konoha's blog

日々気になったことなど、日常あった出来事を書きたいと思います。

前の話になるよ

2019年09月01日 09時42分10秒 | 統合失調症となって
3年ほど前の話になるですが。
Mという親戚の家のおばの体力の低下があって、
さらに遡る5年ほど前あたりから、おかずとか野菜スープを手作りしたのを持っていってたことが再々あったのですが、
おばさんの状態があまりいいようでなく物忘れがひどいみたいだったので、誰もおじさんおばさんのお世話をしてないようだったから、
気になってきて、3年前程の11月から3月末までは、毎日(心療内科へ向かった日と元旦と正月休み合わせて2日間と倒れかけて休んだ1日以外は、毎朝毎昼毎夕と3食、違うおかずを担いで手作りしてあるのをお持ちしてました。4月から6月中旬までは、次男の家側がおじとおばの夕食を用意するとのことらしく、朝と昼の2食になりました。作ったのも持って行ったのも、ほとんどというか毎日わたしがの思いがあるよ。淡々と書いてますが、倒れるというより、死にそうな思いでやってました。母が始めだしたの、気がついたらわたしがいつのまにかするはめになってて、このまま毎日こんな介助生活してたら、おじおばより、わたしのが先に死んでしまうと重い鬱状態にもなりながら、必死の思いで耐えながらこれをやってました。
嬉しいことはないとは言えないかもですが、正直、ほとんど苦しい思いばかりの感じがして、辛かったのは事実に思います。
お給金で正月から出始め、元旦に1万か2万円だったと思います。それも食材費込みでこの内容でした。2月から6月までは、6万円(8万~9万の月が2回あったとは思いますが)だったと思います、頂きました。それも食材費込みの内容。間で、物をもらったことがあったりはあったけど、これって次にあげてます、実際にあった出来事であります内容がこれですが、おじの人は、意外とさらに3万円渡そうとはしてくれましたが、多いと思い、その際は受け取りませんでしたよ。色んなことがありすぎて、後で、やはりあの時の加えようとされた3万円頂く方がよかったかもしれないと思っているのですが、判断間違ってますかどうか知りたいのですが。
おじ・おばに対してごはんは3食の食事の時とかは、わたしの家族とおじとおばの食材費合わせて毎月6万以上はしてましたから、おじから月に6万くらい貰ってましたが、家におじとおばの家の食材費代として、3万円親に渡してましたよ。わたしは3万円受け取りましたけど、その中から、2人分の青汁代8000円くらいとか、間で楽しませたい気持ちから鰻の握り寿司とかホールのデコレーションケーキ(おばさんの誕生日の日用に、用意しましたけど。ケーキ屋のバースデイケーキでした。半分は、わたしらの家に食べきれないからと頂きましたけど)とか、お店で焼かれたお好み焼きとか海鮮丼買ったりしてあげたりしましたですが。なので、実際毎月わたしが頂いた金額は2万円もなかったような思いがしてます。
毎日ほとんどずっと手作りでしたし、死にそうでしたが、気合い入れて作ってましたです。
朝は、半熟ゆで卵と自家製レタスとトマト、バナナ、りんごと季節のもう一品の果物
、ブルーベリーヨーグルト(←途中から、おじのほうが食べられないことがわかって止めましたが)、10種類くらい入った野菜スープ(キャベツ・しめじ・エリンギ・えのき・人参・玉葱・ジャガイモ・南瓜・舞茸とかだったと思う)、青汁2袋
昼と夜は、ハンバーグステーキ・煮込みハンバーグ・茄子と鶏の照り焼き丼・三食のそぼろ飯・親子丼・中華炒め・木の葉丼・(具合の悪い時には、たまご雑炊やきのこ雑炊・手作りの全粥、梅を入れたりしたです)・鶏団子鍋・鶏の水炊き・すき焼き・豚肉のすき焼き風煮込み(豚小間切れ肉・白菜・しめじ・えのき・人参・糸蒟蒻・木綿豆腐は入ってあったと思いますが)・(母が作った本格手打ちの購入したそばで天ざる)・煮魚(赤魚とか鰈など)・鯖の味噌煮・三種の和風ピクルス(きゅうり・玉葱・プチトマト)・味噌汁・金平牛蒡・こんにゃく煮・ポテトサラダ・もやしの中華卵とじ・豆腐ステーキ・コロッケ丼(コロッケは総菜のを買ってきて、玉葱入れて煮て卵とじした丼)・ほうれん草おひたし・南瓜煮・茄子煮・肉じゃが・鰯の生姜煮・カレーライス・鶏のクリームシチュー・手作りコロッケ・牛のスティックステーキ・焼き鮭・手作りお好み焼き(シーフードミックス・キャベツ・エリンギ・えのき・全卵・味のついてますたこやき粉・お好みソース・青のり)・煮込みうどん(わたしで味付けした京揚げ・ちくわだったり平天とか系・えのきとかしめじ・細切りした人参・青葱とを持参して、おじとおばの炊事場をお借りして汁とかを沸騰し直して、その場でうどんを投入して出来たてを提供してましたよ・おでん)。。まだあるよな気もありますが、忘れました。母のも何度かありましたけど、天ぷらとすき焼き以外は全部わたしの手作りなのですよ。
食事の世話をするようになって、お家に上がるようになってから、一度、ぜんざいを作りましたよ。
お茶の時間にわたしの小豆炊いたのから作ったぜんざいも持って行ってます。餅はレンジで膨らませて、鍋で熱したぜんざいにレンジでチンしたお餅を投入したのを、おじに食べさせてあげたりした覚えがありますよ。
ほかにも、食事のセッティング、後片付け、食べ始めから食べ終えるまでの見守りと話の聞き役、外の掃き掃除は、ほとんど欠かせないでしていたよ。
必死の思いでしたのがあって、あまり言いたくはないのだけど、お金が欲しかったの。ただ、怖いから、あまり貰わないようにしたのですが、それが良くなかったかなと思いました。
おじとおばのところへ食事を届けに行ってました時、当然のことながら、長い話を聞くようなことが多発したような覚えがあるよ。
長話で特にイヤだったのは、おじ・おばの長男にあたる息子(現在よ、嫁と一緒に弁護士の仕事で働いてるそうです)が、東京大学を主席で卒業するほどの能力だったそうですが、その話をして私に自慢しまくりでした。顔には出さないけど態度にモロだしのおじも、東大トップで卒業した孫がものすごい自慢のようです。あと、
患いがひどく、その時は物忘れが激しかったおばさんの亡くなられた弟さんが、早稲田大学をご卒業されてらっしゃる学歴の人とのことで、その話をわたしを見て、「お前なんかやれもしない人間のくせに」と言ってるような表情をして含み笑いをされたりとかあって、イヤでしょうがなかったのがありますが、わたしは態度になるべく出さないようにして、ガマンしながら話を終わるまでじっと聞いたりしてさしあげたことがあります。おばさん、そういった内容は、物忘れがかなりあるのにもかかわらず、ちゃんと記憶していますのに、食事も世話を終えまして、何ヶ月後かにまた、体の具合が悪くなって島外の病院へ入院され、お見舞いに行くと、わたしが食事とかの世話をしてあげたこと一切覚えてないのです。それはなんでなの?

なんでかわからないけど、6月中旬に、Mというおじ・おばのところの嫁にあたる、かお▲といった名前の人間が、なにか得体の知れない身に覚えのないような内容、嫁の旦那に吹聴したようで、おじ・おばの家に何か用があって行った際に、は話の最中、何かの拍子にいきなりおじ・おばの嫁の旦那(次男)から怒鳴り散らされることがあったです。
その内容というのが、おじさんおばさんの家で母と漬け込んだ大根の漬け物が、そろそろ石をあげないととお母さんが言い出し、手押し車を押しながら、おじさん・おばさんの家の敷地内に入った時のことです。次男に人が「いいからしなんな(することはない)」と言ってたのを、母が「気になさらないでください。こっちが勝手にすることだから~」と言った内容のことを話しましたら、急に「するなと言っただろ!」と言った内容の怒鳴り声をあげました。その次に「×おりに「会いにこん(来ない)」と言ったんじゃろうが!」と言いだし、母が怒って「そんなこと言わないよ」切れそうな思いで思いを伝えると、
怒りながら、「もう家に上がらんといてくれ」と言われ、その時に、お母さんが次男さんに「待ってください。お姉さん(おばさん)に一言挨拶だけさせて」とお願い言って、おばさんに会いに家に上がって、その間わたしはおじ・おばの家の前の畑の一点をじっと睨みながらよそを向いてお母さんが出てくるのを待ってましたら、次男の人から「帰り(帰りなさい)。」と言われ、わたしひとりだけ先に失礼しました。
その次の日から、用事がない限りこちらからは出向かないようにしております。
おじ・おばの息子の次男から怒鳴られた後、家に帰って、母と「か▲りさん、嘘言ってるよね。わたしら、気を遣いながらずっと話したのに、そんなこと言わないよね。」と言い合い、母が、息子の次男の嫁である▲おりと会って話す機会があった時に、母が「わたし、そのようなこと言った覚えがないのだけど~」と伝えると、嫁のかお▲が「言ったんですよ。義母がかわいそうとわたしに言ったんですよ。お義父だけになった時は、またよろしくお願いします」と返したそうな。母は、「それはあんまりなんじゃない?」と返事したとわたしに伝えてます。か▲りの言った「義母がかわいそうと言った」と言った内容、それについて話すとするなら、前に、嫁が家に来て、「義母がもう先が短いみたいだから、旦那が悔いが残らないように義母(おばです)のお世話しようという話になったので、これからはもう食事のお世話されないでいいです。それから、義母が話が長くなると、どっと疲れが出るから、あまり来ないようにお願いします。それから義母と話すのがあったら5分以内にしてほしいのです。」と言ったものだから、それに対しおばとの親交が長いわたしのお母さんが「話し相手もなくお姉さん(おば)を孤独にさせてしまうのは、あんまりだと思います。それはかわいそうだと思います。」といった返事の仕方はしたのは記憶してるけど、次男の嫁である、か▲りとか次男家族の娘がおばとおじの相手をしないのでかわいそうといったような言い方は、人前でしたことがないと思って、わたしと母は、ふたり「おじ・おばの嫁の▲おりさんて人、平気で人を騙して、自分の思い通りに話しを作る怖い人だよね。もうあの人の顔、見たくもないわ。」と言い合い、それからは、か▲りの家の人と間を置くのがいいと思うようになってます。

息子である次男家族に対してのおじ・おばへの接し方は特に気をつかって言葉に気をつけてきた思いがあるのにもかかわらず、この向けられようはどうしてか、それは次男の嫁が平気で人を欺くことが言えるような人間だからなのではないかと思っているのと、おじ・おばの虚言かもしれないような思いがありますが、わたしに向かってだと、おばは、成人した女性である孫になる人のことを、おばさんに対してお世話をしないような思いがあるような言い方で、よく思わない言動が続いて、必死で孫のほうをカバーして手こずった記憶がありますが、それが気にいらなかったのかどうかはわからないでいるですが、そんなおばさんには思えなかったので、やはり次男の嫁が原因かもと思ってるんです。ひょっとしたら、おじ・おばの言動がそのようになったかもしれませんけども、、、
次第に、おばがお年だからなのかどうかわからないままでいますが、他界されて、電話があって、お通夜とお葬式にお父さんと出席したですけど、お葬式の日(今年の4月終わり頃になるですが)、他県から駆けつけたおじ・おばの息子である長男のほうと初めてお会いしたとき、お父さんがわたしを長男に紹介したその時、わたしにものすごい毛嫌いした表情されましたよ。「なにこのおっさん」と思いましたけど、おばのお葬式だからと、その日はずっと感情を抑え込みましたよ。長男の嫁と会話した時にも、
おばは、わたしの母によくお世話になったと言って、わたしがなにげに「わたしも亡くなられたおばさんによくしていただきました」と長男の嫁に伝えたら、「そうですよね」と言って、信じられないといったような表情をされたのです。
それって、わたしのしたこと逆手に取りながらも、わたしのことをずっと毛嫌いしもって、その間わたしが倒れそうになるほど苦しい思いしながらでも、おじとおばの食事のお世話をするのわかってやったことなのでしょうか。利用されまくられ続けて、下げられてまでお世話しなくちゃならないっ思いてどんな感じなのかわかりますか、か×りという人間さん。気になって、吐き気がしてます。ものすごく。正直、か×りのほうに対して怒りがこみ上がり、ものすごい女だなと憎悪感が日に増してこみ上がってくるのです。おじのほうに対しても怒りがこみ上がっております。なんでこうなるのかなと思う。わたしを利用するだけしておいて、これはないのではないかと思うのは自分の思い違いなのでしょうかわからないでいる次第なのです。もう限界の思いがあります。
Mのおじ・おばや、次男一家の人間に対し、私が低姿勢で接したのは間違いだったのかもしれませんが、そうでもしないと、おじさんおばさんの内容が破壊される思いがあったのがあって、かお×さんの側に言えなかったような思いがありますが、それも悪いことだったのでしょう。もの笑いのほうに向けられてる思いがあったのは、それがないからなのかと思いました。
それにつけ加えて、私の方側に聞こえ続ける物笑いされるような内容の幻聴が、Mの家の人ほぼ全員近くの人から聞こえてくるので、毎日こんなの聞こえてると、わたしの中で嫌な思いがあって、このようなこと書いておりますが、誰がこんな内容信じますかと言った内容みたいかもしれませんが、本当の内容書きました。お許しください。
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