お松のルーテル日記

キリスト教会(プロテスタント)での学びや聖歌隊での活動、
趣味の小説執筆や読書、サイクリングなどに関する日記

悔い改めにふさわしい実をむすべ

2012年12月15日 | キリスト教会
土曜日は嬉しい聖歌隊練習日です。

風邪も治ったしノドも万全!
2週間ぶりで気持ちよ~~く唄えました、あーーースッキリしたぁ~~

1週間後には再び衆人の前で聖歌を披露する機会がありますので、
先週の屈辱、失敗、悔恨の「リベンジだ!」です(ちゅどん!!)

前回、あまりにも不本意、くやしかった、くやしすぎた・・・ので書かなかったのですが・・・・

聖歌隊の披露曲全6曲。
そのうちの1曲に、僕が独唱する・・一人で唄う部分があるのです。
これはドキドキですが、とても晴れがましいひと時になるわけです。
僕は新入りなのにそういう機会を与えてくれた聖歌隊々長T女史への感謝の気持ちも大きい。

それなのに自分の不注意でノドを涸らしてしまったのが1週間前の出来事でした。。。
他人から期待されて、心から施されたにも係らず、それを裏切ってしまうというのはやはりツライものですよね。

少し大袈裟かもしれません。
他人からみれば、ましてや仕事でもないお金もからんでない、ささいなこと。

しかし、いまの僕の人生、このささいなことをもっとも大事にして生きているのです。
生きているというよりも生かされている、もっといえばお陰様で生きているという感じです。
だからくやしかった・・・(って、我ながらしつこい!

教会での出来事に係らず、僕はいま、これまでの人生でおかしてきた過ち、後悔、、
それらから目をふさぐことなく、見据え、あきらめず、少しずつでいいですから、
あとどれくらい人生に時間が残されているかわからないけれど、前進しようと思っています。

良くなりたい。 

その「良く」ってのは、世間のものさしとはまた別の、自分の中の価値・基準からしての「良く」です。
人間誰しもそうだと思いますが、自分に求める自分の姿・・というのは、けっこう皆さんハードルが高いと思うのです。
妥協してるようにみえて、あきらめているように見えて・・・・
本当は、心の底の底では、そのように「至らない自分」を悲しんでいる、恨んでいるものだと思うのです。

それがゆえに悩んだり、自己嫌悪に陥ったり、他人に、世間に責任転嫁したり・・・

僕は離婚時の挫折をはかなんで、それ以来の人生、すべてにおいて歩みを、前進を止めていたところがあったと思います。

弱い自分の心に負けて、反省はするけどそれを生かした「次の機会」を持とうとしない人生でした。

かなり長い時間、僕はそういう状態にみずから甘んじていました。 なまけていました。

しかしながらいま、周囲のみんなからエネルギーをもらって、また前進してみようか・・・と考えています。

生き直してみようと思うようになりました。

相当に努力しなけりゃならないし、つらいこともあるだろうけれど、もう一度チャレンジしてみます。

あとに残された時間が、仮にたとえ半年、一ヶ月であってもそうしよう!という意気込みをもってのぞみたいです。

「悔い改めにふさわしい実をむす」ぶために・・・

アーメン