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山田太一さんといえば、皆さんどの作品を最初に思い浮かべるでしょうか。
「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「想い出づくり。」「ふぞろいの林檎たち」「早春スケッチブック」などの代表作をはじめ、
「木下恵介アワー」「高原へいらっしゃい」「沿線地図」「それぞれの秋」「春の一族」「悲しくてやりきれない」「丘の上の向日葵」「君を見上げて」「香港明星迷」「五年目のひとり」、等など……長きにわたるTVでのご活躍、
映画「少年時代」や小説「異人たちとの夏」、数々の名エッセイにも忘れがたき魅力が溢れます。
「ながらえば」「冬構え」「今朝の秋」の笠智衆さん三部作も大好きです。
両親が見るのを横で一緒に見ていました。
「夕暮れて」もドキドキしながら親とみた記憶があります。NHK強い。
自分の部屋にテレビが入ってからは単発の二時間ものなど一人で見るようになりました。
後年、日本映画専門チャンネル「山田太一劇場」で、往年の名作が多く放送されましたが、やっぱり家族と見た作品にはその情景とともに特別な思いが宿ります。
以前、演出家の松原信吾さん(「本当と噓とテキーラ」「小さな駅で降りる」「奈良へ行くまで」等)に山田ドラマとの出会いを聞かれた際にお話したのですが、私の家は昔から、ちゃぶ台を囲んでその日のことを報告しあうような家庭ではなく、どちらかといえば各々の好きなもの(映画や音楽や本など)を通してコミュニケーションを取るのが心の交流になっていました。
山田さんのドラマはその役割を担う重要なコミュニケーションツールのひとつであり、社会でした。
母が涙したり、父が感心したりするシーンひとつひとつが子供心に鮮烈で、忘れられない思い出なのです。
世代が違ってもそれぞれの見方感じ方で楽しむことができ、日常で何度も思い返し、さらに自身が年齢を重ねて再び接したときには、また別の感慨を得られるという、まるで夏目漱石の小説に通ずる深い味わいがつまったエンターテインメントだと思います。
最後の連ドラとなった「ありふれた奇跡」(09’フジテレビ)でのワンシーン。
仲間由紀恵さん演じる主人公が八千草薫さん演じる祖母に、「おばあちゃん、少し目が悪い? お皿もコップもよく洗えてない」と訊くのですが、この時の「私はね、食器は手触りで洗ってるの。目なんかで洗ってないの」という八千草さんの返しが秀逸でした。私の師匠は洗い物をするたびこのシーンを思い出し、山田さんのことを思う、と話していました。
タッグを組む演出家によって作品のテイストが異なり、そこに自身の作家性と時代と切り結んだ感性を見事にテーマとして昇華させていた山田さんの作品は、時に辛辣でも、決して誰かを傷つけることはありませんでした。
勝者より敗者、強者より弱者に光を当て、割り切れない気持ちこそが大切なんだと肯定し、
「そんな人が希望を持てない世の中って、おかしいんじゃないか」という視線とともに、声高にではなく、けれども心強く、書き続けた方でした。
幸いなことに、未見の作品がまだたくさんあります。「獅子の時代」も「輝きたいの」も、「真夜中のあいさつ」も。
先週、勉強会の仲間が生前最後のインタビュー音声(NHKラジオ深夜便)を発掘してくれ、聞きました。
そこでは「いつ死ぬのかわからない、それが悩み」だと話しておられ、40代から老いをテーマにした作品を書いてきた山田さんが、今の年齢で見えてきた人生の終焉への真に迫った思いが垣間見えました。
「死ぬのを待っている今だから、それ(死)がどういうことか書きたい」「大勢に見える意見が大衆の声のように思われがちだが、そうじゃない人の方が多いってことを言いたい」と、山田さんらしい考察がいくつも聞かれ、胸が熱くなりました。
声高にではなく、けれど心強く。
私も少しでもそんな風に生きていけたらと思います。
改めて、山田太一さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(屋根より高い松の幹)
(屋根の上からひょっこりと)
ちょっきん と伐られた上の方
屋根の上もなにもない、空だけ。
ではではまた