雪見の窓から

観たり聴いたりときどきおしごと

山田太一さんを偲んで ②   作品編

2023-12-13 03:53:25 | 日記

①の記事はこちらです↓

山田太一さんを偲んで エピソード編 - 雪見の窓から




山田太一さんといえば、皆さんどの作品を最初に思い浮かべるでしょうか。


「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「想い出づくり。」「ふぞろいの林檎たち」「早春スケッチブック」などの代表作をはじめ、

「木下恵介アワー」「高原へいらっしゃい」「沿線地図」「それぞれの秋」「春の一族」「悲しくてやりきれない」「丘の上の向日葵」「君を見上げて」「香港明星迷」「五年目のひとり」、等など……長きにわたるTVでのご活躍、

映画「少年時代」や小説「異人たちとの夏」、数々の名エッセイにも忘れがたき魅力が溢れます。



「ながらえば」「冬構え」「今朝の秋」の笠智衆さん三部作も大好きです。

両親が見るのを横で一緒に見ていました。

「夕暮れて」もドキドキしながら親とみた記憶があります。NHK強い。


自分の部屋にテレビが入ってからは単発の二時間ものなど一人で見るようになりました。


後年、日本映画専門チャンネル「山田太一劇場」で、往年の名作が多く放送されましたが、やっぱり家族と見た作品にはその情景とともに特別な思いが宿ります。


以前、演出家の松原信吾さん(「本当と噓とテキーラ」「小さな駅で降りる」「奈良へ行くまで」等)に山田ドラマとの出会いを聞かれた際にお話したのですが、私の家は昔から、ちゃぶ台を囲んでその日のことを報告しあうような家庭ではなく、どちらかといえば各々の好きなもの(映画や音楽や本など)を通してコミュニケーションを取るのが心の交流になっていました。


山田さんのドラマはその役割を担う重要なコミュニケーションツールのひとつであり、社会でした。


母が涙したり、父が感心したりするシーンひとつひとつが子供心に鮮烈で、忘れられない思い出なのです。


 

世代が違ってもそれぞれの見方感じ方で楽しむことができ、日常で何度も思い返し、さらに自身が年齢を重ねて再び接したときには、また別の感慨を得られるという、まるで夏目漱石の小説に通ずる深い味わいがつまったエンターテインメントだと思います。



最後の連ドラとなった「ありふれた奇跡」(09’フジテレビ)でのワンシーン。

仲間由紀恵さん演じる主人公が八千草薫さん演じる祖母に、「おばあちゃん、少し目が悪い? お皿もコップもよく洗えてない」と訊くのですが、この時の「私はね、食器は手触りで洗ってるの。目なんかで洗ってないの」という八千草さんの返しが秀逸でした。私の師匠は洗い物をするたびこのシーンを思い出し、山田さんのことを思う、と話していました。



タッグを組む演出家によって作品のテイストが異なり、そこに自身の作家性と時代と切り結んだ感性を見事にテーマとして昇華させていた山田さんの作品は、時に辛辣でも、決して誰かを傷つけることはありませんでした。

勝者より敗者、強者より弱者に光を当て、割り切れない気持ちこそが大切なんだと肯定し、

「そんな人が希望を持てない世の中って、おかしいんじゃないか」という視線とともに、声高にではなく、けれども心強く、書き続けた方でした。



幸いなことに、未見の作品がまだたくさんあります。「獅子の時代」も「輝きたいの」も、「真夜中のあいさつ」も。



先週、勉強会の仲間が生前最後のインタビュー音声(NHKラジオ深夜便)を発掘してくれ、聞きました。


そこでは「いつ死ぬのかわからない、それが悩み」だと話しておられ、40代から老いをテーマにした作品を書いてきた山田さんが、今の年齢で見えてきた人生の終焉への真に迫った思いが垣間見えました。

「死ぬのを待っている今だから、それ(死)がどういうことか書きたい」「大勢に見える意見が大衆の声のように思われがちだが、そうじゃない人の方が多いってことを言いたい」と、山田さんらしい考察がいくつも聞かれ、胸が熱くなりました。




声高にではなく、けれど心強く。

私も少しでもそんな風に生きていけたらと思います。


改めて、山田太一さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。






山田太一さんを偲んで  ①  エピソード編

2023-12-13 03:24:05 | 日記
去る11月29日、敬愛する脚本家で作家の山田太一さんが逝去されました。


「ご高齢で、いつかは……という思いはありましたが、そうなってみるとやはり寂しく、お疲れ様という気持ちです」


これは1993年に笠智衆さんがお亡くなりになった際に山田太一さんが仰っていた言葉です。


私も今回、同じような心境で、その訃報を受け止めました。


山田太一フリークの私にとって、「山田太一さんのいない世界」とは大きな喪失を意味します。しかし実のところ、それがどういうことなのか、いまだにピンとこないまま、日々を過ごしています。


新作を見ることはかないませんでしたが、思いがけず「ふぞろいの林檎たちⅤ 他」の未公開シナリオ集(著者 : 頭木弘樹|国書刊行会)がこの秋発売されたことも、悲しみを和らげる一助となっている気がします。


高校1年の夏休みに再放送で見た「ふぞろいの林檎たち」(以下、ふぞろい)に心揺さぶられ、その後偶然書店で見つけたシナリオ本を買ったのが始まりでした。

台詞を諳んじるまで繰り返し読み、山田さんと同じ大学に入るために必死で勉強をしたり、高尾山に上ってリフトで足をぶらぶらしたり(ふぞろいあるある)、寺山修司氏との友情に憧れたりしながら生きてきました。


時は流れ2000年代、偶然渋谷駅でエスカレーターを降りる山田さんや、倉本聰さんの舞台客席で目を潤ませている山田さんや、シナリオ作協の忘年会で国広富之さん、島田陽子さんと同じ空間にいらっしゃる山田さんをお見掛けしては、半ばストーカー的にお姿を(目で)追いかけきた私に、その日がやってきます。




2002年6月。

当時赤坂にあったシナリオ会館で開催された「シナリオ俱楽部」で、山田太一さんをゲストに迎え「春までの祭」(89‘フジテレビ)が上映されました。

私の山田愛を知る師匠の井上正子氏が声をかけてくださり、参加しました。ドラマ自体は前に見ていたものの、普段あまり見かけない錚々たる方々が顔を揃える中で鑑賞した作品は「やはり山田さんは特別な存在なんだ」という緊張とともに、脳と目に焼き付きました。


たまたまその夜、私は師匠と新宿で上演中の山田さんの舞台「浅草・花岡写真館」を観に行く予定でした。山田さんと雑談を交わしていた師匠が私を紹介して下さり、さらに師匠はいうのです、「今から山田さんと劇場まで一緒にいきましょう」と。


……なんですと!?


山田さんもたまたま劇場に見に行く予定だったとのことで、それから1時間ちょっと、赤坂を出て原宿を経由し、紀伊國屋サザンシアターまでの道中。タクシーで、山手線で、私は相当な暑苦しさで山田さんに思いの丈(いかに山田さんの作品が好きか、ふぞろいが素晴らしいかetc.)をぶつけていたらしく(師匠談)
…その様子はいうなれば、よく山田さんのドラマに出てくる田舎娘で世間知らずで空気を読めない故に大胆なことをやらかす人。悪人じゃないけど傍から見るとちょっとイタい人そのものだったろうと思います。


普段は人と話すのに積極的じゃない私のこの様子に師匠ドン引き。……もとい驚き、山田さんはだいぶ戸惑いながらもニコニコと話を聞き、「僕の芝居なんて、よくまぁ見に行きますねぇ」と照れ隠しを仰りながら、「お礼」だと私たちに劇場下のカフェでサンドイッチとコーヒーをご馳走してくださったのです。

そのサンドイッチのケースを私は、長いこと大事に持っていました。


最後にお目にかかったのは、2013年2月、脚本アーカイブズシンポジウムのロビーだったと思います。師匠から山田さんから「彼女はどうしていますか」と聞かれたわよ、という言葉を心にとめていた私は、休憩時間にお見掛けした山田さんに図々しくもご挨拶させていただいたのでした。


2020年に師匠が亡くなった後、山田さんにお手紙を出しました。その頃既に施設に入っておられたので、万が一にも届いたかどうか、それは分かりません。

ううむ、山田さんの作品について書くつもりが、「あるストーカーの記」みたいになってしまいました。すみません。


②に続きます。