絹の話⑥ 東 宣江さん(2)
「トレーサビリティ」。流通のプロセスに於いて、その商品がどのような略歴を持っているかを生産者まで遡って消費者が確かめられるシステムです。しかし、着物にはまだ残念ながら、トレーサビリティは取り入れられていません。99%が輸入による生糸で作られている着物の現実。せめて東さんは、群馬の養蚕農家が作り、自分が座繰りした生糸でその着物ができていることを表示して欲しいと願っています。
日本の養蚕は、平成10年まで自由に蚕の種類を選んで、養蚕したり、好みの糸を作ることが出来ませんでした。昭和初期にはそれぞれの養蚕農家が腕を競い、様々な種類の蚕を養蚕していて、その種類は850種類にも及んだといいます。しかし、効率化を求め、より簡単に育てられ、丈夫で大きく、長く糸が取れるように国家統制が行われ、昭和初期には自由に養蚕の品種を選べなくなりました。しかし平成10年の法令撤廃に伴い、東さんはいま自由に作りたい糸の蚕の種類を決められるようになりました。最近は小粒のひょうたん形の日本原種の「又昔・またむかし」に取り組もうとしています。
風葉かげなる 天蚕はふかく 眠りゐて
櫟のこずゑ 風渡りゆく
美智子皇后の平成4年の歌会始の「風」で詠まれた歌ですが、皇居では毎年五月に御養蚕所で「御養蚕の儀」が執り行われます。有名な古代繭「小石丸」は、江戸中期から明治半ばまで広く養蚕されていましたが、収繭量が少ないことから一般には養蚕されなくなり、わずか皇室が日本原産種として明治期から養蚕を続けてきました。しかし、昭和60年代後半には飼育中止が検討されましたが、「日本の純粋種と聞いており、繭の形が愛らしく糸が繊細で美しい。もうしばらく古いものを残しておきたいので育てましょう」との皇后陛下のお言葉により、養蚕が続けられたといいます。
いま日本の養蚕は曲がり角というか、東さんのような想いを持った人がかろうじて日本の養蚕を支えています。私たちは、東さんたちが作る繭や生糸で出来た着物を買うことによって、日本の養蚕の文化や技術、日本の絹そのものを守るお手伝いをすることが出来るのです。
月刊アレコレでは、2008年、「きものの基・素材編」で日本の絹、東さんの座繰りした生糸が、どのような着物になってゆくのか追って連載を続けてゆきたいと思います。どうぞ、月刊アレコレを来年もよろしくお願い申し上げます。皆様、よいお年をお迎えください。
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