■まだ「きもの」ではなかった、その昔のきもの。
私たちは暮らしの中で、きものを「きもの」「和服」「呉服」と微妙にその言葉のニュアンスを使い分けています。「きもの」を辞書で引くと、【①身に「着る物」、「纏い着る物」の総称で、古くは着衣できる衣服の類を漠然と着る物、もしくは「着物」といった。衣服、服装。②和服の総称、特に長着。】とありますが、いつ頃から「きもの」というようになったのでしょうか。万葉集(806年)には
しらぬひの筑紫の綿は身に著(つ)けて、まだ着ねど暖けく見ゆ
意/九州の綿で作った衣は、まだ着たことがないのだけれど、温かそうですね
* 綿は、いまの綿ではなく、くず繭などを煮て引き伸ばして作った真綿のこと。
と歌われており、すでに「着る」ものという言葉が現れていますが、正確にはどのように呼んでいたかは未だ分かりませんが、当時は「きぬ」、あるいは「ころも」と呼んでいたようです。また紫式部や清少納言も読んだ宇津保物語(980年頃)には、「いは木の皮をきものとして」とあり、すでにこの頃には「きもの」というようになっていたようです。しかし、宇津保物語の作者がきものと指していたものは、公家が下着として着ていた身丈が短い筒袖、或は袖なしの着物に細い紐で腰を締め、女性は腰に腰布という布を巻いていたものをいったようです。しかも庶民の着たものは麻や藤、楮(こうぞ)、科(しな)など植物のつるや木の皮で作ったもので、もちろん色や柄なども染められていないものでした。
■月刊アレコレTOPへ