富岡製糸場④ 木骨レンガ造り
富岡に製糸場を作ることを決めたフランス人、ボール・ブリューナは1840年にフランスに生まれ、絹織物が盛んだったリヨンで働いた後、生糸貿易会社が横浜に構えた蘭八商会に生糸検査人として明治2年、29歳の時に日本に派遣されました。当時先進技術を学ぶため欧米人を「お雇い外国人」として雇用することが盛んに行われていましたが、ブリューナも「官営製糸場設立の儀」の決定により、明治3年に明治政府と日本に初めての官営製糸場を造るお雇い外国人として仮契約し、富岡に建設地を決めた後、5年間の本契約を結んだそうです。
ブリューナはかなり柔軟な思考の持ち主だったようで、フランス式を押し付けるのではなく現地で調達出来るものは現地で、できないものはフランスから輸入し、フランスの技術と日本の技術をあわせ、創意工夫を加えた方法で製糸場建設に臨みました。その象徴ともいえるのが「木骨レンガ造り」という妙義山から切り出した木材で骨組みを組み、その間を瓦職人にレンガ造りを教え、数十万個というレンガを焼き上げ、フランス積みという方式で積むという、和洋折衷で多くの建築物を作り出しました。レンガの目地はセメントではなく、日本の漆喰、礎石は富岡の近くの連石山~切り出して使いました。
群馬県に移り住み、座繰りにこだわっている東宣江さんの「日本の養蚕」好評連載中。