敦煌と母
2023-08-07 | 旅行
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前記事(「小さな後悔」)で
母の旅行歴に、ちょこっと触れましたが・・・
その続き(補足?)です。
会う度に、おばあちゃん化していき
わたしを、おののかせるw80代の母。
かつては・・・
専業主婦ながら、自宅での工芸教室も
地域のボランティア活動も40年以上続け、
好奇心旺盛で、行動力もある人でした。
趣味で中国語も始め、アラフィフにして、
大学で開かれるサマースクールのため、
1ヶ月間、北京に滞在したこともありました。
今は、主婦やシニアの語学留学も珍しくもないですが、
当時は、その走りだったと思います。
(インターネットもない時代なのに!)
その後も、北京へは何度も出かけ、
日本人・中国人どちらもの先生や学生さんと親しくなり、
今でも、おつきあいが続いています。
(既に亡くなった方もおいでです・・・合掌)
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後に、父と二人で、西安と敦煌へも旅しました。
上海出身の学生さんに、案内してもらっての旅行でした。
彼は、上海から列車で、
母は、日本から飛行機を乗り継ぎ
敦煌で落ち合う・・・
言葉のまったくできない父を連れ、
自分の中国語を頼りに、敦煌へたどり着いたときは、
ホッとしたそうです。
(繰り返しますがネットのない時代に!)
既に、平山郁夫画伯の「敦煌」が知られ、
NHKでは「シルクロード」が放送されていたので、
おそらく1990年代のはじめ。
今から30余年前ですね。
当時も、日本からのツアーは入っていたでしょうが
母の場合は、中国人学生さんのおかげで、
敦煌に宿をとり、のんびり観光できたそうです。
中国が、今のように豊かではない時代、
中国人の彼にとっても初めての敦煌でした。
若い感性に良い旅となったことでしょう・・・
今、彼とも、おつきあいは続いており、
奥さまとも、母は仲良しです。
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すっかり様変わりしたという敦煌。
昨夜、当時の旅バナを聞きたくて、電話をしたのに、
母ったら、全然覚えていないんです。
「ああ、すっかり忘れちゃったわぁ・・・」ばかり。
実家を処分するときに、
写真も、ほとんど捨ててしまったので、
なおさら思い出せないと申します。
・・・「でも、敦煌の写真なら少しはあるかも・・・」
「それじゃ、探して思い出してみたら?
思い出せたら、メモしておくと良いよ」と私。
せっかくの旅、もったいないですもんね。
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歴史好きの私。
オーラルヒストリーなどと
ご大層に言うつもりはありませんが・・・
いつか、母の想い出を
きちんとまとめておきたいのです。
その一歩になれば良いなぁと、思っています。
もしも、まとまったら、
記事にしますので、おつきあいくださいね♫
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
月曜日。
今週は、台風と暑さに翻弄される
一週間となりそうですが・・・
どうぞ「優しい風が吹きますように」
素晴らしいお母さまですね。時代の先駆者です。NHK「シルクロード」楽しみに見ていました。喜多郎の音楽も大好きで、シルクロード関係の本も沢山買いました。
「敦煌」なんて憧れの言葉でした。「敦煌」という名の中華料理店が出来て、「敦煌に行く」なんて会話が可笑しくてたまりませんでした。
ネットの無い時代に本当によくご無事でと感心します。 なおとも
母を。お褒めいただき、ありがとうございます。
我が親ながら、アッパレだなぁと思いますw
でも、本当にエラいのは、昭和1桁世代の父。
よくまあ、サマースクールの一ヶ月を、一人で過ごしたと感心です。
(母が居るときより、家は片付いき自炊をしていた)
敦煌は流行りましたよね~
喜多郎さんの番組テーマ曲が聞こえてくるようです。
お店のお話もアルアルですね、わたしも似たようなことがありましたw
イイ時代でしたね~~
肝心の母が、どの程度思い出せるかわかりませんが、
記事をアップの暁には、どうぞ、またおつきあいくださいませ。
あっぱれというかお見事というか、素晴らしい生き方をしてこられたお母様。それだけに、徐々に老いていく姿を見るのは、子として忍びないものがあるとは思いますが…
わたしの体験からいうと、老いの坂と言いますが、実際は坂ではなくて階段なんですよ。今までできていたことが、いきなりできなくなる、その状態がしばらく続いて、またできないことが増えるー両親もでしたが、わたし自身もです。70代はそれに抗いますが80代になると諦めるのか開き直るのか受け入れるのか、老いの階段を降りるのが早くなるような気がします。
母は、ホスピスで穏やかに死を迎えましたが、一緒に行った旅行のアルバムや趣味の作品を病室に持ち込んで、牧師さんや看護師さんたちが一緒に楽しんでくれたり、他の患者さんたちにも紹介しちくれたりして、母は満足そうでした。そのとき思ったのは、母の人生を肯定してあげるのがいちばんの親孝行かなということです。ぴあ野さんのお母様は肯定できる材料がいっぱいある。今からでも記録にまとめるのってすごく有意義なことだと思います。
わたし、敦煌の莫高窟はみたことがあるんですよ。といっても、東京芸大の復元技術によって生み出されたクローン作品ですが。機会があれば是非見てください。感動を共有できると思います。このことについては2021年8月26日の記事に書いています。よろしかったらこちらも。コメントにリンクするやり方が分かりませんので、すみません。
お心のこもった長文のコメントをどうもありがとうございました。
目頭を熱くしながら拝読しています。
あたこさんが、先日くださったご返信が、更に更に深められたようです。
あ、ポチちゃん、途中で「女の子かな?」と思ったのです、でも書き忘れていました。
失礼しました。
まずクローンの御記事、拝読しました。
近くで開かれたら、出かけたいです!
東京芸大なら、横浜にもあるので、気をつけてみます。
もちろん母を連れて・・・
あたこさんの御記事を拝読すると、いつも温かな気持ちになります。
今回、本当によくわかりました。
それは命とか時の流れとか、そういったものの感覚を大事にされているからだなぁと。
最初に廃村の御記事にお邪魔したときにも、ものすごく感じられたんです。
おかあさまの最晩年を伺い、こういうご家族だったからこそだなと納得がいくようです。
わたしの闘病中、支えてくれたのは母でしたし、
最期まで父を介護してくれたのも母。
それだけに、まだ母の変わり様を心が受け入れられずにいるのが
自分でもわかっています。
でも、「老いの階段」というのは実感しています。
母もそうですが、自分もそう。
ああ、こうやって老いていくんだなぁと。
母本人は若い頃の病弱がウソのように元気。
今のところ、持病もありません。
ただただ機能が衰えていく感じ。
大事にしていたことすらも、投げ出しそうになるのがこわいなぁと
今回の敦煌についての話となりました。
本人は、今もいたって幸せなので、わたしの満足のために
あれこれ言っているだけなのですが・・・
伺ったお話も参考に、母との向き合い方を考えていくつもりです。
たぶん、ずっと考えていくのでしょう。
そんな時間が、少しでも長く続いて欲しいと願うばかりです。
いろいろと教えていただき、どうもありがとうございました。
これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。