■漢語の「もくめん」が「もめん」に
木綿が日本に伝来したのは799年。崑崙人が三河の地に漂流し、木綿の種を伝えたと記されていますが、上手く栽培できなかったようで、ようやく室町時代に木綿が栽培できるようになり、本格的には江戸中期以降といわれます。一方絹は、卑弥呼の時代にはすでに養蚕されていたようで、万葉集などに「真綿」と書かれているのは、繭を綿状にしたもののことで木綿の綿ではありません。なにしろ、当時日本には木綿が存在していなかったのですから(織物として木綿は輸入されていたようです)。しかし「魏書・東夷伝・倭人伝」には「以木緜招頭」とあり、「樹皮の繊維で作った糸で織った布を頭に巻き」とあり、「木緜」を「もくめん」「ゆふ」と呼んでいました。また万葉集には「木綿」を「ゆふ」と読ませた歌が多くあります。この「木緜、木綿・ゆふ」は、楮の樹皮をはぎ、繊維を糸として布に織ったもののことで、“ゆふ”は“結ぶ”からきたのではないかと推測されています。「伊呂波字類抄」(1190年代、鎌倉時代初期に完成した語彙事典)には、ユの項に「木綿 ユフ」と、またモの項には「木綿 モメン」と「木綿」と表記しながら両方が記載されていますが、約400年後の「節用集」(慶長2年・1597年)には、モの項には「木綿 モメン」はありますが、ユの項に「木綿 ユフ」はなくなっています。「木綿」と書き、それぞれ違うものを指した言葉が、400年の間に「木綿」、コットンの意味だけに統一されるようになってきた背景には、日本人の衣服の素材が麻や植物布(原始布)から木綿に移り変わっていった暮らしの変化があったようです。