箕面の森の小さな物語
<トンネルを抜けると白い雪>(6)
あれから祐樹はいろいろ悩み迷った。 けれど会社を退職したばかりなので、自分の選んだ仕事の準備作業に没頭しょうとしていた。 しかしその悶々とした気持ちをそれで紛らわせることは難しかった。
そんな時だった。 5ヶ月ほど前に申請していたドイツの大学から<クナイプ研究>ОK! の返事が来たのだ。 自分の新事業立ち上げにはどうしても勉強しておきたかった事だったのだが・・ あの頃はまだ美雪さんを知らなかった。 しかし このままの心の状態で無為な時を過ごすこともできない。 美雪さんの事が頭から離れない・・
祐樹は何日も熟考のうえ決心し、美雪には半年間勉強してくるから・・ と詳しく内容を伝え、帰国したら一度十勝を訪問したい旨を伝えた。
数日後 祐樹はルフトハンザ・ドイツ航空の機内で回想していた・・ あれは自分が10年前に会社に入社して間もない頃だったな~ 商社マンとしての新人研修が始まり、ドイツ・バイエルン州のミュンヘン駐在員事務所に一年間配属されたが、それは厳しい毎日だった。
慣れない語学と仕事の内容にいつも月末にはクタクタになり、心身ともにボロボロ状態になっていた。 そんな頃合を見計らったかのように会社の先輩は自分を外へ連れ出し、汽車で一時間程の郊外の森の施設へと連れて行ってくれた。 大体2泊3日の短い週末を利用しての事だった。 しかし、そこで過ごす日々は自分にとって芯から身も心も癒され、翌月はまた頑張れるという不思議な空間だった。 <クナイプ療法>と言う言葉は、箕面の山歩きのときに勝尾寺山門前の階段脇の看板ではじめて見た。 <・・森林浴・・ ドイツではクナイプ療法と言う・・> その変わった名称だけが心に残っていたが、まさかそのドイツで自分が体験できるとは夢にも思っていなかった~
それはバート・ウエーリスホーフェンという人口1.5万人程の小さなの町にある「森林保養所」だった。 クナイプ療法というこの自然療法はドイツでは健康保険が適用される公的な医療機関で各地の森に点在している・・ 例えば沢山の散策コースが用意され、森林浴のできるコース、温水冷水浴法、森を散策してからの運動法、栄養バランスを取り入れた食事法、アロマセラピーの植物法、心身と体の内外の自然との調和を図る調和法などの治療から成り立っている総合的な森林医療施設なのだ。
それは専門の医師会や国の森林局が連携し、広大な森の中で活動している。 その周辺には専用の提携ホテルや民宿が数多くあり、ドイツ国内はもとより世界中から年間100数十万人が訪れる人々を受け入れているのだ。 その中には心理的に問題を抱えている子供たち、ストレスの多い仕事人、心身を病む人々、認知症の人々など様々な人々がいて何度もリピーターとして訪れる森の施設でもあった。 自分が実体験をしてきただけに、これからの日本の社会にも必要不可欠な施設だと確信していた。
それだけにドイツ駐在から帰国後、時々箕面の森の中を散策しながら・・ ここならいいな・・! とか あちこち勝手に想像していたが、日本の行政や諸々の制度や法律に阻まれて動けない・・ それで父や兄にも相談していたが、それは遠い国のよくできた制度だぐらいでいつも終わっていた。 政治とは何なんだ・・ 誰の為にあるのか・・ とそんな政治家の父と上兄の対応には不満だった。 しかし自分の夢はいつしかさらに膨らんでいった。 こんな森の施設を箕面の森に造りたい・・ と。
季節はあの冬から夏を過ぎて秋を迎えていた。 祐樹は半年間のドイツでの研修を終え、帰国の途についた。 成田空港に着いた祐樹はその足で札幌に飛び、十勝の美雪の家を訪れた。
「お帰りなさい!」 美雪は祐樹に飛びつかんばかりに満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。 久しぶりに見る美雪さんは少しやつれていたが、笑顔の元気な様子に祐樹は安心した。 母親はその後大きな後遺症もなく元気を取り戻したようで、大歓迎で迎えてくれた。
祐樹は広大な十勝平野を望む美雪の家で一週間を過ごした。 小さな家だけど温もりがあった。 横を小川が流れ、家の周りにはいろんな果物の樹が植えられ、野草がいっぱい花を咲かせている。 祐樹と美雪はそんな野草の名前を交互に当てっこして遊んだ。
ワン ワン ワン 「ミユキこっちへいらっしゃい! この犬は母の飼ってる犬でミユキっていうのよ 雑種だけど私が東京へ出た頃、家の近くの森に捨てられていた子犬を母が拾ってきてね それで私がいなくて寂しいものだからミユキって私と同じ名をつけて母と一緒に暮らしてきたのよ もう10年以上だからもうおばあさんのミユキだわね・・」とミユキを抱きしめている。
祐樹は滞在中、よくこのミユキと散歩し野山を一緒に駆けた。 丘の上に立つと遠方に万年雪を抱いた十勝連峰が見える。 新鮮で気持ちのいい空気・・ 祐樹が箕面森町で望んでいた生活の想いがここには詰まっていた。
それから一ヶ月ほどして美雪は大阪に戻り職場に復帰した。 「母が早く大阪へ戻りなさいって毎日のように言うのよ それに先生ももう大丈夫でしょうから・・ と言ってくれたの・・」 でも美雪は母親の事がいつも心配で仕方ない様子だった。
祐樹は箕面市内に事務所を構え、新しい自分の事業に生きがいを感じつつ、夢と希望をもって活動を始めていた。 それに大学時代の指導教授からの推薦で、ある大学の講師にとの誘いもあってその準備も進めていた。 しかしそれ以上にもう一つ、自分の人生をかけ、どうしてもやらねばならない最重要な大切な事があった。 それは祐樹の人生で初めて、自らの意思で決断する日でもあった。
街中はクリスマスソングが流れ、華やかなイルミネーションに飾られ キラ キラ キラ と輝いていた。 そして今日はクリスマスイヴだ。 夕暮れ時・・ 美雪は一段とお洒落な服装をし、美味しそうな手作り料理を両手に持って祐樹の部屋にやってきた。
キャンドルを立て、ワインを傾けながらいつものように大笑いの内に美味しいデイナーを終えた。 そして美雪がデザートを取りにいこうとしたのを静かに制して・・ 祐樹はおもむろに美雪の前に正座した。 そして祐樹は美雪の目をしっかりと見ながらしっかりした声で・・
「美雪さん 今日はボクから大切なお話があります ボクは美雪さんを心から愛しています ボクは生涯をかけて美雪さんを、愛し守りたいです どうかボクと結婚していただけませんか・・」 祐樹はもっと格好良く告白したかったけれど、いざとなると練習のようにはいかず、もう心の内から湧き出るそのままの気持ちを素直に伝えた。 美雪は目にいっぱい涙をためながら・・ やがて笑顔で大きくうなずいた・・ 「よかった・・!」 祐樹は世界に向けてこの喜びを叫びたい気持ちだった。
祐樹は美雪を静かに抱きしめながら、長い間そうしてお互いの温もりを感じていた。 やがて祐樹はポケットから用意していた指輪を取り出した。 ビックリする美雪の顔を見つめつつ、美雪の手を取りその左の薬指にゆっくりとそれをはめた。 それは小さなダイヤモンドが入った、美しい婚約指輪だった。 再び美雪の目から大粒の涙があふれた・・
やがて二人は美雪の作ってきたデザートを食べながら、その喜びのうちにこれからの事を語り合った。 入籍は美雪の誕生日の3月1日に、二人で箕面市役所に行き届出をする事にした。
そんな話をしているときだった・・ 祐樹のケイタイが鳴った。 上の兄からだった・・
(7)へ続く