東日本大震災から丁度10年。
各地で慰霊の催しが行われている。
改めて、犠牲になられた方々の冥福を祈ると共に、一日も早い復旧復興を願いたい。
それと同時に、我々九州人にとって、忘れてはなはらない震災がある。
熊本大地震である。
この度、熊本復興のシンボル、新阿蘇大橋が開通した。
国道54 57号線沿いには、広い駐車場が出来ている。
駐車場からは、新しくなった阿蘇大橋が一望できる。
開通を祝って、数珠つなぎに車が渡っている。
橋梁の歩道を歩いている人も多い。
印象深いのは、決壊防止対策として、崖全体が大規模に補強されている事だ。
特に橋脚基礎部分には、なにかの新技術が埋まってそうだ。
ここは、震災で落橋してしまった、旧阿蘇大橋が掛かっていた場所である。
旧阿蘇大橋の残骸が、対岸の崖に見える。
あの日、一人の若者の尊い命が、ここで失われた。
暫し手を合わせ、冥福を祈った。
数鹿流崩れと呼ばれる、大規模山腹崩壊現場。
崩れ落ちた膨大な土砂は、JR豊肥線、国道57号線を呑み込み、そして阿蘇大橋をも崩落させた。
これらは、熊本地震の記憶を残すための、九つの震災遺構の一つとなっている。
すぐ近くに、もう一つの震災遺構がある。
旧東海大学阿蘇キャンパス
学舎の真下を走る横ずれ断層。
正に直撃だ。
見学には一組ごとに、ボランティアガイドが付く。
私達を担当してくれたのは、可愛らしいハイティーンの女の子だった。
「あの時は?」
「中学2年でした。」
「・・・そうか。」
情けない事に、私達には顔を曇らせ頷く事しかできない。
彼女の方から、多くの事を語ってくれた。
自宅はここから数キロの場所にあり、ご多聞に漏れず全壊。
長い避難生活も経験した。
しかし今では、自宅も新しく建て替わり、この春、高校を卒業したとの事。
「あらまあ。卒業おめでとうございます。」
「有難うございます。」
「説明を続けます。えーっとここは、こんな扇形のデザインの為・・・」
耐震補強するのが困難で、専門家に見て貰った所、
「一応、大丈夫だろうとの見解だったそうですが、」
この有様である。
床には断層の亀裂が走る。
自然のパワーは、専門家の見解などあっさりと否定し、建物を粉砕し尽くした。
反対側に出た。
鉄筋がむき出しになった柱。
こちらが本来のエントランスである。
「建物全体が、こちら側に傾いてるそうです。」
「ほえー!」
「コンクリートの白い部分見て下さい。あの分だけ、ずれているのが分かります。」
「ホントだ。」
かつては多くの学生が乗り降りしたであろうバス停も、その役目を果たすことは無い。
「と言っても、いくつかの実習は、今でもここでやってるそうですよ。」
「4月から新しい門出だね。頑張らんとね。」
「はい、楽しみです。」
にこやかな返事が返って来た。