Tシャツとサンダルの候

九州を旅する 杵築城下散歩、他

3月29日

 

杵築へと向かう。

杵築ふるさと産業館に立ち寄り、散策マップは無いか尋ねてみる。

 

「ございます。お勧めは、こう行って、こう行って、ここで折り返して、そんでもって・・・」

 

受付のお嬢さんが、赤いマーカーで、丁寧にマップに道順まで書き込んでくれた。

こりゃどうも、ご親切に。

お陰で、よく解るよ。

番所の坂を登ると、北台武家屋敷群である。

 

だが、

お勧めのコースによると、登ったと思ったら、

酢屋の坂と言う坂を、もう降らねばならない。

 

煙突がある建物は、味噌の蔵元。

 

降りきると、商家が立ち並ぶ筋になる。

 

通りを突っ切り、塩屋の坂を登ると、南台と言われる武家屋敷群となる。

 

北台、南台という武家屋敷の区割があるように、杵築の城下町は、やたらと坂が多いのだ。

この通りは、その名も家老丁。

家格が高い武家屋敷が並ぶ。

中根邸。

勿論、家老の家柄の屋敷である。

 

 

南台を降りて、再び北台武家屋敷群に戻る。

大原邸。

家老の中でも筆頭だった家系との事。

切妻の上にある屋根飾りは、懸魚(ゲギョ)というらしい。

魚が水を撥ねる事から、火災を防ぐ願いが込められたデザインだそうだ。

長屋門から敷石を渡り玄関に至る。

因みに、長屋門の軒先のデザインをよく見ると、

 

「波になってますでしょ。これも火災を防ぐという願いからです。」 

 

そのせいか、この辺りは一度も火災に遭っていないんだとか。

仏間。

左の棚に、仏壇と神棚を並べて置くようになっていたらしい。

神仏混淆極まれりである。

竈のある土間の上は天井板がない。

ここ立ち昇る煙で屋根全体を燻し、虫がつかないようにしている。

「どこの土塀も、上の方で反りかえっていますね。」(私)

「多分、雨水で土壁が傷まないようにする為でしょう。」(案内人)

能見邸。

こちらは、殿様の分家筋にあたる家柄。

磯矢邸。

かつては御用屋敷(殿様の休憩所)として使われていた、とある。

勘定場の坂。

この坂を下りて、杵築城に向かう。

 

ここでも桜が満開だ。

桜のトンネルを行くようだ。

杵築城は、日本一小さい城と言われているらしいが、実は難攻不落の城でもあった。

 

 

国東半島に移動。

途中、道の駅国東で昼食。

ここで注文するメニューは、決まっている。

名物の太刀重だ。

ふんわりと仕上がった太刀魚の蒲焼は、あっさりとしていながらも、太刀魚らしい主張が伺える一品だ。

 

 

国東は仏の国である。

古くは奈良時代から、連綿と続く古刹が、そこかしこに点在している。

両子寺。

718年、仁聞菩薩による開基。

正面は護摩堂。

山岳修行の根本道場である。

大講堂。

 

山門を降りたところにある仁王像。

足が悪い人が、石像の足をさすると効き目があるんだとか。

古傷の左親指と、この前捻挫した、右足首の回復を祈念して、火が出るほど擦ってやった。 

 

富貴寺。

ここも、両子寺と同じく、718年仁聞菩薩により開基とある。 

仁聞菩薩は、ここ国東に、28もの寺を開いたと言い伝えられている。

大堂。

内部には、一面に壁画が描かれている。

残念ながら、描かれた当初、極彩色に彩られていた壁画は、ほとんどが剥落し、痛みが激しかった。 

「修復は、難しいでしょうね。」(和尚)

「かつてこの地に、カヤの大木があり、そのカヤの木一本で、この大堂を造り、仏像を刻んで、まだ余ったとの事です。」(和尚) 

 

次の寺へと進む。

国東は、誠に山深い。

車一台がやっとの山道を、縫うように進まねばならない。

長安寺。

同じく、718年仁聞菩薩開基。

重要文化財の太郎天像や銅板法華経など、多数の収蔵物があるらしいが、収蔵庫には鍵がかかっていて見る事は出来なかった。

 

 

この日の温泉は、ホテルベイグランド国東 400円

宿泊は、道の駅くにさき wifiバッチリ w

走行距離127km 累積走行距離1943km

 

この日、暑さのせいか、何だか疲れてしまった。

早々に就寝するも、

夜半、すぐ隣に停車したトラックの、アイドリング音に起こされてしまった。

 

眠れず。 

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