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現代に残された2000年以上前の古代ローマの巨大地下貯水槽(イタリア)

2019年07月26日 | 世界びっくりニュース
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 イタリア、フェルモ県にあるヴィア・デジリ・アチティ(Via degli Aceti)の、目立たない入り口を入り、古い石の階段を降りると、2000年前の技術の粋を集めた驚異を目の当たりにすることができる。

 そこには、驚くほど保存状態の良好な古代ローマの貯水槽が広がっているのだ。その規模と精巧な仕組みから、2000年以上前にこの丘の上の要塞を造ったローマの建造者たちの驚くべき技術知識がとてもよくわかる。



Cisterne Romane - Fermo - Marche - Italy

古代ローマ皇帝の命令による水道システムプロジェクト


 このとてつもない大がかりなプロジェクトを命令したのは、 ローマ帝国の初代皇帝のオクタビアヌス(アウグストゥス)である。オクタビアヌスは、属州統治や都市整備に尽力し、ローマの平和の時代をもたらした人物である。

 彼は、イタリアのアドリア海沿岸のローマ人コロニー、Firmum Picenum(現在のフェルモ)に飲料水を供給するための水道システムを構築しようとしたのだ。

 水は自然の泉や雨水から集められ、町のトゥファ石(沈殿した炭酸石灰から成る多孔質石灰石)の地下深く、技術者が造った貯水槽に浄化されたのち貯蔵された。この貯水槽はそれぞれ傾斜を緩くして設置されていて、通気システムまで整っていて、実に巧妙に調整されている。

 この水システムは、近くのポルト・サン・ジョルジョ港近くの遠征船に水を供給するのにも使われたと考える歴史家もいる。

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地下貯水槽や修道士たちのワインセラーに


 ローマの時代が終わると、この地下貯水槽は使われなくなり、戦争で疲弊したフェルモ市民のゴミ捨て場になってしまった。

 しかし、13世紀、ドミニコ修道士たちが新たな修道院を作ろうとして、偶然この貯水槽を見つけたため、ここは再び日の目を見ることになった。

 修道士たちは、この地下貯水システムの一部をワインセラーとして、より実用的に再利用したのだ。現在でも、ワインを貯蔵するために修道士たちが造った階段室や落とし樋を見ることができる。

 天井や洗浄台、通気用の井戸に使われた板の跡、壊れたテラコッタや、水漏れを防ぐために使った防水モルタルなどが混じった残留物など、今日の訪問者は、もとの仕事の痕跡を見て驚くことだろう。


Fermo, Grandi Cisterne Romane The Roman Cisterns (manortiz)


第二次大戦中は空襲時の防空壕に


 1950平方メートル以上の広さに、10室×3列、30の貯水槽が連なっている。それぞれの水槽はわずかに隣より低くなっていて、水槽から水槽へと水がゆっくりと流れるようになっている。

 水位はおよそ70インチ前後に保たれていて、水槽から水槽へ流れていく間に、水を空気にさらす曝気移動ができるようになっていて、連続している水槽の底に沈殿物が落ちるようになっている。

 10個のシャフトが周期的に開いて、この地下貯水槽の空気を循環させ、換気ができるようになっている。

 第二次大戦中は、この巨大な地下スペースは空襲時の防空壕になった。爆弾が投下されている最中に描かれた壁の落書きを今でも見ることができる。遥か2000年前のこの水システムは、つい最近の1980年代まで、町の一部への水を実際に供給していた。

CGバーチャルツアー映像

Cisterne Romane - Posizionamento da Piazza del Popolo

 古代ローマ時代地下貯水槽は、見学することができるが、ガイドなしでは立ち入ることはできない。チケットは地上のポポロ広場にある観光局で買うことができる。

References:Cisterne romane di Fermo/

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