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Tシャツとサンダルの候

旅の終わりに

11月2日


この日で今回の旅も終わりである。

北広島の山中から一転進路を北西にとり、日本海側へ抜け萩を目指す。

何で遠回りまでして萩までやって来たかというと、明治日本の近代化を進めた産業遺産群を見るためである。

先ずはその構成資産のひとつ、大板山たたら製鉄遺跡から。



遺跡に到着するや否や、にこやかにガイドのご婦人が飛び出してきた。


「まあまあ、ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ。」

「え、あ、まあ。」



「ご説明します。この遺跡の特徴はですね。高殿という・・・」

「ははあ。」


来館者が我々だけと言うこともあり、腕まくりしそうな勢いである。



「これが鉧(けら)です。炉から取り出された鉄の塊で、白い部分が玉鋼と言いまして・・・」

「あ、日本刀の。」

「そうです、そうです。そしてこちらをご覧下さい。」



「これが世界遺産の認定書です。」

「ヒョエー!」


ガイドさんの説明は、滑らかに軽やかに続く。


「・・・って事ですね。はい、では、遺跡の方に参りましょう。」

「あ、はい。」



「石段の下の通路は当時のままの幅です。随分と狭いでしょう。では、石段の上に登りましょう。」

「上でやんすか。」



「奥が高殿です。あそこにたたらがありました。」

「なるほど。」



「こちらが砂鉄の洗い場ですね。」

「ふんふん。」



「炉の両脇がふいごがあり、番子が交代で踏んでました。『かわりばんこ』って言いますでしょ。」

「あー、こっからですか!へー。」



ガイドのオバサンのお陰で、製鉄の工程は当然の事、言葉の語源までよく知る事が出来た。

代わりに、予定時間の方は少々オーバー気味だ。

次へと急ごう。



萩反射炉




確か、この石段を登った先に、




あった。

あれだ。



萩反射炉である。







実際には、技術面と経済面の両面で、実用化には至らなかったらしい。






移動



反射炉のすぐ近くにある小畑浦へ。




海に突き出た石造りの堤防。







恵美須ヶ鼻造船所跡

発掘した後埋め戻され、現在はそれらしき造形はない。






先月16日から始まったこの秋の旅も、この萩にて終了である。


帰ろう。


関門海峡を渡れば九州である。

我が家まであと一息。

高速道路をかっ飛ばし、夕方5時前に無事に帰宅した。

この日、17日ぶりの揺れない床で爆睡した。


やっぱ、我が家は良いね。


走行距離363km 累積走行距離3320km

ついでに記すと、給油量合計456.12ℓ 平均燃費は7.3km/ℓだった。

コメント一覧

minou_yamatai
どうも、ただいまです。
山の計画はほぼ全滅の旅行になりました。
またいつか!
中島 雄二
おかえりなさい。
minou_yamatai
そうなんですよ。
東北は殆ど雨。
今回ほど雨に祟られた旅行は初めてでした。
八幡平、八甲田、蔵王、そして乗鞍と、山は全部キャンセル。
代わりに、雨でも観光できる佐渡に差し替えたんですが、それはそれで逆に良かったと思ってます。
お茶汲み大臣
おかえなさい。
ご無事に戻って来られて、良かったですね。
折角の旅なのに、東北の天気が今ひとつだったのは、残念だったのでしょうか?

立山の写真の数々、最高でした😃
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