雪見の窓から

観たり聴いたりときどきおしごと

秋日閑談

2024-10-21 06:45:00 | 日記
長かった夏が遠ざかり、澄んだ空の下に金木犀が咲き、
ぎゅうぎゅう詰めだった心に、ようやく穏やかな風の通り道ができた気がします 。

手放す寂しさを、新しく入ってくるための余白に変える

そんな日々に聞いていた曲たちです。

·映画『時々、私は考える』 より Opening /Dabney Morris
·航海日誌 映画『冒険者たち』 より /Bernard Gerard
·Silver Joy  映画『ホールドオーバーズ』より /Damien Jurado
·Rainbow 「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」より/Vincent Blue
·Heavy Love /Rockon Social Club
·花 /藤井風
·秋、多摩川にて/KAN
·夏、ハイランドフォールズにて/Billy Joel
·落葉のコンチェルト/Albert Hammond

『時々、私は考える』と『ホールドオーバーズ』、どちらも封切は見逃して、ミニシアターで滑り込み鑑賞。

『時々~』は主人公への共感度が半端なく、不思議な色彩の映像美とともに、無性に心地よい作品。

『ホールド~』は、『ネブラスカ』の監督だと映画好きの知人に聞いて楽しみにしていました。
想像よりほろ苦い話でしたが、それこそが人生であり大人なのですね。
70年代の舞台を彩る珠玉のサウンドトラックが、これまたべらぼうに素晴らしかった!

そして「航海日誌」。
アラン・ドロンの映画『冒険者たち』の冒頭、自転車を押しながら登場するレティシア(ジョアンナ・シムカス)と美しく寂しげな口笛のメロディーがあまりにも鮮烈でした。

冒険のスリルと青春の終章が交差する物語の魅力を見事に表現したこの曲、日本では1987年にHONDAのシビックのCMで使用されていて、私はそちらで先に知りました。

さらには、『地下室のメロディー』の音楽がプレリュードのCMに使われていたりと、当時のHONDAのCM担当にはアラン・ドロン好きがいたのではないか? と勝手に推測しています。


余談ですが、父が昔、背広を仕立てに行ったお店で採寸していた時、店員さんに「アラン・ドロンと同じ体型ですね」と言われたことにいたく感激し、その後何十回も自慢していたものです。
営業上のリップサービス……と今ならツッコミのひとつも入れたいところですが、当時はまだカリスマという言葉は浸透しておらず、名前一つで有頂天にもなれる、そんなお茶の間憧れの外国スターが、テレビの中にたくさんいた時代でした。

ちなみに父のもう一つの自慢(?)は「生まれた年がオードリー・ヘップバーンと同じ」というもの。私だって、ウィノナ・ライダーと同学年だぞ(なぜ張り合う)。

実は私も自慢したかったりして🥴





※当ブログ内容の無断転用、転載はご遠慮くださいますようお願いいたします🙇

夏が通り過ぎていく

2024-08-12 02:59:58 | 日記
いわゆる流行りやまいの療養期間が終わり、そろそろりと再始動しています。

高齢者の介護をする身として、どこでもマスク、大人数の会食や飲み会は極力避けるなど、今までかなり気をつけてきましたが、不可抗力のような形でかかってしまうのがウィルスの怖さだなと改めて感じました。

5、6、7月と仕事、介護、家事で忙しかった分、
気ままにラジオを聴いたり、配信サイトにおすすめされるがままに映画やドラマを観たり、時間に追われずに過ごすことが本当に数年ぶりで、ある意味、ありがたいことだったのかも……と今になって思えるようになりましたが笑、
やはりもう勘弁してほしい、が本音です。

※この期間観た主な映画、ドラマ
『ボヘミアン・ラプソディ』『ショー・マスト・ゴー・オン』『生きてるだけで、愛』『Red』『彼女について知ることのすべて』『リトル・マエストラ』『運命じゃない人』『私の知らないわたしの素顔』『秘密の森の、その向こう』
韓ドラ「プロデューサー」


気づけばオリンピックも終わり。
7年間バドミントン🏸を嗜んだので、女子ダブルス3位決定戦だけは見ました🥉スピードと緩急が凄すぎた👏👏👏

大きな地震や台風も気がかりですが
諸々気をつけながら、夏らしい思い出をひとつくらいは作りたいものです。


私はいつでもオッケーよ👌⚽️🌿🌞




三か月が過ぎました

2024-04-08 07:45:00 | 日記
桜の季節がやってきました🌸🌸🌸

今年は春を待ち焦がれる気持ちと、季節が進むことへの焦りや切なさのような思いが入りまじる、そんな桜便りでした。

3月末、
金沢市の隣、河北郡内灘町の西荒屋地区へ行ってきました。

軽自動車で能登半島へ赴くには時間や技術や体力や装備があまりに足りず、復旧作業の邪魔になってもいけない……でも今現在、どんな状況なのか、行ける範囲で見ておこうと思いました。

報道等でも状況は見聞きしていましたが、地震から3ヶ月経とうとする時期にあっても、目に見える範囲だけで地盤被害と液状化による影響は大きく、その多くは未だ手つかずで残っている印象です。

とはいえ、発災当初に大きく隆起し地割れを起こした道路は車が通れる程に整備され、道に覆いかぶさるようにいろんな角度に傾いていた電柱も安全な状態に修復されていました。

発災当初の記事↓

私が行った日も、現場作業の方々と思われる人を数人見かけました。ただ現在人員や重機は能登に集まっている状態で、どうしても人手は足りないであろうことが感じられました。

歩く人影も疎らでしたが、2人連れの高齢女性が歩いているのを見かけ、その表情が明るかったのは救いでした。

夜になってもう一度通った時にはところどころ住宅に明かりが灯っていて、少しだけ安堵する反面、家に戻れない方々を思うと胸が痛みました。

内灘町から少し離れたかほく市では、やはり地割れなど通行止めの場所が多くありましたが、すぐそばの公園では子どもたちが楽しげに遊び、イオンモールも一部を除いて元気に営業中でした。


ひと月程前、TVで見た男子高校生の言葉が印象に残っています。 神奈川からボランティアに来た彼は言いました。
「もう関東では、能登の地震のことを口にする時期は終わったという空気になっている。だけど困っている人がいる以上、何か役に立ちたいと思ってここに来ました」

自分がこの年頃の時に、そんな風に思う感性があっただろうか? と、とても感銘を受けたのです。

能登の人は本当に我慢強くて優しい。改めて感じます。被災された方の言葉を直接間接に聞き、愚痴や泣き言より、自分たちより大きな被害のあった地域を常に思いやり、「気にかけてもらえるだけで嬉しい」と、相手を労る気持ちを忘れない、そんな姿勢にとても頭が下がる思いです 。


かつて新卒で入社した会社で、石川県の自然雑誌の編集に携わりました。その時に出会った能登の雄大な自然、風光明媚な景色、芯が強く温かい人々、美味しい食べ物……
その経験のお陰で郷里をより深く知ることができ、豊かさに気づけたと思っています。

未だ断水が解消されない地域があり、仮設住宅への入居や家屋の公費解体が始まる一方、のと鉄道の復活など、嬉しいニュースも少しずつ届き始めています。
時に厳しい状況が訪れても再起してきた土地です。
これから先、復興への長い道のり 、何ができるか考え、能登をはじめとした地域を思う気持ちを持ち続けたい。
そしていつの日かまた能登へ、足を運びたい。そう願っています。






シバ(48)の日だわん🌸




希望を探す 2023ー2024備忘録③

2024-01-14 13:35:00 | 日記

1月2日。雨のち雪。

一夜明けると、輪島の朝市通りが焼け野原になっていた。

東日本大震災が起きた翌朝、自衛隊のヘリコプターが降り立ち、孤立していた地域の人々を救う映像が目に焼き付いている。
今回もそんな光景が見られることを心のどこかで願っていた。

こういう時は言葉が強くなり、人心が荒れる。

人の優しさと残酷さ、極端な面が可視化される。

発信や拡散をするときは、自分が確認して、できるだけ絶望よりも希望を感じる情報を、と思う。

とはいえ、ニュースを見るたびにショックを受け動揺する。悪い夢を見ているようだ。でも現実。家事も手につかない。

明るくなってからよく見ると、家の壁が剥がれたりヒビが入ったりしていた(古い家なのでいつ出来たヒビか定かではないが)。

スーパーに行くと棚がガラガラで、水とパンが全くなかった。道がやけにすいているのは路線バスが運休したせいで、街中が暗くてコロナ禍を思い出す。

とにかく元気な人がきちんと生活を維持し、北陸の暮らしを回していかなくては、元も子もないのだ。

家族から全国高校サッカーの映像が送られてくる。
市立船橋VS石川・星稜高校の試合。現地入りできなかった星稜応援団の代わりに、相手校や他校が応援してくれていて、泣きそう。

夜、そういえば今日は出演番組の放送日だとある方のインスタを見たら、番組には一切ふれず、温かいメッセージが綴られていた。心を寄せてくれている人がいると感じられるだけで、救われる。
こんな言葉を紡げる人間に、自分もなりたい。

深夜テレビで映画『グリーンブック』を観る。途中二回ほど余震で中断してよくわからない部分もあったが、アメリカ映画らしいハッピーエンドで良かった。

能登の知人のことや原発のことが気になりずっと考える。でも今はとにかく一日一日、自分のできることをしていこう、と思う。

※追記 (1/14)
後日、能登の知人とは無事に連絡がとれました。





一瞬で変わる日常を知る元旦 2023―2024備忘録②

2024-01-09 00:33:00 | 日記

2024年1月1日。晴れ。

久しぶりに朝寝。お雑煮とおせちとお屠蘇で遅い朝食。

天気がいいので母を初詣に誘うも、何となく気が乗らないから今日はやめておくという。

ならば今日はのんびりdayだと、
中日新聞の松本隆さんの記事を読んだり、鬼平犯科帳の特番を見て過ごす。

TVで地震速報が流れる。揺れた? 珠洲か、最近また多くない? と話していたら、けたたましく緊急地震速報が鳴り、大きな揺れがきた。

経験したことのない揺れ。私は母の腕を支え、母はダイニングコタツにつかまり、揺れが収まるのを待つが、まだ揺れている。そして停電。

揺れがおさまり、急いでLEDランタンの灯りをつける。

これは、能登は大変なことになっているはず。
テレビがつかないので、携帯を見ると、金沢は震度5強。能登は震度7。

携帯に安否確認の連絡が入っていて、事態を把握する。無事を報告し、情報を得ようとX(Twitter)をスクロールする。タイムラインには、震源地以外の声や真偽不明の情報のリポスト。新年のあいさつ。誰かが地震の半日も前に連投したポストetc……。が、時系列無関係にランダムに並んでいる。
知り合いの投稿が見えた気がしたが一瞬で流れ去り、まさにカオス。Xってこんなだった?

誰も悪くはない(たぶんイーロン・マスクのせい)、だがこれでは何もわからないと、Xでの情報収集を諦めた頃、電気が復旧したので、TVをNHKにする。

女性のアナウンサーが、津波が来ます、逃げてと叫んでいる。

この人はもしかして……

コロナ禍のNHK金沢放送局のニュースで、その美貌と落ち着いた語り口、気さくさと石川愛で癒してくれていた山内泉アナだ。

この時のアナウンスで避難した人が多かったと後日知る。 (ありがとう山内さん)

家の前の道に出ると、普通に人が歩いていてほっとする。
家の中の倒れたものを片付け、水を汲み、携帯を充電し、ご飯を炊いた。

年末の大雪が解けていたこと、家族が正月で集まっていたこと、夫の正月の来沢予定が変わったこと、母の勘?で犬を残して外に出ていなかったこと。
いくつかのめぐり合わせで家族は無事だった。

能登の状況、断片的に入る情報だけでも、甚大な被害がうかがえる。
わずか1日前、文句たらたら過ごした時間、日常。それがあることの貴重さを私は忘れていた。

一晩中上空を飛ぶヘリの音と余震で落ち着かない夜を過ごす。

つづく