしてエクステラジャパン。
あまりもう若い!!ではないので皆生の温泉につかり体を休ませてしっかりまた練習をします。
これからもよろしくお願いいたします。
鳥取県米子市皆生
皆生トライアスロンは今から30年前に日本で初のトライアスロンとして始まった
トライアスロンの発祥の地
この記念すべき30周年大会に参加することができとても光栄に思う。
今年で私がこの大会に参加するのは3回目。
なぜサイパンから鳥取に??!!というと、
6年前からサイパンで20年以上も行われている‘タガマントライアスロン‘とこの皆生トライアスロンで交流関係をもとうと、お互いの大会に男女1名ずつ送り込むという企画が始まりである。
運のいいことに私は3回参加することができた。
この大会は日本各地から1000名以上のアスリートが参加を申し込みするが定員が800名ということで選べれし800名、日本のアスリートがこの大会に参加する。
そして前年度の入賞者、今年から始まったリレーの部に参加する方たちを入れるの合計900名以上の方がこの大会に参加する。
今年は記念すべき大会ということだけあり、‘アスリートの神様‘マークアランや、初代の優勝者高石さんがお見えになった。
個人での参加は824名、リレーは48組。ボランティアはなんとありがたい4200名!!!どの大会もそうだがボランティアあっての大会である。皆生の小、中、高校生のかたがたをはじめ多くのボランティあの方々が朝から晩まで炎天下のなか応援をしてくださった。
この日の最高気温はなんと34度!

朝7時にスタートの合図と同時にスイムのスタート、
3キロのスイム、145キロのバイク
そして42.195キロのフルマラソン。合計190.195キロ!!!考えれば考えるほど長い!
872名のアスリートが同時にスイム。これだけの人数だとスイムというよりも最初の500Mはもう喧嘩!
押したり、押されたり、足は引っ張られるは、顔は殴られるは。
スイムが少し得意の私だがさすがに‘溺れる‘という恐怖になり、6年間の競技生活で初めてブイとブイの間にあるロープにつかまりもう少しで助けをライフガードに求める問うことがスタートしてから5分もしないうちに2度あった。
そのときは、‘一番最後の人まで待って、一番最後に自分のペースで泳ぎたい‘と考えたほどだったが、さすがにアスリート魂というかどこで泳いでも同じというか、、、、
また泳ぎだした。最初のブイを回り、スペースに余裕が出てくると、普段の自分のペースで泳げることができた。
が、そのとき、、、、、
大きな白い物体が間の前に!!!‘くらげ‘
マレーシアの大会で1度くらげに指されその後3週間痛みと痒さに悩まされたのでコースどうこうよりもこいつから離れて泳ぐことがまず第一!大きいのは上のほうに小さいのは下のほうにたくさんいた!幸い、団体で泳いでいたので指されることはなく、以外にも上位でスイムが終わった!19位
そしてバイクへ。
皆生のレースはこのバイクがやりどころ。
平坦は最初の50キロと、最後の10キロだけ。その間は常に坂。長いもので約10キロ近くはあるだろう。そしてローリングヒル。
でも最近バイク好きの私はこのバイクが楽しみでたまらなかった。どれだけ坂をこなしていけるか、登りで行けるか。

ただやはり昨日は2週間前のアドヴェンチャーレースの疲れが足に残っていた。思うように上れない。そして向かい風。上ったと思っても向かい風でまだ登っているというような感じ。漕ぐしかない。私がつらいときは他のみんなも一緒!
こうなるとサービス精神も欠け、ボランティアに声をかける余裕もなくなりかけてきたという時に最後の10キロ!やっと追い風に!追い風に乗りトランジッションへ
午後昼1時。気温は上がっていく一方
ランに入って5キロもしないうちにかなりの疲労が足に来ていた。筋肉痛の痛みならどうにかいけるがこれは数ヶ月前に起こしたハムストリングの肉離れによる坐骨部あたりの痛みから始まり、ITバンド(太ももの外側)そしてひざの外側がかなり痛み出してきた。
3年前と同じ痛み。3年目はこの痛みでひざを曲げることもできず歩き出した。
まだランに入ったばかり、歩きたくない。とストレッチをし、歩幅を狭めたり、できるだけ痛みを和らげるよう(見た目どんな走りをこいつはしてるんだ!!)と思われたかも、、、
行った。後は‘考えると増す増す痛くなるので違うことを考えよう!‘とした。
この皆生の名物‘信号止まり‘ランで信号が赤になったら止まらなければならない。
コース上信号はなんと83個!!!
一度筋肉を止めまた走り出す。しかもすでにスタートから6時間は経過。
かなりきつい。信号で止まっている間も体を動かし足り、ストレッチをしたり。いろいろな工夫が必要である。
さらにきつかったのは34度いう炎天下。
今まで6年でてきた大会の中でこの2010年皆生大会は1番きついレース、そして1番チャレンジのレースそれはもちろんゴールした後には達成感、やりがいに変わった。
通常のレースなら食べれば走れる。食べればパワーが出る。食べて前へ行く。
‘食べれなかった‘何一つ口にすることができなかった。
エイドステーションでバナナを口に一口入れると今度は気持ちが悪くなる。。。
‘脱水症状‘ 頭の中には不安と、悪化しないように‘できるだけ体を冷やすようすべてのエイドステーションで止まり‘食べれないなら飲み物でカロリーをとる‘と常にスポーツドリンクを取っていった。
体の塩分がすべて出たのか手の指先もかなり痺れを感じ、エイドに置いてある塩の山をドリンクに入れ飲む。信号待ちには目が回るという場面も何回かあった。
こうなるといくら周りに‘2位はすぐそこだよ‘とか、‘あと半分‘とか声をかけてもらっても、順位はどうでもよくなる。それよりも自分がゴールに行けるかということとの戦い。
この暑さで115人が途中棄権。
いろんな痛みが重なりメンタル的にあまり痛みを考えなくなった。それよりも頭の中は‘ゴールしたい。どんなに歩いても、遅くてもここまできたらゴールしたい‘ということともう一つ。‘昨年の悪夢

残り3キロでレースが終わるといういうところで信号待ち。
そこに4位の女性が追いつき結果4位に後退。
ずーと頭にあった。最後の残り‘3k`というサインを見た瞬間、、‘来るなーー‘絶対こないで、ここで今年は抜かせない。と最後の力を振り絞った。足は思うように動かないのでこうなったら手で走る。手を振り残り1kへ。
初めて後ろを見た。誰もいない。
そのままゴールの競技場へ。
そして応援に毎年来てくれる母、父と共に3位でゴール。
長かった、暑さと痛みの中でのゴール。うれしさのあまり号泣。この瞬間を約10時間待っていた。やっと座れる。立たなくていい。走らなくいい。その場から数分動くことができなかった。
スイムでもストップ、バイクでの追い風、そして暑さのラン。
達成感は何よりも大きかった。
順位はうれしいがそれよりも何よりもゴールできたことに感謝。
応援してくださった皆生の方々、大会運営の方々、佐藤さん、松影さん、華水亭ホテルの方々、4200名のボランティアの方々、サイパンの皆さん、そして家族、松村さん,大川さん一家、たくさんの方々の応援でまた一つレースを終えることができました。
ありがとうございます。
来月はマイクロゲーム(パラオで行われるミクロネシアの大会)
そしてエクステラジャパン。
あまりもう若い!!ではないので皆生の温泉につかり体を休ませてしっかりまた練習をします。
これからもよろしくお願いいたします。
