新・きものの基

絹や木綿、麻など素材から染織の歴史、技法、デザイン、そしてきものと暮らしの多様な関係までを紹介します!

真綿(まわた)②

2007-02-13 22:52:11 | 絹・真綿

■漢語の「もくめん」が「もめん」に

木綿が日本に伝来したのは799年。崑崙人が三河の地に漂流し、木綿の種を伝えたと記されていますが、上手く栽培できなかったようで、ようやく室町時代に木綿が栽培できるようになり、本格的には江戸中期以降といわれます。一方絹は、卑弥呼の時代にはすでに養蚕されていたようで、万葉集などに「真綿」と書かれているのは、繭を綿状にしたもののことで木綿の綿ではありません。なにしろ、当時日本には木綿が存在していなかったのですから(織物として木綿は輸入されていたようです)。しかし「魏書・東夷伝・倭人伝」には「以木緜招頭」とあり、「樹皮の繊維で作った糸で織った布を頭に巻き」とあり、「木緜」を「もくめん」「ゆふ」と呼んでいました。また万葉集には「木綿」を「ゆふ」と読ませた歌が多くあります。この「木緜、木綿・ゆふ」は、楮の樹皮をはぎ、繊維を糸として布に織ったもののことで、“ゆふ”は“結ぶ”からきたのではないかと推測されています。「伊呂波字類抄」(1190年代、鎌倉時代初期に完成した語彙事典)には、ユの項に「木綿 ユフ」と、またモの項には「木綿 モメン」と「木綿」と表記しながら両方が記載されていますが、約400年後の「節用集」(慶長2年・1597年)には、モの項には「木綿 モメン」はありますが、ユの項に「木綿 ユフ」はなくなっています。「木綿」と書き、それぞれ違うものを指した言葉が、400年の間に「木綿」、コットンの意味だけに統一されるようになってきた背景には、日本人の衣服の素材が麻や植物布(原始布)から木綿に移り変わっていった暮らしの変化があったようです。

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真綿(まわた)①

2007-02-13 21:58:05 | 絹・真綿

■絹糸を作る2つの方法

繭から絹糸を作るには大きく2つの方法があります。まだ生きている蛹がいる繭を糸を引き出しやすくするために先ず繭を煮立てます。1つの方法は、蚕が糸を吐き、繭を作っていった糸口を竹の刷毛などで探し、数本ずつまとめながら糸にしてゆく方法です。繭1個から1,300から1,800メートルもの長さの絹糸が取れるというから驚きです。

また牛首紬は竹の刷毛を使わずに「のべ引き」といって直接熱いお湯の中に手を入れて熟練した女性たちが繭から糸取りをします。一般的には機械で糸を取りますが、昔ながらの手作業だと機械のように均一に力がかからず、手加減しながら糸を引くので十分に空気を含んだ風合いのある糸を引くことができます。

もう1つの方法は、煮立てた繭から直接糸を引き出さずに、柔らかくなった繭を温湯に浸しながら、5から6個の繭を指先で一定の大きさの袋状に押し広げて1枚の綿状にします。煮立て、押し広げられた繭は脂分が取れ、陰干しすると艶やかな光沢のある空気をタップリ含んだ綿状になり、これを「真綿」といいます。一度日本真綿協会のホームページ「真綿の作り方」をご覧になるとよく分かると思います。結城紬はこの袋真綿を親指と人差し指で「糸つむぎ」という工程を経て糸にしていきます。

「真綿」とは絹糸のことではなく、繭を綿状にしたもの、「絹の綿」のことをいいます。結城紬は、この袋状の真綿を丁寧に親指と人差し指で糸に紡いでゆく「糸つむぎ」という工程を経て、糸にしてゆきます。繭の煮立て方や糸の取り方など各産地によって簿妙に違い、それがまた絹の風合いに現れ、特色のあるきものを生み出しています

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