無性にチャンポンが食べたくなった。
それも、そこらの大衆食堂のものではない。
「ちょっくら、長崎に行ってくる。」(私)
「へ?」(家内)
数千円の高速代と燃料を使い、長崎の中華街へチャンポンを食べに行く。
放蕩もここに極まれりである。
「来る?」
「行くかーー!!」
年の瀬も押し詰まり、家内はとっても忙しいらしい。
真っ当な人間なら当たり前過ぎる返事が返ってきた。
そんなこんなで、長崎新地である。
中華街である。
適当に店を選び、暖簾を、、、じゃなかった。
自動ドアを開ける。
「ご注文は?」
割烹着を着たオバサンに訊ねられた。
ここで中華丼と言う訳なかろう。
「えーっと、チャンポン下さい。それとね・・・」
「海老とイカと豚肉の3種焼売でございます。」
辛子と甘酢で頂く。
もぐ
大振りの焼売は、どれもプリップリ。
うんめえ!
丁度、焼売を平らげた頃、
「チャンポンでございます。」
ウヒヒ
これこれ。
あれ?えーっと・・・
さすがにそこらの大衆食堂とは違う。
テーブルにソースが見当たらぬ。
「ソース持ってきて!」
と、言いたいところだが、割烹着のオバサンに全力で叱られそうだ。
私の『チャンポンには、僅かばかりのソース』主義は、ここでは引っ込めて置く事にした。
いただきまーす!
何しろこれを食べに、遥々140kmをすっ飛ばしてきたのだ。
美味し!!
満足、満足。
食後は、中華街を一回り。
中華街を抜けると、出島はすぐそこだ。
そうだ、観光をしよう!
チャンポン食べたさに長崎出動。
この余りの罪悪感に、今日の目的を無理矢理観光にすり替える私。
旧出島神学校。
現存する日本最古のプロテスタント教会。
この建物内に、東側ゲート受付がある。
出島の中では、今でも発掘調査が行われている。
ここでは地下に埋まった石橋を掘り出しているらしい。
旧長崎内外クラブ。
明治36年、外国人と日本人の社交場として建てられた。
旧長崎内外クラブから先は、復元ゾーンとなっている。
鎖国時から幕末までの、復元された建物群が並ぶ。
往時の物も僅かに残っている。
これは地番境石。
《五・四番 No.5_4》の文字が見える。
時鐘
昼時に撞かれたんだそう。
用水池跡
雨樋を通して、池に水が集まる仕組みになっていた。
主に防火用水として使われ、飲料などに使う水は、水売りから買っていたとの由。
カピタン部屋。
現在、周囲はすっかり埋め立てられているが、当時、このバルコニーの下には海はせまっていた。
以前テレビで、出島の岸壁に使われた石垣の発掘が紹介されていた。
このガラス板の下に見える筈だが・・・
オイ!
これ、どうやったら見えるんだよ。
ボランティアのオジサンに訊ねるも、
「曇って見えんでしょ。都合よくいかんですたい、ハハハ。」
「これば、見たかったのに。」
「そうでっしょ。よーく言っときます。」
誰に言ってくれるのか知らんけど、是非そうして下さい。
さーて、
中華街でヨリヨリでも買って帰るとするかな。
チャンポン・・・じゃなかった、出島観光を終えて家路へ着く私である。