とのさま日記なるもの

思いのすべてを書きます

そこに家があるから ①

2018-12-04 18:36:02 | 小説
「おとうさん おとうさん」

四郎は声のする方に顔を向けた。
老女がこちらに向かって歩いてくる。

「おとうさん おとうさん」

その足取りはゆっくりで摺り足であった。
老女は四郎の前で立ち止まった。
頭の中で四郎は思った。

「はて、誰だ 覚えがあるようで覚えがない」

老女は四郎の肩をポンっと軽く叩いて言った。

「寒くなってきたから中に入らんと」

確かに先程から風が冷たく感じていた。

「あんたは誰や 何処に行けって言うんや」

四郎は老女に向かって言った。

「わからんわ はよ 中に入り」

老女は四郎の腕を乱暴に引っ張った。

「何するんや」

老女の手を払おうともう片方の手に力をいれた。

しかしどうしても動かないのだ
力もいれたようで入っていない。

「動かん」

呟いた。

四郎は仕方なく立ち上がった。

「おとうさん、杖、杖よ」

老女が黒い杖を持ち上げて四郎に渡した。

「ああ~~ これがなければ歩けんのやった」

頭の中に靄がかかりそれが少し、ほんの少し晴れていくような感じがした。

「そうやった これはわしの嫁さんや これはわしの家や」

妻に支えられながら少しずつ歩く。


朝のことだ。

「おい、お茶入れてくれ」

四郎は湯飲みを差し出した。

「お茶ですか」

妻は湯飲みを受け取り台所に行った。

「裏庭の畑どうなっとる」

妻が湯飲みを四郎に渡した。

「何ですか おとうさん」

「畑や 裏の畑」

四郎はイライラしながら言った。

「わからんのよ」

妻が小さく答えた。

「聞こえんのか」

妻は耳が遠くなったしまったのか…
四郎は湯飲みを口に運びながら思った。

「わしが言うとうことがわからんて」

「そやから わからんのです」

「わしの声が聞こえんのか わしの言葉がわからんのか 」

「おとうさん、言葉が不自由やからはっきりとはわからんのよ」

四郎は妻の言葉でまた頭の靄が晴れていった
脳梗塞で倒れた事を思い出した
右手足が自分ではままならない。

四郎は持った湯飲みを目の前にかざして見てみた。
左手で湯飲みを持っていた。
しかし、力のはいりかたは弱い。
右手はピクリともしないのだ。

「そうやった 前のようにはいかんのやった」

頭の中でのやり取りはもうどれだけ続いてきただろう。

最近は午後になると周囲の事がわからなくなっていた。

朝のうちはこれが妻でここは家だとわかるし、自分が置かれている状況もわかるのだ。

昼御飯を食べて昼寝をしてから頭の中には靄がかかり始めるのだ。

「おとうさん 庭に出るときは言ってくださいよ もう寒いですからね 危ないから また倒れたら大変やから」

妻の言葉に四郎は頷いた。













  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ステーキ食べ終えたらカミナリ⚡大雨

2018-12-04 17:53:41 | 独り言
バリバリドカーン‼️

大きなカミナリが⚡

そして酷い雨が降っています

なんなの?

そっと外を見たら大雨





私がこそっと

ステーキを食べたから?



食べ終えたとたんにドカーン‼️




ひえ~~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早口は外国語みたい

2018-12-04 16:17:33 | 考える
今日は眼科に来ています

職場の近くです

私の娘もお世話になりました

こちらの看護師さんや受付のスタッフさんたちはとてもゆっくりと話されます

声も一トーンさげて

たぶん高齢の患者さんが多いからだろうな

私も最近は高い音、早口は苦手

テレビも字幕がないとバラエティー番組は見ることができないのです

老いるってこう言うことなのね☺️


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意味な検査は必要ない

2018-12-04 15:45:31 | 考える

今、医療費が国の財政を圧迫している

私も持病があるので二月に一度は通院しなければならない

お金も時間も勿体ないなって思う

日本の保険制度のおかげで通院できる

ありがたい

全額負担なら多分通えないだろうな

 

私の母も闘病中、とても高いお薬を処方していただいていた

母はこのお薬のおかげで生かせてもらってるって感謝していた

天寿を全うできますよってお使者さまに言われて家族は安心した

 

最近はいつも検査をするね

通っている私の病院は二月に一度か三月に一度の検査だ

それまではひと月に一度検査をしていた

今の主治医はそんなにしなくても良いですよって

 

通院も毎月でなくてよいですよって

お陰様で薬代は二月分だけど診察代は各月で良くなったので3000円は少なくなった

 

母も以前から3か月に一度血液検査をしていた

そのおかげで白血病を慢性のうちで発見することができたんだ

早く見つけられて良かったですねって

急性だったら助からなった

 

ある程度の年になったらそういった検査は必要だと思う

適切な時に検査

これは大切だ

 

でも、ついでにあれこれしときましょうは

 

無意味だと思う

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事は心の支えである

2018-12-04 15:16:23 | 考える

嫌な天気だな

また雨が降ってきた

朝はムワ~とした湿気を含んだ生あったかい気温

しぐれてるっていうのかな・・今は灰色の雲が覆ってきて雨が降ってきてる

 

外に出てみるとそんなに寒くもない

時折へんな風が吹いてね

ついさっきまでは静かに雨がぽつぽつ降っていたのに

風が吹き出して商店街のアーケードや電線がなっている

 

歳末セールの用意をしていて一休み

このイベントがくると今年もいよいよラスト

この間

春のセールをしたと思うのにな~

昨年の歳末セールの時期は母の危篤が続いて心がザワザワしていた

 

時を忘れたわけではないし遠い過去の話でもなくたった一年ほど前の事だけど

とても懐かしい

今は辛いというより寂しいのだ

 

でも、仕事があったから心が折れることもなく母の世話もできた

仕事があるから母の世話ができないっていうのではない

あくまでも気持ちのことだ

あの何度も襲ってきた危篤という時

何回も求められる医療の同意書

仕事を必死でしている日中は少し忘れることができた

 

携帯電話が鳴るたびに病院からかってドキッとしたけど

 

言葉を失い目や意識ははっきりしている母

しかし、身動き一つできない母

毎日その母のもとに通った

転院先は職場の近くの病院にして仕事が終わったら母のもとに行ったんだ

 

どこまでわかっているのか・・

でも、私が行くと目を大きく見開いてみてくれる

母もつらかっただろう

そして私もとても辛かった

 

でも、仕事があったから乗り切れたと思う

母が亡くなっても私は葬儀の翌日から仕事をした

したというよりさせられたわけだ

 

上司のパワハラもあったけど

今考えたらそのおかげもある

 

負けないっていう思いが辛さを忘れさせてくれた

仕事を休んだのは亡くなった火曜日だけ

葬儀は水曜日で定休日だったからね

 

私は上司のために仕事をしているわけでもない

この職場の仕事をしている

そう思って今もやっている

 

歳末セールが終わったらこの一年も終わる

喪中だから正月もない

でも、孫と会えると思ったら楽しみだ

今までは母とどう過ごすか、どう思い出を残すかだった

これからは思いっきり私の子供たちと孫たちと過ごして、思い出をいっぱい作っていこうと思っている

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする