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昭和の「花が大好きな女の子」

2021-07-02 | 日々のこと
おはようございます。
本日、半夏生・・・(↑↓画像も「ハンゲショウ」)
夏至から数えて11日目、ちょうど田植えが終わる頃とされています。

本日は、ハンゲショウにちなみw
70年も昔、昭和の頃にいた、お花の大好きな女の子のお話・・・
どうぞ、おつきあいくださいませ。


(実家の庭のハンゲショウ<半夏生/半化粧>)


昭和、と言っても戦争の傷跡から、
日本中が必死で立ち直ろうとしていた時代のこと。

海辺の町で、小さな女の子は、縁日のために、お小遣いを貯めていました。
まだ、小学校に上がるか上がらないかながら、
ちょっとした、お駄賃も、大切に貯めて・・・

待ちに待った、その日・・・
大事に貯めた、小銭ばかりの小遣いを握りしめ・・・
女の子が、縁日で、向かった先は、植木屋さん。

幼い女の子が、座り込んで、ずっと、ひとつの花を見つめているものだから、
植木屋さんのおじさんが尋ねてくれました。
「お嬢ちゃん、それで、いくら持っているの?」

黙って、手のひらを広げ、お金を見せると、おじさんは首を振りました。
「それじゃあ、買えないねぇ・・・お金が足りないよ。」

女の子が、がっかりしていると、
おじさんは、持っているお金で買える花を教えてくれて・・・
女の子は、その花を大切に持ち帰りました。

女の子が買えたのは、松葉ぼたん。

庭に植えると、どんどん育ち・・・
植木屋のおじさんがおしえてくれたのか、もう記憶はあやふやですが、
手折って地面に差すと、ますます、花が増えて・・・


(大船、常楽寺の桔梗)


「きれいな花が、どんどん咲いてくれたのが、うれしくてねぇ・・・
それから何年かして、欲しかった花は『桔梗』って言うんだって、
わかったの・・・」

幼女のように笑うのは、70余年前の、女の子・・・私の母。
八十路に入ったばかりです。

幼い頃から、お小遣いを貯めて花を買うくらいだった、
花の大好きな母。
結婚すると、庭に花を絶やさないよう工夫し、世話を続けます。

それから、既に半世紀・・・

この春、父亡き後も一人暮らしを続けた、
(わたしの)実家を処分し、シニアマンションへ引越すこととなりました。

母が丹精した、庭の花々は、あきらめることになったものの
娘の私の庭へ植え替えたり、
お花好きの、ご近所さんが引き取ってくれたり・・・

もちろん、母自身も、大のお気に入りは、新しい住まいへ連れていきました。
・・・というのも、引越し先でも、小さな「庭」が持てたからです。


(実家に残っていた紫陽花)


母のマンションへの引越しは、降って湧いたような話でしたが・・・

決め手になったのは、「菜園」があったこと・・・
「ちょうど、今、菜園の空きが一つ、あります」
この言葉が、迷っていた母の背中を押しました。

・・・新しい住まいへ移り住んで、はや数ヶ月。

母は、小さな菜園に、野菜ではなく、花を植えています。
古い家の庭から植え替えた、カンパニュラやユリは、母の大好きな花。
みんな、新天地で、きれいに花を咲かせてくれました。

すると・・・
いつのまにか、母の庭は、マンション内で評判になっていたらしく・・・

大勢のシニアが住むマンションなのに、
お名前も知らない方から「お花を拝見しましたよ」「見事ですね」と
たびたび声をかけられるようになったとか・・・


(実家に残ったホタルブクロ。うちには咲かない赤色・・・)


お花の大好きだった女の子は、いつのまにか、おばあちゃんになりました。
お花は、女の子を、いつも支えてくれて・・・
今も、おばあちゃんの暮らしを彩り、世界を広げてくれています。

娘として、高齢の母が新しい環境で、楽しそうにしていてくれるのは
ありがたいことです。

そして、そんな「お母さんの人生」は、
我が母のことながら、素敵だなと思います。

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身内の話をエンエンと、失礼いたしました。
本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

強い雨の一日となりそうですが、どうぞ、お気を付けて。

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