新・きものの基

絹や木綿、麻など素材から染織の歴史、技法、デザイン、そしてきものと暮らしの多様な関係までを紹介します!

藍染⑩

2007-09-25 23:54:54 | ゆかた・藍染

藍染■藍甕

マンホールのように見えるのは藍甕を入れる土台。藍甕は結構大きくて大人一人がすっぽり入るくらいの大きさです。昔は藍甕を数多く並べ、土の中に埋めて藍甕の温度を一定に保つようにしましたが、いまはコンクリート製。また要所には炭を入れる火床(ひどこ)を設けて、寒い冬には炭火で暖め、温度を一定に保ち、藍が染色出来る状態にすることを「藍が建てる」といいますが、藍を建てやすい温度に調整しました。これには、熟練の技を要したそうです。しかし、いまでは写真の底にコンセントと温度計が見て取れると思いますが、電気で藍甕を一定の温度に保っています。

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藍染⑨

2007-09-12 18:33:25 | ゆかた・藍染

藍染⑨糊

「染の上がりを左右するのは、糊の煮具合、出来具合次第」とよく親父が言っていたとは、三勝㈱の清水常務。長板中形の人間国宝・清水幸太郎さんのご子息。1週間に1度、生糊(きのり)作りをしていたのを覚えています。糊の具合が悪いとどうなるかというと、型紙の際や細かい部分がきれいに染まらなかったり、全体に甘くなったりするそうで、どんなに技量、腕がよくても染がキレイに出来上がらない。優れた職人は、型紙の質や文様、型の大小や気候、天候などを考慮してその都度糊の硬さを決めていたそうで、よく「あそこの糊はゆるいから、染も甘い」なんていってましたが、当時は各工房で様々に工夫して作っていた糊作りが、また同時にそれぞれの工房の染の味、個性になっていたんですね。

戦後は合理化、分業化が進み、糊屋が一手に糊を作り、各工房に納めるようになってしまったので、今では自分の工房で糊を作るなんて事もなくなってしまった。だからどこも同じような染めになってきてしまったと、清水常務。昔はそれでも糊屋には常時5~6種類はあったんですが、いまは2~3種類。合理化されて、作るものが絞られてきてしまったので、益々染の差がなくなってしまったとは、清水常務。

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藍染⑧

2007-09-11 17:21:45 | ゆかた・藍染

藍染⑧

写真の藍色に染まっている部分は、天然繊維。白い部分はポリエステルで、合成繊維を藍染することは出来ないそうです。藍と木綿の相性はバツグンで、江戸時代の木綿の染色の半分以上は藍染だったといわれています。また藍染は江戸っ子に好まれたワケは、何回も着て、水洗いされる度に、藍の色合いが微妙に変わってゆく様を楽しんだそうです。中には染めたばかりのものをわざと色落ちさせて、という注文もあったそうで、まるで今のジーンズに対するファッション傾向と同じなのは、時代は変れども、人は変わらない、ということなのでしょうか。

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藍染⑦

2007-09-10 19:13:31 | ゆかた・藍染

藍染■閑話休題②

このイラストは「江戸商売図絵」「彩色江戸物売百姿」など江戸風俗の資料絵の第一人者・三谷数馬の描いた「高荷木綿売り」の図絵。木綿を四角く包んだ荷を、高さ2メートル以上にも積み重ねて背負い、「もめんや もめん」と売り歩いたそうです。一方「古着売り」は、担ぎ棒の前後に古着を何枚も重ね、特に前の荷は高く積み重ね、その上から風呂敷をか撫せていたので、馬の首のようになってしまい「竹馬きれ売り」とも呼ばれたそうです。江戸時代は店(見世)売りより、町々を売り歩く様々な行商人が庶民の暮らしを支えていました。

高荷木綿売り