みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

地獄谷からメリークリスマス(3)

2019-12-06 | 第25話(地獄谷からメリークリスマス)

箕面の森の小さな物語 

<地獄谷からメリークリスマス!>(3)

  礼拝が終わると、牧師は急ぎ足で演壇を下り恵人のもとにやってきて思い切り抱きしめた。 「恵人さん よく来てくれました  本当に嬉しいです  神様のお導きです  実は今朝早く箕面警察から電話がありました  いいお話です その事についてお話がありますから・・」 そう言うと、安藤さんと共に裏の牧師館へ二人を案内した。

  やがて連絡を受けた箕面警察署から担当警部と、先日 駅前交番で親切に食べ物を買ってきてくれた年配の警官が共に教会の牧師館にやってきた。  年配の警官は、恵人があの時の格好と余りにも違う別人のような服を着て、髪もきれいなのでビックリしていたけど・・ 「その節はご親切に本当にありがとうございました・・」と言う恵人の挨拶に、やっとあの時のホームレスだと確信した。  警部は恵人本人だと確認し、挨拶を交わした後で、牧師や安藤さんと共に恵人へ話し始めた。

  「実は賀川恵人さんが拾って届けて頂いた持ち主が分かりました。 一昨日、その持ち主さんにお会いし無事お返ししました。 本当に飛び上がらんばかりに喜ばれていました」 「そうですか それはよかったです  私も嬉しいです」 恵人は本当にそう思った。 「持ち主の方は北沢さんと申します  実は一年前、あの財布を無くされた直後から警察に相談され、私が担当しました。  箕面の駅前で何回もこの探し物チラシを持ち、ハイカーの皆さんや道行く人々に配布し、探しておられました。

 それには理由がありまして・・ お金やカードなんかじゃなく、黒い袋の中身だったんですが・・ その中身は私にも分からないのですが、その事は後でお話しますが、それ以外にビックニュースがありまして・・ 実はあの財布の中に入れてあった宝くじ2枚のうちの一枚が賞金1億円の当たりクジだそうで・・」 全員が顔を見合わせ、目を丸くした。 警部が話を続けた・・

  「北沢さんはその当たりクジを、もしあの黒い袋が戻るなら、全て差し上げてもいいですから・・ と当初より警察に相談されていたんです  どうしても仕事の都合で北沢さんは来週になるそうですが、その引き換え期限は後10日ほどしかありませんが、是非貴方に貰って頂きたい・・と」  全員が再び顔を見合わせ、キツネにつままれたような顔をしていた。

 

  次の週、海外出張から帰国した足で北沢さんが、すぐに箕面の教会に駆けつけた。 牧師館に揃っていた先週のメンバー5人と挨拶を交わした後、恵人に深々とお辞儀をし、感謝とお礼の言葉を述べられた。 差し出された名刺には・・ 「北沢貿易株式会社 代表取締役社長 北沢  絆」とあった。

 そして北沢さんは話し始めた・・ 「私は幸い仕事で財をなし、お金はもう充分にあります  どうかこれは亡き母の願いのような気がして・・ 是非 この当りクジ券を貴方のものとして受け取って頂きたいのです  私の元へ戻ったこの黒い袋の中身は、亡き母の形見です  この形見のお陰で、私は当りクジの何十倍もの富を与えて頂きましたから・・」

  恵人はふっと口を挟むと・・ 「もし 差支えがなければ そのお母さんのお話をお聞きかせ願えませんでしょうか・・」 「ハイ ではお話しますが・・ これは母が亡くなる少し前に聞いたのですが、母は10代の頃家出をし、悪い遊びをしていたそうです  私の父はヤクザで強盗をするようなワルの塊のような男だったそうです  そんな退廃的な生活の中で母はいろいろあったようですが、その後 私を妊娠したものの、その数ヵ月後に父は再び強盗をし、逃げる途中で車に轢かれ死んだそうです  それから母は私を産み、母子施設で私は育ちました。

  その頃から母はなぜか冬になると、年1回だけ貧しいお金をやりくりし、宝くじを2枚だけ買って、宝くじ発祥の地と言われる この箕面の瀧安寺にお参りしてました。  私は母についてきてましたが、物心付いた後もそれがなぜだか分からず習慣のようで、とうとうそれは30数年も続いていたんです。 それで母が亡くなった後も、私は母の意図が分からないまま、なぜか冬に2枚の宝くじを買う習慣が付いていました。

 そして一年前の事・・ 妻と箕面の山歩きに行く前、売り場で当選番号を見てもらうと、なんと当りクジでビックリ・・ 今まで何十年と買っていても300円が何回かあった位なのに・・ でも私はそれを財布に入れたまま、妻と地獄谷からこもれびの森勝尾寺の方へと森の散策を楽しみました。  ところが箕面駅に戻って財布が無くなっていることに気づいたもののもう夕暮れで山は暗くなり、探しようがありませんでした。 翌日から何度も何度も同じ道を歩いて探しましたが、見つかりませんでした。 私はその宝くじもさることながらお金じゃなく、いつも持ち歩いていた母の形見を見つけたかったのです。

  母は私が幼い頃から必死に働いていました。 衣服を安く仕入れ、それを背に担ぎ、幼い私の手をつなぎながら一軒一軒と行商に回っていました。 そして私が小学校に入る頃、1坪ほどの小さな店を開きました。 狭いながらもよく売れるようになり、少しづつ大きくしていきました。  そして私は大学まで出してもらい、その頃から一緒に仕事を手伝うようになり、やがてFC化し、徐々に全国展開するようになりました。 その商品供給は世界各地にまたがり、それが今の北沢貿易の原点です。

 母は大きな財を成しても、冬の宝くじ2枚は毎年欠かさず買っていました。  きっと10代の頃の、貧しく辛く苦しかった頃に何かあったのでしょう  そしていつもこの黒い袋を身につけていました。 そして亡くなる前、母は私にこの袋を差し出し、か細い声でこう話してくれました。 <この黒い袋があったからこそ今があるんだよ。 これからも離さないようにしてね・・ お守りよ>と それに私の名前<絆>は辞書によると、<離れがたい関係>とあり、母なりに意味があって名づけたのだと言い残しました・・」と北沢さんは話し終えた。

  黙って聴いていた老牧師は、何を感じたのか 北沢さんに声をかけた。「その黒い袋の中身を、私に見せて頂けませんか・・?」  北沢さんはいぶかしげに黒い袋を牧師に手渡した。  牧師はゆっくりと袋を広げ中を確認するとうなづき、天を仰いだまま動かなかった・・ そして「少し待っていてください・・」と奥へ引き込んだ。

  しばらくして牧師は、茶色の封筒を持って戻ってきた。 「北沢さん その黒い袋の中のものを机の上に出していただけませんか・・」 北沢さんは牧師に言われるままに、黒い袋を広げ、その中のものを取り出して机の上に置いた。

  牧師は持ってきた古びた封筒から同じように中のものを取り出し机の上に出して置いた。 全員が息をのんだ・・

” 同じだ!”

  そこには半分に切って結ばれた、安物の真珠のネックレスが二つ並んだ。  封筒には50年前の日付と、牧師が 賀川恵人 と名付けた名前が記されていた。

  「なぜ? まさか!?  貴方はもしかして 私の兄さん!?」 北沢さんは恵人を指差しながら、驚きの言葉を発した。 「・・母が亡くなる前に、苦しそうに言いました・・ <・・貴方には兄さんがいる・・> と・・」 「まさか? 捨て子でホームレスの私に弟が・・?」

  牧師のうなづきに、二人は絶句したままやがて抱き合いしばし互いに大粒の涙を流した。  同席していた皆が一様に、その奇跡の出会いに驚嘆し、感動の涙を流した。

 

  あの宝くじは、引き換え期限当日に、恵人がある目的の為に、自分の当りクジとして賞金一億円を受け取った。  それは天啓を受けたかのように、自分の考えを弟の北沢さんに話したら「大賛成!」と賛同し、協力を約束してくれたからだった。

  それは前年の寒い冬の事・・ ホームレスとしてその厳しい外の寒さをしのぐ為、府立図書館の中で過ごしていた時に手にした一冊の本の中にあった。

 それはアメリカで、自助努力の遠く及ばない深刻なホームレス10万人に安定的な住居を提供し、社会的排除や貧困、医療、教育、雇用の問題を改善しようと全米130以上の地域で、コミューニテイー再生事業を展開している ロザンヌ・ハガテー女史の本に出会ったからだった。 「こんなにも素晴らしい女性がいるんだな・・」と、他国の他人事のように思って読んでいたけど・・ 恵人はなぜかその使命が自分に与えられたように思えたのだ。  

 ハガテー女史はたった一人でNPОを立ち上げ、官民の資金を集め、あの荒廃したニューヨーク・マンハッタンの廃ホテルを買い取り、周辺のホームレスの為の恒久的な生活の場として見事に蘇生させたのだ。 それは一時的なシェルターだけでなく、政府や行政を批判するだけの人々や旧態依然とした左右の観念論から抜け出せない人々、口だけの政治家や文句ばかり言う人々に彼女は行動でその何たるかを示した。  行政の事なかれ主義、非効率さにヘキヘキしながらも、その中で協力者を見つけながら、前向きに一歩一歩成果をだしてきている。 理想主義と現実主義が交差する新たな公共領域のフロンテイアを開拓し続けている。 女史のその本から恵人は、大きな勇気と希望を与えられていたのだ。

  それを聞いた弟の北沢さんは、私財から同額の1億円をだし、あの安藤さんや教会関係者の協力も仰ぎ、共に一緒になってNPО法人を設立することになり、恵人がその代表として実務に就くことになった。  恵人は生まれて初めて、自分が今日までこの使命を授かる為に、いろんな底辺の生活を体験してきた事、生かされてきたことを実感した。

 「兄さん 母さんは兄さんの事を一日たりとも忘れた事はなかったと思うよ  だって私が物心ついた頃から、毎晩寝るとき、あの黒い袋を両手に持って願い事や祈りごとをしていたからね・・ こんな形で母の生涯の願い事がかなえられるなんて想像もつかなかった・・ これで母が私を一人で産んだとき名付けた<絆>の意味がよく分かったよ  半分づつの糸でつないでくれていたんだね・・」

 

  新御堂筋から箕面グリーンロードトンネルへの入り口 白島山麓には今年も巨大なクリスマスツリーが立ち、キラキラと輝いている。 箕面の街に箕面山麓の聖母被昇天学院の中・高生徒による美しいハンドベルクワイアと、清らかな聖歌隊の調べが静かに流れてきた。 

  数奇な運命と出会いを経て、絆で結ばれた兄と弟二人は、箕面の森の地獄谷から空を見上げていた・・ きれいな小雪が舞い、それがキラキラと幻想的なスノーダストとなって兄弟の頭上に優しく降り注いでいる・・ 二人は天を仰ぎ、母の愛に想いを抱きつつ大きな声で叫んだ・・

 メリー クリスマス!!

(完)



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