雪見の窓から

観たり聴いたりときどきおしごと

夏が通り過ぎていく

2024-08-12 02:59:58 | 日記
いわゆる流行りやまいの療養期間が終わり、そろそろりと再始動しています。

高齢者の介護をする身として、どこでもマスク、大人数の会食や飲み会は極力避けるなど、今までかなり気をつけてきましたが、不可抗力のような形でかかってしまうのがウィルスの怖さだなと改めて感じました。

5、6、7月と仕事、介護、家事で忙しかった分、
気ままにラジオを聴いたり、配信サイトにおすすめされるがままに映画やドラマを観たり、時間に追われずに過ごすことが本当に数年ぶりで、ある意味、ありがたいことだったのかも……と今になって思えるようになりましたが笑、
やはりもう勘弁してほしい、が本音です。

※この期間観た主な映画、ドラマ
『ボヘミアン・ラプソディ』『ショー・マスト・ゴー・オン』『生きてるだけで、愛』『Red』『彼女について知ることのすべて』『リトル・マエストラ』『運命じゃない人』『私の知らないわたしの素顔』『秘密の森の、その向こう』
韓ドラ「プロデューサー」


気づけばオリンピックも終わり。
7年間バドミントン🏸を嗜んだので、女子ダブルス3位決定戦だけは見ました🥉スピードと緩急が凄すぎた👏👏👏

大きな地震や台風も気がかりですが
諸々気をつけながら、夏らしい思い出をひとつくらいは作りたいものです。


私はいつでもオッケーよ👌⚽️🌿🌞




三か月が過ぎました

2024-04-08 07:45:00 | 日記
桜の季節がやってきました🌸🌸🌸

今年は春を待ち焦がれる気持ちと、季節が進むことへの焦りや切なさのような思いが入りまじる、そんな桜便りでした。

3月末、
金沢市の隣、河北郡内灘町の西荒屋地区へ行ってきました。

軽自動車で能登半島へ赴くには時間や技術や体力や装備があまりに足りず、復旧作業の邪魔になってもいけない……でも今現在、どんな状況なのか、行ける範囲で見ておこうと思いました。

報道等でも状況は見聞きしていましたが、地震から3ヶ月経とうとする時期にあっても、目に見える範囲だけで地盤被害と液状化による影響は大きく、その多くは未だ手つかずで残っている印象です。

とはいえ、発災当初に大きく隆起し地割れを起こした道路は車が通れる程に整備され、道に覆いかぶさるようにいろんな角度に傾いていた電柱も安全な状態に修復されていました。

発災当初の記事↓

私が行った日も、現場作業の方々と思われる人を数人見かけました。ただ現在人員や重機は能登に集まっている状態で、どうしても人手は足りないであろうことが感じられました。

歩く人影も疎らでしたが、2人連れの高齢女性が歩いているのを見かけ、その表情が明るかったのは救いでした。

夜になってもう一度通った時にはところどころ住宅に明かりが灯っていて、少しだけ安堵する反面、家に戻れない方々を思うと胸が痛みました。

内灘町から少し離れたかほく市では、やはり地割れなど通行止めの場所が多くありましたが、すぐそばの公園では子どもたちが楽しげに遊び、イオンモールも一部を除いて元気に営業中でした。


ひと月程前、TVで見た男子高校生の言葉が印象に残っています。 神奈川からボランティアに来た彼は言いました。
「もう関東では、能登の地震のことを口にする時期は終わったという空気になっている。だけど困っている人がいる以上、何か役に立ちたいと思ってここに来ました」

自分がこの年頃の時に、そんな風に思う感性があっただろうか? と、とても感銘を受けたのです。

能登の人は本当に我慢強くて優しい。改めて感じます。被災された方の言葉を直接間接に聞き、愚痴や泣き言より、自分たちより大きな被害のあった地域を常に思いやり、「気にかけてもらえるだけで嬉しい」と、相手を労る気持ちを忘れない、そんな姿勢にとても頭が下がる思いです 。


かつて新卒で入社した会社で、石川県の自然雑誌の編集に携わりました。その時に出会った能登の雄大な自然、風光明媚な景色、芯が強く温かい人々、美味しい食べ物……
その経験のお陰で郷里をより深く知ることができ、豊かさに気づけたと思っています。

未だ断水が解消されない地域があり、仮設住宅への入居や家屋の公費解体が始まる一方、のと鉄道の復活など、嬉しいニュースも少しずつ届き始めています。
時に厳しい状況が訪れても再起してきた土地です。
これから先、復興への長い道のり 、何ができるか考え、能登をはじめとした地域を思う気持ちを持ち続けたい。
そしていつの日かまた能登へ、足を運びたい。そう願っています。






シバ(48)の日だわん🌸




希望を探す 2023ー2024備忘録③

2024-01-14 13:35:00 | 日記

1月2日。雨のち雪。

一夜明けると、輪島の朝市通りが焼け野原になっていた。

東日本大震災が起きた翌朝、自衛隊のヘリコプターが降り立ち、孤立していた地域の人々を救う映像が目に焼き付いている。
今回もそんな光景が見られることを心のどこかで願っていた。

こういう時は言葉が強くなり、人心が荒れる。

人の優しさと残酷さ、極端な面が可視化される。

発信や拡散をするときは、自分が確認して、できるだけ絶望よりも希望を感じる情報を、と思う。

とはいえ、ニュースを見るたびにショックを受け動揺する。悪い夢を見ているようだ。でも現実。家事も手につかない。

明るくなってからよく見ると、家の壁が剥がれたりヒビが入ったりしていた(古い家なのでいつ出来たヒビか定かではないが)。

スーパーに行くと棚がガラガラで、水とパンが全くなかった。道がやけにすいているのは路線バスが運休したせいで、街中が暗くてコロナ禍を思い出す。

とにかく元気な人がきちんと生活を維持し、北陸の暮らしを回していかなくては、元も子もないのだ。

家族から全国高校サッカーの映像が送られてくる。
市立船橋VS石川・星稜高校の試合。現地入りできなかった星稜応援団の代わりに、相手校や他校が応援してくれていて、泣きそう。

夜、そういえば今日は出演番組の放送日だとある方のインスタを見たら、番組には一切ふれず、温かいメッセージが綴られていた。心を寄せてくれている人がいると感じられるだけで、救われる。
こんな言葉を紡げる人間に、自分もなりたい。

深夜テレビで映画『グリーンブック』を観る。途中二回ほど余震で中断してよくわからない部分もあったが、アメリカ映画らしいハッピーエンドで良かった。

能登の知人のことや原発のことが気になりずっと考える。でも今はとにかく一日一日、自分のできることをしていこう、と思う。

※追記 (1/14)
後日、能登の知人とは無事に連絡がとれました。





一瞬で変わる日常を知る元旦 2023―2024備忘録②

2024-01-09 00:33:00 | 日記

2024年1月1日。晴れ。

久しぶりに朝寝。お雑煮とおせちとお屠蘇で遅い朝食。

天気がいいので母を初詣に誘うも、何となく気が乗らないから今日はやめておくという。

ならば今日はのんびりdayだと、
中日新聞の松本隆さんの記事を読んだり、鬼平犯科帳の特番を見て過ごす。

TVで地震速報が流れる。揺れた? 珠洲か、最近また多くない? と話していたら、けたたましく緊急地震速報が鳴り、大きな揺れがきた。

経験したことのない揺れ。私は母の腕を支え、母はダイニングコタツにつかまり、揺れが収まるのを待つが、まだ揺れている。そして停電。

揺れがおさまり、急いでLEDランタンの灯りをつける。

これは、能登は大変なことになっているはず。
テレビがつかないので、携帯を見ると、金沢は震度5強。能登は震度7。

携帯に安否確認の連絡が入っていて、事態を把握する。無事を報告し、情報を得ようとX(Twitter)をスクロールする。タイムラインには、震源地以外の声や真偽不明の情報のリポスト。新年のあいさつ。誰かが地震の半日も前に連投したポストetc……。が、時系列無関係にランダムに並んでいる。
知り合いの投稿が見えた気がしたが一瞬で流れ去り、まさにカオス。Xってこんなだった?

誰も悪くはない(たぶんイーロン・マスクのせい)、だがこれでは何もわからないと、Xでの情報収集を諦めた頃、電気が復旧したので、TVをNHKにする。

女性のアナウンサーが、津波が来ます、逃げてと叫んでいる。

この人はもしかして……

コロナ禍のNHK金沢放送局のニュースで、その美貌と落ち着いた語り口、気さくさと石川愛で癒してくれていた山内泉アナだ。

この時のアナウンスで避難した人が多かったと後日知る。 (ありがとう山内さん)

家の前の道に出ると、普通に人が歩いていてほっとする。
家の中の倒れたものを片付け、水を汲み、携帯を充電し、ご飯を炊いた。

年末の大雪が解けていたこと、家族が正月で集まっていたこと、夫の正月の来沢予定が変わったこと、母の勘?で犬を残して外に出ていなかったこと。
いくつかのめぐり合わせで家族は無事だった。

能登の状況、断片的に入る情報だけでも、甚大な被害がうかがえる。
わずか1日前、文句たらたら過ごした時間、日常。それがあることの貴重さを私は忘れていた。

一晩中上空を飛ぶヘリの音と余震で落ち着かない夜を過ごす。

つづく



正月は何があっても休むと宣言した大晦日 2023―2024備忘録①

2024-01-08 22:17:00 | 日記
2023年12月31日。雨。

起きるなり母と喧嘩する。といっても母は何をしたか覚えてない。私が一方的に怒るだけだ。
はたから見れば些細なことだが、毎日繰り返しいろんなことが起きる、それが介護だと知った。

年末年始は訪問介護も休み。
掃除と自分の仕事は昨日までに済ませたので、今日は正月支度だ。

自宅と実家の両方の年越し準備をするようになり、いつも年末は疲労がピークに達する。
主婦の年末忙しさ問題、令和になっても変わらず。働き方改革って、何かね。と私の中の文太が独りごちる。


気を鎮めるため、庭に出て、サザンカと南天を取ってきて床の間に飾る。


玄関の煤払いをし正月飾りを取り付ける。ホームベーカリーにもち米をセットして、車で出かける。
TSUTAYAの更新期限が今日までだったので、手続きをし、特典で『82年生まれ、キム・ジヨン』を借りる。今や配信でだいたい事足りるが、好きな作品はCDやDVDで楽しみたい派だ。

大雨の中、カッパを着せて犬の散歩。スーパーでお寿司を買って帰る。

夕食後、紅白をNHK+で流しながら台所でお餅とおせちの仕上げ。

井上鑑バンドで聴く「ルビーの指環」、痺れた。

Rockon Social Clubの出番は一瞬だったけど、年の終わりに見られて良かった。

午前0時を過ぎ、神棚と仏壇の水を変え、お参りする。
何とか無事に年を越せて有り難い。
最近何回か体調を崩したので、来年は健康第一で過ごせますように。

年越しそばを食べ、正月は何があっても働かないぞ、と宣言して、寝る。



備忘録②  につづく。