朝ドラを車中で見終わって、出発するのがルーティンだ。
【本家まんぷくラーメン】のあのオヤジの開き直り。
「演技と分かってても腹立つな。」
などと呟きながら、車のハンドルを握る。
いずれにしても、【まんぷくラーメン】は・・・
え、そういう話じゃないだろって?
ごほん、
失礼した。
2月26日
先ずは三井落地区へと向かう。
三井落教会。
1880年、木造のゴシック様式の教会が、この地に立てられた。
老朽化の為、1971年に現在の尖塔を持たない、瀟洒な建物に建て替えられている。
この地域は、『沈黙』の舞台となった、大村藩外海地区から入植してきた人々が開墾した土地である。
碑文には、外海からこの地に移り住んだ信者たちの、受難の歴史が彫られている。
後ろは切支丹墓地である。
嶽屋牢屋敷跡。
狭い奥まった場所にあった。
ここを探すも、周辺をグルグルと廻ってしまう。
自動販売機でジュースを買っていた老シスターに教えて貰って、ようやくたどり着いた。
『辞本涯』
「日本の最果ての地を去る」という意味で、遣唐使として日本を去る空海が残した言葉らしい。
当時の遣唐使の、命がけの覚悟と気概がわかる。
貝津教会。
この教会の歴史は、大村藩から移住してきた潜伏切支丹達が、途中、この地区に再移住してきたことから始まったという。
高浜ビーチ
コバルトブルーの海が美しい。
右に見える小高い丘が、展望所になっているようだ。
登ってみた。
高浜ビーチを見下ろす。
団体客が着いたところのようだ。
展望所真下を見下ろす。
この青!
この澄み方!
玉之浦地区へ移動。
井持浦教会。
このルルドは、当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父が、日本で最初に築いたものであるとの由。
大瀬崎断崖。
東シナ海へ突出した断崖の先に灯台が見える。
日本で最後に夕日が沈む場所である。
富江地区へ移動。
勘次ヶ城
溶岩礫を積み上げた石垣で、倭寇の拠点説など諸説あるが、結局のところよく解らないらしい。
富江陣屋の石蔵を探すも、番地が分からず、ナビで探せない。
家の前の植木に水やりをしているオジサンに聞いてみたら、
「それはすぐそこたい。こう行って、あそこを曲がって・・・車?車は止められんよ。うちの車庫に置いて行かんね。」
何とも親切なオジサンなのだ。
「あんなもん、うちらは全然興味はなかばってんね。どこが良かとね?」
「いや、そう言われても。とにかく行ってきます。」
これが、富江陣屋の石蔵だ。
精巧に切り出された玄武岩で作られている。
これが石蔵内部。
冨江藩の穀物蔵だったとの事。
大したもんじゃないか。
オジサン、もっと興味を持った方がいいよ。
富江でお風呂にしようか。
富江温泉たしゃかランド。
「本日は半額になっておりまして、255円でございます。」
「ほんと?ラッキー(^^♪」
と、上機嫌でお風呂に浸かったのはいいが、ボディーソープはあるが、シャンプーがないという、まさかのトラップ。
ここでの入浴の際は、シャンプーとリンスは持参しよう。
髪がキシキシする羽目になる。
この日の宿泊場所は、鐙瀬海岸沿いの名も無き駐車場である。
綺麗なトイレもあり、静かで車中泊場所として良いと思ったのだが、、、
トイレの照明が夜半まではついていたのに、明け方起きたら、つかなくなっているという、まさかのトラップ第二弾。
ここでの車中泊の際はランタンを用意しよう。