みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

箕面の森のおもろい宴(3)

2020-08-20 | 第17話(箕面の森のおもろい宴)

箕面の森の小さな物語 

 <箕面の森のおもろい宴>(3)

  「ちょっとそこできれいな芸者さんとさしつさされつしてはんのは 桂太郎はんやおまへんか?  そんで横にいはるのは・・ 箕面有馬電気軌道の初代社長はんの 岩下清周はんでっか?  他にもそこにぎょうさんいはる人ら、あんさんらに関係ある 箕面観光ホテルな・・ ワテはその隣の箕面スパーガーデンの温泉が好きでしたわ ハハハハ・・」

 岩下 さんに聞いている・・「あのホテルの 桂 公爵別邸の名前はその桂はんでっか?」 「そうです・・ それにあの頃 箕面動物園が開園しましてな  日本で東京の上野、京都の東山に次いで三番目の動物園でしたな大きな観覧車も箕面駅前に設置してね  それは盛大でしたよ  当時の面積は3万坪で、広さは <日本一の箕面動物園> と 言われたものでしたな・・」

 桂 太郎が話を継いだ・・ 「ワシはこの新橋の芸者 お鯉をつれて、その動物園のある 松風閣へ泊まりにきましたんや・・」 「それ 続お鯉物語で読みましたわ  そんであんさん それ総理大臣になる前でっか?」 「いやいや 後の事ですな ワシが第11代内閣総理大臣を拝命したのは明治34年じゃからな  日露戦争を勝利した頃じゃなそれから第13代、第15代も総理を務めたのじゃ その頃の箕面は活気にあふれておったな・・ なあ 小林一三さんや」

 林 一三が話しを引き継いだ。 「ワシが今の阪急電車を興したのは明治40年の10月19日で日露戦争が終わって2年後でしたな  その3年後にこの箕面線と宝塚線が営業運転を始め それに併せて沿線の宅地開発もしました  大正11年9月には 箕面・桜ヶ丘で <住宅改造大博覧会> も開かれてそれは盛大でしたな・・  線路は神戸や京都へと拡張し、阪急百貨店や東宝、コマ劇場など次々作って大忙しでしたな・・・ この箕面動物園は明治43年11月に開園し、その後事情で大正5年3月に閉鎖して宝塚に移し、歌劇場なんかも併設したんですわ・・」

 「皆さんは 箕面の発展に尽くしてきてくれはった人ばっかりやな」 話はまだまだ続く  夜は長い・・

 「ちょっと そこでベレー帽かぶって虫眺めてはる人は・・ ああ 手塚治虫はんやないかいな  ほんまあんた子供の頃から虫が好きやったんやな・・」 「ハイ~ 私の少年時代はこの箕面の山や森をよう歩き回りました  この大瀧の上にある 杉の茶屋付近で オオムラサキ蝶を見つけた時はもう興奮しましたよ  オオクワガタなんかもいっぱいしましたしね・・ 楽しかったな~」 と少年時代を回想している。 「それがあんた いつの間にやら医学博士になって、そんでいつの間にやら漫画の神さんになりはって・・ 鉄腕アトム、ジャングル大帝、ブラックジャック、リボンの騎士・・ 次々とぎょうさん人気漫画をつくりましたな~ 今でも子供からええおっさんまで大人気でんがな・・ 多彩な人やわ」

 「手塚 治虫はんの隣で、何やら草眺めて絵描いてはる人は・・?」 「この方は日本の植物学の父と言われる 牧野富太郎博士ですよ」 「いやいや 何しろこの箕面の山々には日本の150種ほどの羊歯シダの 種類が生息しているように、多様な植物が昔から自生しているのでね それに横にいるのは 江崎悌三さんですよ <誰が箕面で初めて採集したか?>(累策社刊)を書いた人です  日本が世界に誇る偉大な虫聖とも言うべき人ですよ」 「いえいえ 箕面は山岳地帯で多くの昆虫学者を育てた昆虫相が 豊かな場所なんです そして昆虫たちは鳥たちと共に箕面の植物学者を育てた豊かな植物相に支えられており、それらは箕面の地層と河川に支えられてきたのですよ  またその地勢から生じる気流にも恵まれて多様な植物種が繁茂し、豊かな生態系が箕面の森を育んできたんですよ・・」

 「ワテにはよう分かりまへんけど、なにせ箕面の面積の大半は自然豊かな山でっさかいな・・ と蝶々さんが頷く。

 「それはそうと、そこで真面目な顔して座ってはる人は・・?  ああ 日本人初のあのノーベル化学賞を貰いはった 福井謙一はんおまへんか・・」 「ハイ こんばんわ! 私は子供の頃から昆虫が好きでしてね・・ 私の家がここに近いこともあって、何度も箕面の山々を歩きましたわ  学校の生物部に入ってたこともあって、箕面のどこにどういう昆虫やクワガタが棲みついているかということまで、頭に入ってましたな~  今思えばそんな経験で学ぶ事の尊さを痛感しましたな・・ 後々大いに自分の研究にも役立ちましたよ」

 「ノーベル賞いうたら文学賞もらいはった 川端康成 はんはどこでっか?  おもろい文学の話でも聞かせてんか・・・」 「オイ オイ 蝶々はん ちょっと待ってや 今ワシと昔の思い出 話ししてましたんや」 「ああ あんさんは 笹川良一はんでっか」 「そうや ワシはこのボンとはな 子供の頃からの友達でな・・」

  休憩所の屋根の上では たけしがまた仲間サルへの解説をしていた。「みんな知ってると思うけど、箕面駅前から瀧道に入ってしばらくするとお母さんを背負って階段上がってる男の人の銅像あるやろ・・ あれが 笹川 良一はんやねな  なにせ日本の首領とか 日本の政財界の黒幕とか いろいろ言われてきた人やけどな  A級戦犯容疑かと思うたら衆議院議員やったり、競艇事業創設したり後年は日本財団創ってな  多大な慈善事業や社会貢献もしてきはった  どでかいスケールの人やったんやで・・ オイ オイ みんなオレの話し聞いてんのかいな?  アホらし!」

  川端 康成が頭を掻きながら話している・・ 「このゴン太にはよう助けられましたわ  私は虚弱で弱虫やったけどこいつは村一番の暴れん坊で、そんでゴン太言うあだ名がついてましたな・・ 私は祖父と貧しい暮らしやったけど、ゴン太は箕面・小野原の酒蔵持ちで大きな庄屋の長男やったんで、二人の境遇も性格も正反対やったのによう気がおうて遊びましたな  私の家とは小学校挟んでゴン太の家と一里ぐらい離れてたんで、夕方私が遊んで帰る時にはあの小野原村の春日神社の森が怖くて怖くて・・ それでようゴン太に送ってもらいましたわ  同級生やのにちょっと恥ずかしいですな」 「いやいや あんたとは15歳ぐらいまでいつも一緒やったな  けどこいつは頭がようて一高から東大ですわ  ワシは寺の修行に出されましてな  あれが運命の分かれ道やったな・・」 二人の話は尽きない・・

 川端 康成は近くで飲んでいる 夏目漱石 に話しかけた・・ 「ところで あんたは 箕面動物園みましたかな?」

 (4)へつづく・・



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