新・きものの基

絹や木綿、麻など素材から染織の歴史、技法、デザイン、そしてきものと暮らしの多様な関係までを紹介します!

藍染⑫

2007-11-23 19:14:41 | ゆかた・藍染

藍染⑫大切な伝統文化

「そこで垣間見えてきたのは、職人さんの多くは高年齢者で、後継者がいないという現実でした。何ヶ月もかけて布を織り、染め、反物や帯を作っても、賃金が安い。そのため織場を締めてしまう職人さんも多いとか。」と12月27日の夕刊フジに女優の名取裕子さんが書いていましたが、本当にきもの作りの現場に行くと、高齢化、後継者難を痛感させられる。あと5年、10年したら消えていってしまう貴重な伝統文化、伝統技術がいかに多いか。蛙工房さんは、幸いご子息が3代目を継ぎ、お父さんといま、一緒に仕事をしているが、藍は毎日丁寧にめんどうを見てあげなければ、元気にならない、子供のようなもの。一日として休むことが出来ない、大変な仕事ですが、親子2代で誇りを持って仕事に勤しむ姿を見ていると正直ホッとします。江戸っ子に愛された素晴らしい藍染のゆかたや小紋、しばらくは安心です。

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藍染⑪

2007-11-22 18:56:05 | ゆかた・藍染

藍染⑪藍の華

仕込んでから10日位すると藍が建ち、染められるようになるそうです。成熟した藍甕の中の藍は、光り輝くようで、藍の華がしっかりと立っています。写真は、藍液から染色をするために掬い取った藍の華で、染めた後にはまた戻します。藍液には飴や日本酒などを加え、発酵を良い状態にするために栄養補給するそうです。なんか、おかしいですね。薄い藍から順に甕を変え、生地を染めてゆきます。引き上げた瞬間は、どちらかというと緑っぽいのですが、空気に触れるとみるみる酸化して藍色になってゆきます。染めたい藍色になるまで、この作業を何回も繰り返します。

 

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藍染⑩

2007-09-25 23:54:54 | ゆかた・藍染

藍染■藍甕

マンホールのように見えるのは藍甕を入れる土台。藍甕は結構大きくて大人一人がすっぽり入るくらいの大きさです。昔は藍甕を数多く並べ、土の中に埋めて藍甕の温度を一定に保つようにしましたが、いまはコンクリート製。また要所には炭を入れる火床(ひどこ)を設けて、寒い冬には炭火で暖め、温度を一定に保ち、藍が染色出来る状態にすることを「藍が建てる」といいますが、藍を建てやすい温度に調整しました。これには、熟練の技を要したそうです。しかし、いまでは写真の底にコンセントと温度計が見て取れると思いますが、電気で藍甕を一定の温度に保っています。

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藍染⑨

2007-09-12 18:33:25 | ゆかた・藍染

藍染⑨糊

「染の上がりを左右するのは、糊の煮具合、出来具合次第」とよく親父が言っていたとは、三勝㈱の清水常務。長板中形の人間国宝・清水幸太郎さんのご子息。1週間に1度、生糊(きのり)作りをしていたのを覚えています。糊の具合が悪いとどうなるかというと、型紙の際や細かい部分がきれいに染まらなかったり、全体に甘くなったりするそうで、どんなに技量、腕がよくても染がキレイに出来上がらない。優れた職人は、型紙の質や文様、型の大小や気候、天候などを考慮してその都度糊の硬さを決めていたそうで、よく「あそこの糊はゆるいから、染も甘い」なんていってましたが、当時は各工房で様々に工夫して作っていた糊作りが、また同時にそれぞれの工房の染の味、個性になっていたんですね。

戦後は合理化、分業化が進み、糊屋が一手に糊を作り、各工房に納めるようになってしまったので、今では自分の工房で糊を作るなんて事もなくなってしまった。だからどこも同じような染めになってきてしまったと、清水常務。昔はそれでも糊屋には常時5~6種類はあったんですが、いまは2~3種類。合理化されて、作るものが絞られてきてしまったので、益々染の差がなくなってしまったとは、清水常務。

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藍染⑧

2007-09-11 17:21:45 | ゆかた・藍染

藍染⑧

写真の藍色に染まっている部分は、天然繊維。白い部分はポリエステルで、合成繊維を藍染することは出来ないそうです。藍と木綿の相性はバツグンで、江戸時代の木綿の染色の半分以上は藍染だったといわれています。また藍染は江戸っ子に好まれたワケは、何回も着て、水洗いされる度に、藍の色合いが微妙に変わってゆく様を楽しんだそうです。中には染めたばかりのものをわざと色落ちさせて、という注文もあったそうで、まるで今のジーンズに対するファッション傾向と同じなのは、時代は変れども、人は変わらない、ということなのでしょうか。

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藍染⑦

2007-09-10 19:13:31 | ゆかた・藍染

藍染■閑話休題②

このイラストは「江戸商売図絵」「彩色江戸物売百姿」など江戸風俗の資料絵の第一人者・三谷数馬の描いた「高荷木綿売り」の図絵。木綿を四角く包んだ荷を、高さ2メートル以上にも積み重ねて背負い、「もめんや もめん」と売り歩いたそうです。一方「古着売り」は、担ぎ棒の前後に古着を何枚も重ね、特に前の荷は高く積み重ね、その上から風呂敷をか撫せていたので、馬の首のようになってしまい「竹馬きれ売り」とも呼ばれたそうです。江戸時代は店(見世)売りより、町々を売り歩く様々な行商人が庶民の暮らしを支えていました。

高荷木綿売り

藍染⑥

2007-07-17 20:47:29 | ゆかた・藍染

藍染■閑話休題①

1反のきものが出来るまでには、実に様々な分野の人々が関わりあっています。例えば、藍染、注染、小紋など欠かせない型染ひとつにしても、型紙を彫る職人さんはもちろんのこと、型地紙といって染の際に伸縮しない、丈夫な型地紙を作る人は欠かせない。さらに型紙を彫る道具も、竹べらや砥石、鋼の定規など様々な道具を使うが、こららの道具を作る人もいなければ型紙は作れない。また型紙を補強する「糸入れ」に使う春繭の生糸や「紗貼り」する紗もなければ作れない。この1つ1つの道具を作る人がいま、生計を立てられずに、或は後継者がいなくて、いなくなっている。

伊勢型紙の縞彫りで人間国宝だった児玉博さん。千筋、万筋など縞を彫らせたらその精緻な技は伝説もの。彫る時は、あて場に座わると、集中して一気に彫り、席を立つことがなかったという。しかし、児玉さんは「型紙はあくまでも染める材料」といっていたそうですが、児玉さんの型紙を染められる職人もまた少なかったそうです。都市伝説の1つかもしれませんが、児玉さんの万筋の型紙を使って染められる職人がいなくて、折角人間国宝に指定された腕を持ちながら、存分に型紙に腕を振るうことが出来ず、生計のために駐車場の職員をやっていた、という話があります。見事な着物を作るため道具1つも最高のレベル、すべての人の技が最高のレベルにないと着物作りは「出来ないチームプレー」で、いまそのチームが急速に組めなくなりつつある。一度失われた技は復活することが至難。一体、どうしらいいのでしょうね。

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藍染⑤

2007-07-15 08:46:05 | ゆかた・藍染

■藍染・星

型染は、何回も型紙を送りながら、連続した模様を作ってゆくために、模様のつなぎ目がずれないように必ず型紙には「星」といわれる目印があります。写真の右上真ん中の丸で囲った点がそうです。これがないと連続模様が出来ないのですが、最近は模様に関係のない「汚れ」と思うお客様もいて、クレームがつくので、仕上げで星を消すようにしているそうですが、どうしても消せないものもあるとか。「うちは江戸時代からのやり方で、江戸の味を再現しているんで、星は消したくないんで、ていねに説明をいただけるようお願いしているんですが、型染を知らない店員さん、お客さんが多くて最近はやりにくいね」と蛙さんボヤくこと。

画像の上の赤い帯の部分は、生地を貼り付けている糊です。糯米(もちごめ)に石灰をいれ、水を加えながら練り上げて団子状にし、2~3時間湯で煮て、更に湯と石灰を加えて練り上げ、糊の硬さを調整し、さらに米ぬか、水に溶かした緋糊(ひこ)という赤い染料を混ぜ、完成です。型紙の質や文様、その日の天気などで糊の硬さを決めるそうです。

この糊を長板に丁寧に引き、そのまま陰干しし、翌日、長板に引いた糊の上に、引き刷毛で水をむらなく引いたら、木綿生地を張り、生地にしわがよらないように長板に張り、型染の準備をします。

型紙は乾燥したままだとシワがよりますので、一晩水につけ、型染の直前に水から引き上げて、板に張り水気を切ります。

型染は、長板の左から右へと順々に型紙を送ってゆきますので、型紙の文様をいかにうまくつないでゆくかが、腕の見せ所です。そのための大事な目印が「星」なのです。

 

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藍染④

2007-07-14 08:39:33 | ゆかた・藍染

■長板中形・型付

長板中形(ながいたちゅうがた)の「長板」は、布地に糊で型付けする際に用いる反物の半分、約6.5メートルの長さの張板(はりいた)のことで、「中形」は、小紋に対して少し大き目の柄ゆきを指します。しかしいつの間にか、長板中形といえば藍の型染の木綿、ゆかたを意味するようになってきました。

写真は型付(かたづけ)という工程で、板場で長板の表裏に張った生地に、型紙をのせ、箆(へら)で均一に糊を置き、一型おわると次へと柄のつなぎ目をわからないように寸分の狂いもなく型紙を置き、またずらしながら型付し、張板の表が終わると、ひっくり返し、裏も繰り返し型付けして、生地1反を連続模様に仕上げてゆく様子を撮ったものです。この型付が最も熟練の技を必要とされるもので、10年かかってようやく1人前とのこと。この日は土曜日でしたが、アレコレの取材のために職人さんにわざわざ出ていただき、感謝です!蛙さんには現在2人の型付職人さんがいます。

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藍染③

2007-07-08 17:16:56 | ゆかた・藍染

■藍染・叺(かます)

写真は、蒅(すくも)が入っている「叺(かます)」。叺は、稲藁で作った袋で、通気性があり、こうやって天井近くの湿気のない場所に置いておけば、すくもを長く保存できる。社長の大澤さんのはなしでは「すくもは、むしろ寝かした方が発色がよくなる」とのことで、その年にできたすくもを直ぐに使うわけではないそうです。

蛙印染織工芸の社長・大澤さんは昭和63年に名古屋の徳川美術館に収蔵されていた「家康公の藍染小袖」の復元プロジェクトにも参加した藍染の第一人者。NHKでも「ジャパン・ブルー/青の文化と家康小袖の再現」というタイトルで放送され、本も出ているのでご記憶の方もいるかもしれませんが、「400年も前に染め、実際に家康公が袖を通した藍染の辻が花の小袖を見たとき、身が震えましたね。まるで昨日染めたかのように、しっかりした色調で、確かな輝きをもった藍の温かさがあった」と語る大澤さん。当時の話をするとまた思いが甦るのか、少し興奮気味。しかし蛙さんは博識な方で、あちらこちら飛びながら、興味深い話を聞かせてくれ、またその話が面白い。しかし、このままでは話だけで終わってしまいそうなので、藍甕のある染め場に移動。

ふと壁を見ると神棚の脇に紙の振袖が祀ってある。聞くと「紺姫さま」というそうで、昔から藍の染め場にはある守り本尊。裾が藍色に染まっているのは、毎年正月、初染めの時に良い藍が染まりますようにと祈りつつ染め、奉納するのだそうですが、「今年は、紺姫さまを染めなかったな…」と蛙さんはポツリ。昔は、紺姫さまが焼餅を焼くからと、女性は藍甕のある染め場には上がれなかったそうですが、いまは女性もOK。

大澤さんのとこは、長板中形で、糊を伏せた布を藍甕に浸して染める「表紺屋(おもてこんや)」ですが、糸を染める紺屋は「綛紺屋(かせこんや)、糸紺屋」というのだそうです。蛙さんのところは、藍甕が32個。大規模な表紺屋で「江戸の色を守ろうと」親子2代で、日々藍染めに挑戦しているそうです。

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