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異国で「東京五輪」を知った日

2021-06-23 | 旅行
おはようございます。

来月からのオリンピック、観客は1万人を上限でと決定したそうです。
いよいよ開催のせいか、東京大会決定の瞬間を、よく思い出します。
そんな想い出話、どうぞ、おつきあいくださいませ。



ググってみると・・・
決定の日は2013年9月7日だったようで・・・

あのとき、わたしは、母と二人旅をしていました。
ヘルシンキとバルト三国の一つエストニアを訪ねた、あの旅は、
わたしにとって、五本指に入るくらい楽しかった、旅でした。


そのときーー東京決定の瞬間は、エストニアの首都タリンにいました。
日本時間の深夜に決定だったと記憶していますが・・・
私と母は朝のネットニュースで東京開催・決定を知りました。


(母と泊まったホテルは、画像上にある港のすぐ前のホテルでした。)

母は、東京に決まったと知ると、うれし泣きに暮れながら、言いました。
「2020年の東京大会までは元気でいたいわねぇ・・・いられるかしら」と。

当時、私も、サバイバーとしては、まだまだ不安だった頃です。
「お母さん、そんなこと言わないで、絶対に一緒に観に行こう。
わたしも元気でいるから、きっとね!」。

そう言いながら、涙腺の弱い母・娘は、二人して、大泣きでしたw

その後、ホテルの朝食のテーブルで・・・
ドイツ人のご夫妻に「おめでとう」と声をかけられると、
日本人であることが、なんだか、とっても誇らしくて・・・

「ぜひ、オリンピックには東京に来て下さい!」と
日本代表のような気分で答えましたw

また、心弾むまま、日本で留守番の夫と
「よかったね~」「嬉しいねぇ~」とメールをしあったのも覚えています。

「東京五輪決定!」は、タリンの旅で、
必ず、セットのように思い出す記憶です。


(タリンへの旅は、都合3回、お気に入りの毎回通ったレストラン。
今もメルマガが届きます・・・)



時は流れ、コロナ禍の今、周りだけでなく、我が家も
ずいぶん変わりました。

まず、わたし自身はサバイバーとして通院を続けていた病院から、
この春、めでたく「卒業」、今や、立派な卒業生ですw

一方で、母は・・・

元気にしていますが、しっかり、年齢相応のおばあちゃんになりました。
そのうえ、自宅を処分し、シニア・マンションへ引っ越すなんて・・・
あのときは、そんな発想すらありませんでした。

その他、あれも、これも・・・
激変の我が家です。


(旧市街の城壁には、「セーターの壁」と呼ばれるニットの露店が並び、母のお気に入りでした。今も毎冬愛用のセーターです。↑は朝、準備中の様子。)


さて、本日、東京オリンピックのチケットについて発表があるとか。
タリンで、母に言ったように、夫と母と観戦するつもりで
三人分のチケットを購入しました。

必死で取ったチケットなのに・・・
今の状況では、行く気になれません・・・

高齢の母こそ、今月末には、ワクチン接種を終えるものの・・・
夫も私も、接種券すら、いつ手に入るかすら、わからない状況です・・・

そもそも、わたし自身は、さしてスポーツが好きなわけではないので、
観客数の上限が決まっているならば、
本当にお好きな方々がご覧になるべきだとも思います。




ああ、まさか、まさかの・・・東京オリンピック。
2013年の、あの喜びの日、誰が、今日を想像したでしょうか・・

どうか、どうか・・・
タリンの旅の、この記憶が、哀しいものになりませんように・・・
東京オリンピック開催が、恐ろしい結果を招かないよう、祈るばかりです。

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おつきあいいただき、どうもありがとうございました。
本日の画像は2014年5月、夫と旅したときのものです。
2013年の画像は、このPCには保存していないので、ごめんなさい。

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