自宅から明星山までは、およそ5kmぐらいの距離である。
たまには、というより、ちょくちょく歩いていく。
途中、住宅街を抜けていくのだが、こんな石碑が個人宅のブロック塀の隙間に立っている。
筑後の国 国分寺跡
この界隈は国分町(こくぶまち)と言う。
町名に僅かにその痕跡を留めてはいるが、広大であったろう敷地跡は、住宅などが建ち並び、跡形もない。
日吉神社がある。
この場所に伽藍や五重塔があった。
もっというなら、私の通った幼稚園がかつてはここにあった。
この灯籠や鳥居、石畳なども、私が通った当時のままである。
手前の石橋の付近に幼稚園バスが停車していた。
一度、バスから降りる際に、幼い私はこけてしまい、ベソをかいた。
バスの運転手のおじさんは、泣くな!と私を叱った。
今思い出しても、この理不尽さには腹が立ってしょうがない。
境内に入ってみた。
びっくりすることに、当時の教室だった建物が、まだ残っている。
私のクラスであった松組の教室のみが残っている。
松組の先生は、国分先生というやさしい女の先生だった。
園長先生も国分さんだった。
今思い返せば、国分寺に何等かの所縁のある名家に違いない。
今でも、国分さんが経営なさっているのだろうかと調べてみた。
案の定、国分さんだった。
現在、この幼稚園はすぐ近くに移転している。
日吉神社の道路を挟んで真向いにある石碑。
塔自体は、現在の道路辺りにあったらしい。
明星山にむかう。
明星山の山登りについては毎度の事なので、特に記すことはないが、帰り道で見つけたネジネジだけ掲載しておく。
どうやったらこうねじ曲がるのか。
帰りは高良川沿いに土手を歩いて帰った。
土手には水仙が長い距離で植えられていた。
発見だった。
やるじゃん、いいじゃん!
どこの誰がしたのか知らんけど。
市?町内会?
もっと大規模に出来そうだけどな。