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飛騨位山「太陽神殿・春の御祭」参拝予定その1

2013-04-27 19:11:23 | 飛騨位山「太陽神殿」
私たちの目に見えない世界にはおそらく、ある一定の方向に流れる大きな力(意志)が存在するのだろう。
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位山(くらいやまは、飛騨高地の中央に位置する岐阜県高山市の標高1,529mの山。
飛騨北部と南部の境界であり宮川と飛騨川の分水界である
位山分水嶺の山。     
飛騨一宮水無神社の神体である。日本二百名山のひとつであり、山域は岐阜県の「位山舟山県立自然公園」に指定されている。
    
  位山頂上から望む両白山地(中央は主峰の白山)

・山名の由来と歴史  
位山には岐阜県の県木であるイチイの原生林がある。
位山の名前の由来について、朝廷に位山のイチイを笏の材料として献上した際、この木が一位の官位を賜ったことから木はイチイ、山は位山と呼ばれるようになったという説があり、現在でも天皇即位に際して位山のイチイの笏が献上されている

古来より霊山とし崇められている。新古今和歌集で源通親(土御門内大臣)が、「位山あとをたづねてのぼれども 子を思ふ道になほ迷ひぬる」と詠んでいる。
天孫降臨天の岩戸両面宿儺などの伝説のある山である。位山街道は7世紀末に飛騨の匠丁が、京に木工などの労働のために移動する際に利用されていた。
 


*天の王朝 不思議な世界 記事http://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/9000/
(その3)
・位山の龍神1 
ダナ平林道終点の駐車場には、一風変わったモニュメントがある。1984年に地元の仏師、都竹峰仙が造ったジェラルミン製の球体でできた「太陽神殿」だ。
      
私が初めて位山(岐阜県宮村)に登った1984年秋には、既にこの神殿は完成していた。当時はこの神殿ができた経緯をまったく知らなかったため、新興宗教の教団かなにかが、この土地を買って神殿を建てたのかと思ったほど奇異なモニュメントだ。しかし、実際にこのモニュメントができたいきさつを聞いてみると、非常に興味深い話であった。
都竹峰仙は亡くなっているが、息子の都竹昭雄(つづく・あきお)氏が著書『飛騨の霊峰位山』で、その由来を詳しく語っている。

      
それによると、すべては都竹峰仙が子供のときに体験した神秘体験から始まったようだ。1911年に岐阜県高山市三福寺で生まれた峰仙は、小学校を卒業後、13歳で宮大工になろうと決心。弟子入りして飛騨各地の寺の造営に携わり、寺の欄間を彫ったりするかたわら、独学で彫刻を学んだ。

1932年ごろ、御嶽教飛騨教会で新しい不動明王を製作しようという話になった。御嶽教の行者が神示を受けたところ、折(お)敷地(しきじ)(岐阜県大野郡丹生川村(にゅうかわむら))の山中にある直径六尺の栃の木を使い、峰仙という者に不動明王を彫らせよ、とのお告げがあったそうだ。行者は峰仙という彫刻家も、そのような栃の木が山中にあることも知らなかったが、方々を探してやっと若い彫刻家峰仙と見事な栃の木を探し出した。


白羽の矢が立った峰仙には、子供のころから不思議な体験があった。夢の中で何度も不動明王が出てきたのだという。その姿を峰仙は、栃の木に刻み込んだのだ。白装束で身を清め、365日間、刻み続けた。完成したのは1935年、峰仙が23歳のときだった。

それが現在、高山市七日町の不動橋近くにある御嶽教飛騨教会に鎮座している栃目不動明王だ。身の丈4メートル80センチ、背中の火炎部分を入れると七メートル以上もある。ギョロリとむいた大きな目玉、右手には剣を、左手には羂索(けんざく)を持つその迫力は、初めての作品とは思えない出来栄えで、霊験あらたかな不動明王であるとしてすぐに評判になったという。

峰仙はその後、東京で本格的に彫刻の修行をし、戦後高山市に戻ってきた。

そして、本当に不思議なことは1953年に起きた。位山を開きに来たという関西の人たちを位山に案内した後、彼らが原因不明の奇病にかかってしまった。何件かの病院で診察を受けたがまったく原因がわからない。ところが、ある有名な霊能者に相談したら「位山を案内した人こそが位山を開く人だ。その人に祈願を立てて祈ってもらえば病気は治るだろう」と言われたというのだ。


位山の龍神2
半信半疑のまま1953年11月、峰仙は位山に登った。頂上付近の手前で峰仙は「位山を守護している大龍神よ、われを使ってこの霊山を開けたもうなら姿を現したまえ」と祈願を立てた。すると、巨大なエネルギーを感じて全身がしびれたかと思うと、足元より大龍神が立ち昇り、「位山を開け、永年待ったぞ」という大音声が峰仙の耳に響いた。

峰仙は「私は彫刻家であり、行者のような修行もしていません。位山を開くような大それたことは遠慮させていただきたいと思います」と答えると、その声は「それはならんぞ。位山を開く時が来たのだ。それがそなたの運命だ!」「頂上の巨石の扉を開くのだ。天から指示をするからそのとおりやればよい。まず六つの法を降ろす。それを六ヵ月で学べ。そして最後の三日三晩は山に籠もり位山を開け!」と告げたという。

その言葉どおり峰仙は、神示により陰陽の原理、風の法、火の法など六つの法を学び、とうとう1954年8月、位山の頂上に三日三晩籠もり、夜を徹して行を続けた。すると明け方5時半ごろ、巨石の間から巨大な火柱が天に向かって昇り、位山全体が真っ赤に染まった。こうして位山は開かれ、「日の大神様が太陽巨石の扉を開けて世に出られた」ことを知ったという。
 ・火柱は白山の方向に流れたと峰仙は話していたと
         
    都竹昭雄(平成22年7月29日、享年65歳永眠)の奥さまの話


これを受けて峰仙は、位山のご神体の制作にとりかかった。位山のヒノキの神木を使って天照日の大神のご神体を作り、1955年に位山頂上付近の巨石の横に神殿を建立した。
       
しかし、この場所は位山の神々を祭る場であり、あまり足を踏み入れたくないという考えや、「新しく球体の神殿を造るように」という神示があったため、1984年に球体の太陽神殿が七合目に設置されたのだという。
      
 位山には昔から大蛇が棲むという言い伝えがあり、地元の人でもあまり踏み込むことのない神聖な山だったという。峰仙が見た龍神こそ、位山の守り神であったのか。なぜ今の時代に位山を開く必要があったのか。

私たちの目に見えない世界にはおそらく、ある一定の方向に流れる大きな力(意志)が存在するのだろう。
峰仙が位山を開いた六年後、今度は神道家・金井南龍が台風の風が吹き荒れる中、白山に登り、白山神界の封印を解いたのだという。1960年8月9日のことだ。『神々の黙示録』(徳間書店)によると、そのとき南龍は、白山神界の菊理姫の働きを元に戻すと同時に、天皇一族に殲滅された白山王朝(縄文系の王朝とみられる)の歴史を霊視する。~


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1 コメント

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写真借用 (西嶋)
2015-10-04 12:22:12
飛騨位山「太陽神殿・春の御祭」参拝予定その1
の位山からの白山の写真、第10回白山神駈道登山報告集に山座名などを入れ編集して使わせていただけないでしょうか。
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