箕面の森の小さな物語(NO-14)
*<二つの硬貨>(1)
箕面北部に広がる八天の森には静かに粉雪が舞っていた。
時折り冷たい北風が軽い雪を吹き上げている・・ 柏木和平は、頬についたそんな雪を払いながら空を見上げた。 積もるような雪じゃないな~ それにしても鳥は元気だな! 上空を飛び交う冬鳥を目で追いながら、気持ちのいい風景を楽しんでいた。
やがてリュックサックの中から、ポットに残っていた温かいコーヒーを飲み干した。 モカのまろやかな香りが漂う・・ 真冬の森を歩くときは、いつもポットに入れたコーヒーが身も心も暖め癒してくれる。 さあ~ そろそろ出発せねば日が暮れるまでに帰れないぞ・・ 和平は一人呟きながら一休みの腰を上げた。 時計は午後の三時になろうとしていた。 ここから東海自然歩道を南下し、自然8号路から旧巡礼道、谷山の尾根、谷を上り下りし、才ケ原の森を抜けて地獄谷を下れば箕面瀧道に下る・・ あと2時間半はかかるな~ と和平は心づもりをしていた。
和平の山歩きは定年後に始めたものだが、最近は週に2~3回ほど体調を見ながら箕面の山々を歩き、森の散策を楽しみとしている。 箕面の山々は高くとも300~600m位の低山ばかりだが、冬山の日暮れは早く、谷間では5時前になると足元が暗くて見えなくなり危険なのだ・・ 少し急がねば・・ 和平がリュックを背に歩き始めたときだった。 遠くのほうから声が聞こえた・・?
~あのう~ すんませーん! えっ! どこからだ? 和平がキョロキョロしながら声の方向を探すと、上方の墓地の先から若者が大声を挙げながら下ってくる姿が見えた。 何? 誰れ? なぜこんな所に人が・・? 和平は一瞬驚き身構えた。
この八天の森周辺の山々約30万坪は箕面、茨木、豊能郡にまたがり、その山の斜面を切り開いて約25.000柱の墓石が並ぶ大阪府下最大の山岳霊園「北摂霊園」が広がっている。 和平はこの日、明ケ田尾山(619.9m)から高山の村落を通り、この森へ上ってきたのだが、この粉雪舞う寒い森や霊園に参拝の人影はなく、まだ誰一人ハイカーとて出会っていなかった。 それだけに人がいること事体が驚きだった。 やがて息は弾ませながら若者が一人駆け下りてきて頭をペコンと下げた。 見れば手ぶらで学生服を着ているが、いかにもだらしない不良っぽい格好をしている。
ズボンはずり落ちそうで、足元はスリッパのようなズック靴を引っ掛けただけ・・ ベルトには何やらクサリなどをジャラジャラつけて寒そうな仕草をしている。 和平は逃げ出したいような違和感を感じたが、よく見ればまだ子供のような顔をしている。 なぜ一人でこんな所に・・? 「あの~ すんまへん! オレ 財布落としてしもうたみたいでバス代貸してもらえまへんか?」 不良っぽい格好と、その慇懃無礼なものの言い方に、和平は一瞬 嫌悪感と拒否感を覚えた。 そしてそれは同時に嫌な体験を瞬時に思い出させていた。
それは和平がまだ若いサラリーマン時代のことだ。 ある日 車で営業中、信号で止まった時に助手席をたたく人がいた。 何事か? と窓を開くと、中年の男の人が・・「すいません! 天王寺の方へ行きたいんですがお金を落としてしまい途中まででいいのでちょっと乗せてもらえませんか・・」 和平が躊躇していると、前の信号が青に変わりそうだったので仕方なくドアを開いて乗せた。
すると・・「自分は和歌山の大きなみかん農家で農園も経営していて、所用で大阪に出てきたものの、どこかでスリにやられたようで一文無しになってしもうた・・ けど 急いで和歌山まで帰らないかんので、電車賃も貸してもらえまへんか? 帰ったらすぐ速達で送りますし、うちのみかん美味いと評判なんで、このお礼に毎年送らせてもらいまさかいな」 そう言いながら自分の住所、名前、電話番号を書いたメモをくれた。 和平は仕方なくなけなしの3000円と名刺を男に渡し、遠回りだったが男を天王寺駅まで送り届けた。
和平はその頃、妻から小遣い3000円をもらい、これで一週間の昼食などを賄っていた。 しかし、何日待っても男から速達は届かなかったので電話を入れたら全くのでたらめ電話だった。 それから数ヶ月後、新聞に寸借サギ常習犯が捕まった記事をみてあっ! と驚いた・・ あの時の男だった。 一週間昼食抜きの恨みもあって、あれから注意をしてきたのだが、それでもそれから何年か後にはマルチ商法にひっかかったり、海外出張の時にニューヨークで子供サギにあい、パリではジプシーに危うくだまされ、身ぐるみ剥がされそうになったりして、自分はほとほと騙されやすい人間なんだと自嘲したものだ。 そしてそれは自分の大きなトラウマにもなっていたのだった
「君は何年生?」「中2」 「どうやってここまで来たの?「バス」 「どこから?」「せんちゅう」 「どこで財布落としたの?」「分からん」 「何しにここへ来たの?」「墓参り」
和平が矢次ぎばやにいろいろ質問するので若者は少しウンザリした様子だったが、しかし必死さだけは伝わってきた。 和平は自分のトラウマごとを思い出しながらも まあいいか~ とポケットを探った。 「来るときバス代はいくらかかった?」「680円」 「じゃあ 680円でいいのかい?」「ハイ!」「家に帰ったら送りますんで・・」と少年は付け加えた。 いつもそう言われて騙されるんだよな・・と、和平は心の中で呟きながら財布を取り出した。 小銭入れの中にはいつも予備の小銭500円玉を2枚入れているのでそれを取り出して若者に手渡した。
「もし財布落としたんなら警察に届けるんだぞ ひょっとしてバスの中だったら千里中央のバス発券場で係りの人に聞いてみたらいいよ」 「ハイ! 助かったわ・・ これで帰れるわ! 歩いて帰ろう思たんやけど道分からんし、寒うて雪降ってくるさかいどないしょ思てたん すんまへん・・」 口ぶりは大人ぶって突っ張っている口調だがやはりまだ少年だった。
「ほんで この借りた金はどこへ送ったらいいっすか?」「いいよ 君にあげるよ・・」 「オレ 乞食じゃないっす」 と、少しムッとする顔が可笑しかった。 どうやら少年の自尊心を傷つけてしまったようだ。 「そうか それはすまなかったね」かと言って住所を教える事はいまどき危ないし・・ 「それはそうとバスの便はまだあるのかな?」 和平は話をそのままに、少年と近くのバス停に時刻表を見に行った。 次のバスまで30分以上あった。 和平は自分の時間のほうが気になっていた・・ 冬の日暮れは早い。
「そうだ! おじさんいつでもいいからこのバス停の後ろの大きな杉の木の下にお金埋めて置いてくれたらいいよ。 半年先でも一年先でもいいから、次にお墓参りに来たときでいいから・・ おじさんは山歩きを趣味にしていてよくここを通るから・・ だからここで返してもらう事でどうかな・・?」 「分かった・・ でもおじさんこれから歩いて帰るんやったらオレを下まで連れててや・・」 「そんなスリッパみたいな靴で山道は歩けないよ。 それにそんな寒い格好では無理だよ。 それよりそのお金でバスで帰りなさい」 「ハイ」「千里中央から家までどうするの?」「歩いて帰れるんで・・」 和平は自分の時間のほうが気になり急いでリュックを担いだ。 「じゃあ おじさん行くから 気をつけてね・・」 歩きかけたその後ろから・・
ハックション ハックション! 若者は2回大きなクシャミを連発した・・ 見れば半分震えている。 和平は最近年のせいか冬になると指先の感覚がなくなるので両手の手袋にいつもミニホッカイロを入れていた。 「寒そうだからこれあげるよ」 和平は手袋からホッカイロを二つ取り出すと両手に握らせた。 「あったかいわ! ありがと!」 そう言いながら若者はズボンのポケットに両手を突っ込んだ。 そして和平は残っていたアメ玉2個を少年に手渡し山道を急いだ。
(2)へ続く